母よさようなら2

私は大学を卒業し、ある会社に入った。
Mちゃんからは、母と再会してから何回か手紙が来たり電話がかかってきたりして、何度かまた来ないかという誘いがあったけれど、高校に入り部活が忙しいのでとか、大学に入って(もちろん高校も大学もどこに入ったかは言っていない)いろいろ忙しいと断っていたら、誘いも来なくなった。

私たち家族の中で、母の存在は消し去られていた。私もそんなことよりも新卒で入った会社の仕事を覚えることの方が大事だった。

ある日、仕事から帰ると、私宛に一通の手紙が届いていた。差出人は父の友人の奥さんだった。昔々、家族ぐるみでお付き合いしていて、一緒に旅行に行ったこともあった。祖母はその人のことは知らなかったからよかったけれど、父に見られていたら、と思うとちょっとドキドキした。

内容は封を開けるまでもなく、大体わかった。母のことだろう。読まずに捨ててしまおうかと思ったのだが、中身が気になってしまった。封を切ると、中に「ここに連絡してほしい」と言う短い文章と母の電話番号が書かれた便箋が入っていた。

私は電話をかけてみることにした。母に一度会って、子供の私たちに会った時に一体どうしたかったのか?もし私が祖母と父にそのことを話したらどうなるか考えなかったのか?等々聞いてみたかったのだ。私が嘘をつかないといけなくなって、すごく辛い思いをしたことも伝えたかった。

翌日、昼休みに職場近くの公衆電話に行き、母の電話番号をプッシュしてみた。もし仕事をしていたら平日の昼間にいる訳がない、と私も逃げ気味だったのだが、あっさりと母が電話に出た。10年ぶりくらいに聞いた母の声だった。

私だとわかると、母は嬉しそうに今はどこの会社にいるのかとか、どんな会社なのかとか質問をしてきたが、なんとかはぐらかした。何の用なのか聞くと、「会いたい」と言われた。私はあまり会いたくはなかったけれど、聞いてみたいことがあったし、もう一回くらい会ってもいいかなと思った。

母の住所はかなり私の家からは遠かった。しかし母が「私がそちらに行く」と言うので、私がそちらに行くから来なくていいよというつもりで「来なくていいよ」と言ったら、急に「どうしてそんなことを言うの!?」と泣き声で叫び、電話を切ってしまった。

しばらく受話器を見つめながら呆然としてしまった。そして思い出した。母はそういう人だった。人の話を最後まで聞かない、というより、聞けない人だった。別にきつく言ったわけではない。普通に言ったのに。どうして?と聞いて欲しかった。でもなんだかホッとしている自分に気付いた。これからは母に会わなくて済むのかもしれないと思った。

そのとおり、私宛ての連絡はそこから来なくなった。母に対する疑問は永遠の謎になってしまったけれど、別に会わなくてよくなればそんな疑問はどうでもよくなった。大切なものを失ったとか、そんなセンチメンタルな気分にもならなかった。

ただ、母は諦めたわけではなかったようで、祖母の死後に遺品整理をしていたら、母からの手紙を2通見つけてしまった。私が電話をした後の消印になっていた。母はこの2通以外にも手紙を出していたのが、手紙の文面からわかった。なぜ、祖母がこの2通を取っていたのかはわからない。とにかく子供たちに会わせてほしい、しか書いていないのを祖母は何通も握りつぶし、ゴミ箱行きにしたに違いない。なぜ、この2通だけ握り潰さなかったのか。もうそれを知ることはできない。

そして、父には私のいとこたち、つまり母の姉の娘たちからしょっちゅう連絡が来ていたらしい。ある日、私が仕事が休みでダラダラと朝寝をしていると、不意に電話が鳴った。しばらくして父の声で「昨日も言ったけど、こっちは会わせたくないって言っといて。会わせたくないんだよ!」と言うのが聞こえて来た。私はすぐに事情が飲み込めた。実は祖母が遺した母の手紙の2通のうち、1通がいとこからだったのだ。「叔母がかわいそうです」「叔母は子供たちに会いたくて毎日泣いています」という文章だった。

母だけじゃない、祖母の言いなりではっきりしない父も悪い。でも、子供にただ会いたいから学校に来たり、友人の家に突然いたり、不安な気持ちしか抱かせない母も悪いと私は思った。私たちがどういう状況に置かれていたかも考えず、自分だけが悲劇の主人公みたいに振る舞う母が、本当に嫌になってしまった。

今、父は85歳。母は生きているとすれば84歳。私は結婚しなかったので、子供と離れ離れになった母の気持ちは、残念ながらほとんどわからない。冷たいかもしれないけど、もし今、母が死んだ知らせが来たとしても、多少ショックは受けるかもしれないが、涙を流すことはないだろう。それが私の母への返事だ。

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