考えすぎ、気にしすぎ、細かい、とよく言われます。 社会で当たり前に受け入れられていることに、なぜか引っ掛かる。 受け流せない。 例えば新年に「明けましておめでとう」と言うこととか。 誕生日にプレゼントを渡すこととか。 赤の他人に「子供の予定は?」と訊かれることとか。 凄惨な事件が起こると「一体なぜ」と書かれることとか。 映画や小説は「泣ける」と宣伝されることとか。 成人したら全ての人がお酒を飲む前提で物事が進むこととか。 ドラマの「仕事ができる人」は大抵「気遣
自立支援医療受給者証が、我が家にやってきた。 病院で先生に申請したいですと答えて、診断書をもらうまで約2週間。 区役所に行って課税証明書をもらい、それを持っていって手続きをすると、その場で控えがもらえる。 数カ月して審査が終わると、無事に受給者証が届く。 区役所の人はとても優しかった。 自立支援医療費制度は、自立した日常生活または社会生活が送れるよう、医療費の一部を支給してもらう制度です。(障害者手帳とは異なる。) 長期にわたって治療が必要と医師が判断した場合に、
そいつは、突然やってきた。 しかし今思えば、前兆はありました。 親友が転職するにあたり、「書類が通らなくなってきた」と言っていたこと。 (新卒時も一度目の転職時もあっという間に内定を取った人なので、驚いた。) 目元のくすみが気になってきたこと。 ダイエットしようとすると、体重は落ちるのにお腹の脂肪がなくならないこと。 母が「更年期障害がつらい」と言っていたこと。 そして、インターネットに流れてくる「若者」という言葉が、広くても25歳くらいまでを指していると気付いた
詩人になりたかった、と思うことが時々ある。 正確に言えば、「なれたらよかったのに」かもしれない。 わたしの個人的な感触としては、 「なりたかった」には 過去のある時点において「なりたい!」と強く思いそれに向けて努力したけれども、何らかの事情や障壁があって叶わなかった という感じがする。 いや、わかんないけど。わたしだけかもしれないけど。 だからわたしには「なりたかった」は言いすぎで、「なれたらよかったのに」がたぶんちょうどいいのだ。 小学生の頃、はじめて明確な意思
もう随分と前のことになるのだけど、世界のいろんなところを取材するテレビ番組で、アマゾンのどこかの部族の生活が放送されていた。 文明を受け入れる部族もいれば、伝統的な生活を続ける部族もいるようだった。 放送できる範囲のギリギリを攻めるスタンスの番組で、かなり突っ込んだところまで扱うのがたぶん人気なのだと思う。 ある部族では、猿を捕まえて、捌いて食べていた。 さすがにというか、猿を捌くところは、ぼかしていた。 そのあと、別の部族では牛を連れてきて、部族のみんなで捌いてい
なんのために書くんだろう。 なんのために働くんだろう。 なんのために生きるんだろう。 なんのためになんのためになんのために そんなことをぐるぐると考えて 空を見上げて あ、地球にいるんだな。と思う それから、あ、意味なんてないんだ。と思う これは自暴自棄になったり刹那的になったりしてるのではなくて 偶然うまれて偶然しぬことになんの意味もなく ただうまれてからしぬまでを ああだこうだ言いながら過ごしている それがすべてなのかなあ、と思うのです とかくわ
帰り道に空を見上げたら、月がとってもきれいだった。 自分自身が「あ、月がきれいだ」と思った瞬間が、わたしにはたまらなく大切で、特別なのだ、と思った。 スーパームーンとか、なんちゃらムーンの日、ではなく。 わたしには、年中行事の才能がない。 まあ、性格が捻くれていることも手伝ってイベントごとには悉く乗り切れないのだけど、 それでもクリスマスとかハロウィンとかに関しては、 別に日本の文化じゃないしー、 わたし無宗教だしー、 あれは企業の努力による経済活動だしー みたい
ドラマ『相棒』が好きだ。 秋冬シーズンは『相棒』のために生きていると言っても過言ではない。(過言) 警視庁の窓際部署である「特命係」の杉下右京とその相棒が、様々な事件に首を突っ込んでは解決するこのドラマは、他の刑事ドラマとは一線を画している(個人の感想です)。 『相棒』は、人間と正義を、そして人間と罪を、一貫して描き続けている。 刑事ドラマは事件のトリックを明らかにするとともに、動機の解明を通して人間模様を描き出すのが定型だけれども、 やっぱり「それは仕方ないわ」と
わたしは破滅的にプレゼントの才能がない。 世の中には、気の利いたプレゼントを、何でもないことのようにさりげなく渡す人がいる。 喜んでもらえて、タイミングにふさわしく、洒落ているけど受け取るほうの負担にならない、 そんな素敵なプレゼントができる人にわたしもなりたい。 好みに合うだろうか、邪魔にならないだろうか、嫌味にならないだろうか、押し付けにならないだろうか、 みたいなことをぐるぐるぐるぐる考えているうちに、どんどん迷子になっていって、 疲れ果てて、とんでもなく無
わたしはずっと、「覚えてる側」をやってきた。 それこの前も話したじゃん。 なんにも覚えてないんだから。 いろんな人にそういうことをいっぱい言ってきたと思う。 子供の頃からしっかりしてると言われていたし。 舞台の仕事をしているときは尚更。 書類の提出だとか、電話申し込みだとか、段取りだとか、打ち合わせた内容だとか、芝居上の取り決めだとか、ありとあらゆること。 芸術に関して才能を持つ人というのは本当に、細かいことを覚えてない人が多い。 何かにのめりこんだり、それし
気づけば1か月近くもnoteを書いてない。 お洒落への第1歩を踏み出してからのこの1か月は、嵐のような大革命の日々だった。 へなちょこの服と鞄と靴を全部、ゴミ袋6個分も捨てた。 映画「プラダを着た悪魔」を見た。 アン・ハサウェイにはまって、写真をスマホの壁紙にした。 ドラッグストアをぐるぐる回って化粧品をいくつも買った。 眉専門のサロンに行って、下がり眉を劇的にまともにしてもらった。 毎晩髪にトリートメントをして、ブローもしていたら寝不足になって、寝坊して、ほぼ
旅行に行こうかなと思っている、と知人に話したら、近場の海外への弾丸旅行を全力で勧められてびっくりしてしまった。 曰く、 国内旅行と同じくらいの値段で行けて 時間も掛からなくて 買い物がたくさんできて あちこちでいろんなものが食べられる とのこと。 おんなじお金をかけるなら、多くの物が買えて多くの場所に行けるほうが、コスパがいい、というのがその人の考えらしかった。 その国が好きな人や、旅行に行くのが好きな人のことを、どうこう言うつもりはまったくありません。 きっとわ
母が東京に出掛けてくるというので2人で食事をしました。 わたしはつい最近までずっと、母が作った洋服ばかり着ていました。 それは体型を隠すためのだぼっとした服ばかりでした。 母が悪いのではなくて、わたし自身がそういう服しか着られないと思っていたからなのだけど。 でもいま、わたしは体型を隠すんじゃなく、自分の体型に似合う服を着たいと思って模索しているところで。 だからこの前買った服で全身固めて、わたしはこれからこういう服を着て、かっこよくなりたいんだ、ということをアピー
ドラマ「獣になれない私たち」通称「けもなれ」が放送中だ。 自由に本能のまま生きられない頭でっかちな2人の笑えて切ない『ラブかもしれないストーリー』 である。(公式サイトより) 常に笑顔ですべての人に気を遣い、なんでもこなす女性が主人公。 ラブかもしれない要素がかなり混線してきて個人的にはかなり盛り上がっているのだけど。 わたしはドラマの感想をTwitterで検索するのが趣味なのですが、 第1話の職場のシーンで、パワハラ上司、仕事を押し付けてくる同僚、かなり酷い取引
ネガティブ界の歴史に残る、世紀の大発明をしてしまったかもしれない。 お気に入りの白スニーカーを履いていると、下を向いて歩いていても、ちょっと嬉しい気持ちになって、それだけで上を向きたくなるみたい。 という文を思いついて、noteに書こうと意気込んでいたのですが、夜になって雨に降られました。 買ったばかりの、お気に入りの、白いスニーカーなのに。 ほんとそういうとこ、ついてないよなあ、と思いつつも、この状況が逆に少し、面白い。 先日、とってもポジティブでエネルギッシュな(
生まれてはじめて、お洒落を始めました。 と言っても、たぶん客観的にはぜんぜん、お洒落のうちに入らないと思うけど、 どんな服が着たいか考えて、服を買いにいって。(コンサル:夫) ちゃんとした下着屋さんでサイズを測ってもらって買って。 服に合わせて靴も買った。(コンサル:夫) お風呂あがりにパックなんかもしている。(効果があるのかは不明) 世の人々は、当たり前にこういうことをしているんだろうけど、 26年もの間これまでずっと、お洒落が苦手で、避けてきたので、 わたしにとっ