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小説よりも奇なるわたしたちの生活と、ドラマと、リアリティ

ドラマ「獣になれない私たち」通称「けもなれ」が放送中だ。

自由に本能のまま生きられない頭でっかちな2人の笑えて切ない『ラブかもしれないストーリー』

である。(公式サイトより)

常に笑顔ですべての人に気を遣い、なんでもこなす女性が主人公。

ラブかもしれない要素がかなり混線してきて個人的にはかなり盛り上がっているのだけど。

わたしはドラマの感想をTwitterで検索するのが趣味なのですが、

第1話の職場のシーンで、パワハラ上司、仕事を押し付けてくる同僚、かなり酷い取引先と、
働く人のストレス三拍子揃えましたという感じの描写が続いたので

「リアルすぎてツラい」という感想がけっこう見られたような気がします。

(厳密に言うと、それは「リアルである」というより、「リアリティがある」という話なんじゃないかな、と思う)

これはたぶん、ドラマを作っている人はみんな悩むところなんだろうなあと勝手に推測しています。

ドラマを見てる時くらいストレスや辛いことを忘れたい、という感想もあるし

現実離れしたハッピーな設定や展開にはついていけない、という感想もある。

重要なのは、どっちも本当で、誰しもこの両方を求めてるってことだと思う。

テンポよく話を展開させるためには、

主人公は猪突猛進型で何にでも首を突っ込み言いたいことは何でも言う仕事のできない新人の女の子のほうがいいし

偶然出会う男の子はピュアで情熱的なほうがいいし

上司はなんだかんだ面倒見が良いほうがいいし

子供は素直でひたむきなほうがいいし

立ち向かう相手は金と権力に溺れて大切なものを見失ってるほうがいいし

無理解な周りの人たちは熱意を持って投げかければ改心してくれたほうがいい。

そうやって話を進めたほうが、視聴者への状況説明も、テンポのよい展開も、なんとなく物語を見終わったような気分にさせることもできる。

一方で、わたしたちは現実がそんなふうにいかないことを知っていて、だからうまくいきすぎるドラマには「信じられない」と感じてしまう。

それを打破したのが野木亜紀子さんの書く、「アンナチュラル」「獣になれない私たち」の主人公で、
つまりちゃんと仕事ができて、周りに気を遣えて、言いたくても言えないことを抱えながら生きる女性

多くの人は言いたいことを抱えながら、ままならない思いを持ちながら生きていて

信じられないような素晴らしいことも、信じたくないような恐ろしいことも、現実に起こっている。

そして一生出会うことのない人の苦しみも、地球の反対側で起こっているしあわせも、
わたしたちは知ろうと思えば、インターネットで知ることができる。

それだけ現実は、エキサイティングで、ビビットで、ドラマチックだ。

だから虚構の中で、

「見ている人がその世界に違和感を持たないリアリティ」と、
「作り話として想定した結末に着地させるディレクション」と、
「演じる俳優が持つリアル」の

均衡を保って作品にするのは、これからもどんどん難しくなっていくと思う。

「けもなれ」で言えば、前提としてどんな設定のどんな物語だとしても、「ツラいな」と感じる人がいる可能性はあるわけで、

だからリアリティの比重を大きめにしたことによって「ツラいな」と思わせることが悪いのではなく、
そこからどう物語として着地させるか、という話。

今、見ているものは虚構である、とわかっていながら、
共感するとかしないとか、感動するとかしないとか言うのは、冷静に考えるとけっこう、不思議な現象だ。

虚構を描き虚構を鑑賞するという営みに、これからの社会で、どんな役割が託されていくのか。

マスに向けて製作されるドラマとその感想を観察していくことで、それが見えてきたら面白いなあと思っている。

そんなことはさておき、「獣になれない私たち」続きが気になる!!!

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