不孝者

自立支援医療受給者証

が、我が家にやってきた。

病院で先生に申請したいですと答えて、診断書をもらうまで約2週間。

区役所に行って課税証明書をもらい、それを持っていって手続きをすると、その場で控えがもらえる。

数カ月して審査が終わると、無事に受給者証が届く。

区役所の人はとても優しかった。


自立支援医療費制度は、自立した日常生活または社会生活が送れるよう、医療費の一部を支給してもらう制度です。(障害者手帳とは異なる。)

長期にわたって治療が必要と医師が判断した場合に、申請すると、当該の医療費の自己負担額が、通常3割から1割になります。
(所得・疾病などにより条件があります。)

これは東京都の制度で、具体的な財源がどうなっているのかはもらったパンフレットでは確認できなかったけれど、まあ、人様のお金であることは確かです。


こういった制度があることをわたしはまったく知らなかったし、きっと多くの人がそうなんだろうと思う。

一番の懸念点は職場の人(人事など)に知られる可能性はあるのかということだったけれど、色々調べたところそういった声は上がっていないようだった。


病院と薬局でこの受給者証を出す。

元々ものすごく高額な医療費というわけではなかったが、非正規雇用の身としては医療費に逼迫されないのは本当にありがたい。


一方で、わたし、皆さんのお金で助けてもらってるんだ、と思う。

わたしなんかが助けてもらってよいのだろうか、と少し思う。


時々は会社に行けないこともあるが、一応働いている。

薄給ではあるが、明日をも知れないというわけでは、今のところない。

実家や親の実家も援助してくれる。


もっとお金のない人もいるだろう。

自分に合う病院が見つからなくて医療機関を転々とする人や、
合わない薬を延々と飲んでいる人もいるだろう。


わたしは支援要りません、もっと困っている人に使ってください、と言えるほど、きれいごとでは生きられない。

わたしが受け取らなかったお金が、ほんとうに必要な人に届くのかといえば、そんな上手いことできてない、この社会は。


健康だったら払う必要のないお金なのだから、それ以外の部分で健康な人と同じようにお金を使って生活するぶんには、なんの負い目を感じる必要もないはずだ。

頭ではわかっている。

でも、いいのかな、という、罪悪感と呼べるほど立派でもない感覚がある。


こういうのは相互扶助で成り立っている。

今は助けてもらうけど、いずれは社会に貢献できればそれでいい。

それも頭ではわかっている。

しかし自分が社会に貢献できる日なんて来るんだろうか。


新卒でもわたしより稼いで税金を納めている人はたくさんいる。
きっと今から収入が激増することはない。

子供を持つつもりもない(子供を持つことが社会への貢献だとはわたしは思わないが、世間のほうはそう思っているのだから仕方ない)。

まあ、会社には給料に対して高いパフォーマンスを提供しているから貢献しているが、そもそもこの会社が社会に貢献しているのかと言われると微妙だ。


なにも役に立つものがないとしても、なにも生みだせないとしても、公的に助けてもらう権利があると、信じられたらどれほどよかっただろう。

国会議員の介助費用ですら、公費から出すことは優遇だと言うひともいるのだ。

わたしなんて、ひとたまりもない。



こんなふうに、人から助けてもらう日が来るとは、想像だにしていなかった。

どちらかと言えば、助けるほうで生きていくんだと思っていた。

いま思えばそれも、尊大きわまりない思想だけど。


助けてもらうことは、きっと、お返しをしないといけないことで、それがわたしにとってものすごく、荷が重いのだ。

社会人5年目だというのに、親にまともな孝行をしたこともない。

演劇をやっていたとき「お世話になった」人との関係性はほとんどすべて絶ってしまった。


助けてもらうこと、お返しをすること。

その関係性の中にいるのが、とてもこわい。


社会では、無償で赦し赦されるということはない。

「やさしさ」や「おもいやり」を取引しているだけだ。


わたしはいつか、返せるんだろうか。


蝉が鳴いている。すこし羨ましい。

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