26歳。老いが怖くなりました。
そいつは、突然やってきた。
しかし今思えば、前兆はありました。
親友が転職するにあたり、「書類が通らなくなってきた」と言っていたこと。
(新卒時も一度目の転職時もあっという間に内定を取った人なので、驚いた。)
目元のくすみが気になってきたこと。
ダイエットしようとすると、体重は落ちるのにお腹の脂肪がなくならないこと。
母が「更年期障害がつらい」と言っていたこと。
そして、インターネットに流れてくる「若者」という言葉が、広くても25歳くらいまでを指していると気付いたこと。
決定的な出来事は、月に一度行く病院で起こりました。
待合室のモニターでいつも流れている映画が、その日は「ハウルの動く城」だった。
映画を見たことはなかったけど、ああ、これかとわかりました。
この絵の感じ、さすがだよなあ、などといい加減な気持ちで眺めていたところ。
あの、可愛らしい女の子が、老婆に変わる映像が目に飛び込んできたのです。
身体がどんどん変化していくそのアニメーション。
自分の老いた姿を認識した女の子の驚き、焦り、悲しみ、絶望、恥ずかしさ。
自分の身体を隠し、縮こまって出掛ける描写に、泣きたい気持ちになってしまった。
わたしも歳を取ったら、あんなふうになるんだろうか。
怖い。なりたくない。
こまっしゃくれた子どもだったので、早く大人になりたかったし。
20歳前後の頃は、若いと舐められるから早く歳を取りたいと思っていたし。
女性に年齢を聞くのは失礼って、そっちのほうが失礼じゃないか、と本気で思っていたし。
年齢を若く言うのは、たとえ冗談でも、自分の生きてきた時間を否定することだ、と信じていた。
でも、わたし気づきました。
老いるの、めっちゃ怖い。
ひとたびこの恐怖に出会うと、世の中のすべてが老いを意識させてくる。
いまはベースメイクを極力薄くしているけど、きっとそれも通用しなくなる。
シミとか、たるみとか、くすみとか、シワとか、いろんなものを隠して隠して、ようやっと出掛けられる。
化粧水や乳液だって変えなくちゃいけないだろう。
体型も変わるし、そうしたら今すきな服も似合わない。
更年期になったら今以上に心身の不調が出てくる。
「50の恵」を注文して、どうせ沢口靖子のようにはなれない、とか言うだろう。(当たり前だ)
やがて「おばさん」から「おばあさん」になるだろう。
「最近の若い人はなってない」とか「平成は良い時代だった」とか言い出すだろう。
ああ、なんてなんてなんて恐ろしい!!!!!
老いは自然現象なのだから、逆らったり隠したりする必要はない。
年齢を重ねることで価値が下がるだなんて、言語道断。
何歳だろうが、人生を楽しみ、輝いている人はいる。
ぜんぶほんとうのことだ。
わたしはいまも、そうだと信じている。
でも、死ぬのは怖くないわたしが、老いることは怖い。
きっとそれは、自分の価値が目減りする恐怖や
自分を好きでいられなくなる恐怖だろうと思う。
そうだとすれば、まずは老いるのが怖いの、認めたほうがいいな。
幸福に歳を取っている人を思い浮かべた。
その歳その歳で、老いに逆らわず、老いを受け入れている人をモデルに考えれば、生き方の参考になると思ったから。
しかし、ゲンダイニッポン、アンチエイジング至上主義。
60代だけどこんなに肌がきれい!えー!見えなーい!
それはもちろん素晴らしく、わたしも憧れるけど、なにかが違うような気がする。
若いほうに寄せないと、けっきょく価値がないのかな、というふうに思える。
「若かった頃」を自分の美の基準値にすると、実際の自分はどんどん老いていくのだから、理想と現実の差は毎秒毎秒ひらいていく。
なんだか、生きていくのが嫌になりそうな話だ。
そうではなくてもっとなにか、ハッピーな解決法をわたしは求めている。
老いること、つまり一日一日を過ごし自分が変化していくことを、それも良いよねと思えるような思考のヒント。
幸福に歳を重ねる女性像、募集。
因みに「ハウルの動く城」が、老いは怖いよという話じゃないことくらいはわたしにもわかる。
でも毎回同じ時間帯にしか行かないので、わたしの中では少女はおばあさんのままだ。
やっぱり、あの子が救われるところまで映画を見たほうがいいかもしれない。