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#4 歩く木物語 〜本当に見つめるべきもの〜

全5回にわたって、ARUKUKI誕生の物語をご紹介していく「歩く木物語」。今回は第4回「本当に見つめるべきもの」です。

前回までの記事はこちらです。


#4 歩く木物語 〜本当に見つめるべきもの〜

夫婦の関係性に向き合い始めて、数か月が経ったころ、私たちはお互いに対して不思議な安心感を持っていることに気がついた。

依存しているのでもなく、互いに自立していながら、互いが大切にしたいことを尊重しながら前に進んでいる感覚。

私たちが何を大切にしたいのか。
何を譲れないと思っているのか。

家庭のこと、仕事のこと、健康のこと。
これからのこと。

私たちは自然と話せるようになっていった。

家庭のために、キャパシティを超える仕事をして、健康を害するのは、私たちにとって幸せなことなのだろうか?

何かと比較して意思決定することは、私たちが心から望んでいる意思決定プロセスなのだろうか?

未来のために、今を犠牲にする生き方は、私たちが好む生き方だろうか?

「どう生きるのか?」
​「なぜ、今、この時代を生きているの?」

​沢山の実存的な問いに向き合う中で、本当に見つめるべきものは、一番近くにあり、どれだけ探しても外側にはないということがわかった。

実存的に生きることはやさしい道ではない。「一般的には○○でしょ」「普通は○○する」そんな当たり前を疑って、自分なりに考え、感じて、答えを出していくのだから。

それでも、私たちは実存的に生きる選択をした。
​そのプロセスは驚くほどゆっくり進む。

(第5話につづく)

ちょこっと解説

ここから先は第4話のちょこっとした解説だよ!

2人の関係性がシフトしていくと、深い安心感が生まれる。それは、2人がトランジションしたからだ。トランジションとは「自分自身が本質的に変わること、環境や心理的変化について理解を深め、受け入れるプロセス」を指す。似た言葉で、チェンジがあるが、2つの言葉は根本的に異なる。

トランジション「自分が本質的に変わる」
チェンジ「自分以外のものを変える」

トランジションには様々な葛藤が起こる。そのプロセスの最中は移行していることに気づきにくいが、移行して振り返ってみると様々な気づきがある。

2人のトランジションの先に実存的に生きるというものがあった。
※実存とは社会的価値観や評価に左右されること無く自分自身の存在を認め、自分らしく生きること。 「我-汝」の実践。ゲシュタルト療法の根幹の哲学でもある。


ここまで読んでくださりありがとうございました!
次回は「#5 歩く木物語 〜ARUKUKI創業〜」につづきます!

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