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8月15日:終戦記念日の憂い事

8月15日:終戦記念日の憂い事


原爆が広島、長崎に落とされ・・・

1945年8月6日、そして、8月9日に原爆が広島、長崎に落とされ、その後、御前会議では、2:2で決まらず、陛下が停戦の側にまわり、3:2で、8月15日の終戦が決まったと言われる。

玉音放送 1945年8月15日、東京・四谷 毎日新聞

特攻機

終戦間際には、航空機による特攻手段、そして、人間魚雷-回天による特攻も盛んに行われた。その特攻機は、知覧(鹿児島)や、そして新田原(にゅうたばる/宮崎)から、若い航空兵が旅立った。よく、片道燃料で特攻に及んだと言われるが、少年航空兵に、そんな無惨なことはさせてはいないと、当時の指揮官は、取材に語った。往復燃料を入れ、もし、迷ったら、必ず帰って来い、その理由は考えてある、と命令を下したと言う。その指揮官からすれば、孫のような年齢の航空兵だ。

人間魚雷-回天

人間魚雷「回天」
人間魚雷「回天」の構造

人間魚雷-回天は、操縦兵の思想提示手段の自爆テロとは異なる
戦況悪化の中の特攻手段としてのみに、人間魚雷-回天は製作された。
伊号潜水艦に搭載された人間魚雷-回天は、1度乗り込むと、もう、戻れないのだ。そして、まず最初は、設計者から、それに乗り込んだと言われる。

その人間魚雷-回天は、操縦兵の思想提示手段の自爆テロとは異なる。
その時点での状況下で、人間魚雷-回天(かいてん)の操縦兵は、国を、国民を守ることの為に志願した。
当時の教育がそうであったから、という以前に、その意識下で現在の時間軸が存在することを忘れてはならない。
とにかく、そういう、あまりに理不尽な戦争という時代があって、今がある。
その経緯と犠牲を忘れてはならないことは確かだろう。

人間魚雷  回天特別攻撃隊

(註)回天の操縦兵他、106名以上の命を費やした事を、米兵の命についても同次元で考えたい・・・

生まれる時代や場所は選べない・・・

この第二次世界大戦(大平洋戦争)では、アメリカ側にも多くの死傷者を出している。
どの方向から、どう考えても、誰しもが、戦争をしたい訳もないのだが・・
この8月15日、それは、辛い事象だが、生まれる時代や場所は選べない・・・
残念だ。

繰り返すが、
それらの犠牲の上に、今日の日常が成り立っていることを忘れてはならないだろう。

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