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写真家-Robert Capaはいなかった。

ロバート・キャパ(Robert Capa-1913-1954)
本名は、*フリードマン・エンドレ(Friedmann Endre)-(仏)アンドレ・フリードマン、20世紀を代表する報道写真家として知られる。
ドイツ政治高等専門学校ジャーナリズム科でも学ぶ、大恐慌等もあり中退後、写真通信社で働く。
1933年からパリを拠点に移した、ユダヤ人だったからだ。
1934年、ユダヤ系女性写真家ゲルダ・タロー(Gerda Taro、1910– 1937)と仕事と生活を共にする。

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そのゲルダは、「過大な業績のあるアメリカ人カメラマン-ロバート・キャパ(Robert Capa)」という架空な人物像を創り出し、出版社や通信社等に、フリードマンとゲルダの報道写真を売り込んだ。
1937年7月12日の号のLIFEに「崩れ落ちる兵士」の撮影者がロバート・キャパと記され、それから著名となったといわれる。この写真については、諸説をともなう。

LIFE- 崩れ落ちる兵士 -1936


そして、ゲルダは1937年7月26日にスペインの内戦で死亡する、何とも、まだ、26才だ。
1938年には、写真集「生み出される死(Death In The Making)」が発売された。それには、キャパとゲルダの共著となっている。
その後も、この架空の写真家ロバート・キャパは、戦争の報道カメラマンとして、LIFE等を通して世界的に著名になっていく、
1944年のノルマンディー上陸作戦を取材写真は代表的な写真だろう。
1947年に、国際写真家集団-マグナム(Magnum Photos)をアンリ・カルティエ=ブレッソンたちと立ち上げている。その中には、ユージン・スミスも在籍する。
1954年5月25日、北ベトナムにて取材中に地雷に巻き込まれて死亡した。

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そして、報道写真世界のロバート・キャパ賞(Robert Capa Award)は有名だ。
1970年には、日本の報道写真家-沢田教一(1936-1970)に賞を与えられた。
沢田教一は、ベトナム戦争の報道で著名だが、カンボジアの内戦で取材中に銃撃されて死亡した。
報道写真は、いつも死と隣り合わせだ、それは、現場での絵(状況)を伝えるには仕方のないこと、、なのかも知れない。

(註)*フリードマン・エンドレ(Friedmann Endre-1913-1954)または、アンドレ・フリードマン(仏)
ハンガリーの生まれ、後に、アメリカ合衆国の国籍(1946)となる。
スペイン内戦(1936-1939)、日中戦争(1937-1945)、第二次世界大戦(1939-1945)のヨーロッパ戦線、第1次中東戦争(1948-1949)、第1次インドシナ戦争(1946-1954)の取材で活躍した。
若い頃の共産主義も重なり、正義が、先立つ人物だったのだろう、キャパという架空の人物を演じること、そして有名になるきっかけの写真「崩れ落ちる兵士」で、LIFEの解釈と違う状況であった、そういった事が、後のノルマンディ上陸作戦の命がけの手法に変わって行ったのかもの知れない。
ただ、いずれにしても、まず、有名にること(それは発表さえもできないからだ)、そして、戦場という非情な現場で真実を伝えなければならない責任感、それをフリードマン・エンドレは、架空の人物-”ロバート・キャパ”の中に置いていたのだろう。

後に、それらを通して、ピカソ、ヘミングウエイ、岡本太郎、イングリッド・バーグマン等との交流も著名である。ちなみにピカソの大作-ゲルニカは、スペイン内戦を情報(ラジオと新聞写真)だけでわずかな期間で描いている、それらを通してコンセプトの共通項目は多い。

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