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バウハウス前夜 - アンリ・ヴァン・デ・ヴェルデ

アンリ・ヴァン・デ・ヴェルデ(Henry van de Velde, 1863 - 1957)
ベルギーの建築家・デザイナー、画家・教育者・評論家。アール・ヌーヴォーからモダンデザインへと展開した。

1906年-ドイツヴァイマルに建てられた工芸学校 Kunstgewerbeschule 。

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パリで印象派の絵画に影響を受け、
1887年、ベルギーでアール・アンデパンダン(独立芸術)を設立した。
ベルギー以外に、フランス、ドイツ、オランダでの功績も過大だ。
ウィリアム・モリスの影響下にアーツアンドクラフト運動に傾倒する。
1895年、建築と装飾の統合を研究を行っていた。それは、家具から食器に至るまで、有機フォルムのアール・ヌーヴォーを試みた。ドレスデン工業博覧会では、国際的に高い評価を得ている。
1901年、ドイツのザクセン大公から、芸術顧問に招聘される、そして、
1902年、私設の「工芸ゼミナール」を設立した。
1908年、大公立工芸学校の設立に伴い校長となる、それが、グロピウスに継承され後のバウハウス(ワイマール美術学校)となる。それは、第一次世界大戦があったからだ。
1907年、ドイツ工作連盟設立に尽力する。
ドイツ時代には、グラフィック作品、美術館等の公共建築の設計、産業工芸デザインなどを手掛けるなど多彩な芸術家であった。また教育に尽くした貢献も大きい。
1957年10月25日、チューリッヒで死去。

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       (c)Henry van de Velde,

(註)バウハウスの地-ワイマール、そのワイマール憲法は,生存権的基本権を構成しており、自由主義的・民主主義的共和国の建設という理念を目標としていた。
ただ、その第48条の大統領の非常権力に関する規定があり、ナチスの発生を許してしまうことになる。このアンリ・ヴァン・デ・ヴェルデの自由主義的な美術運動も、やはりそうだが、、創始者はいつも苦難の連続だ。


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