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#2020年秋の美術・芸術!コンテスト-中間のご報告:ベレー帽と翡翠のループタイが似合う祖父と。#美術巡礼

#2020年秋の美術・芸術 !コンテスト-中間のご報告として、基本は、ほぼ時系列に(多少の順不動お許しください)、応募いただいた作品を、1作品ごとに、短文で評を入れさせていただき掲載させて頂きます。まずは、ご応募ありがとうございます。また、これから、応募ご希望の方も、ご覧いただき、気軽に応募くださいませ。(評を優先しますが、その間に、私の美術系のコラムの日もございます。この先の予定は応募作品の量的な流れで、そちらを優先として、変更があるかも知れませんこと、ご了承下さいませ)

・ベレー帽と翡翠のループタイが似合う祖父と。#美術巡礼
rinchanさま、ありがとうございます。

評:ご祖父と巡る美術館、そこで、作者が、ご祖父に向ける眼差しは、その年齢的な時間差と表象に対する、ご祖父のお気持ちと寄り添う、同時性を感じる。それは、巡り合った美術作品に対しても、同じ文脈で繋がるのだ。
そして、ご祖父の古美術に対する造詣の深さは、文章から感じられる。

項目:「記憶のなかの作品たち」では、そして、作者の造詣の深さと共に、作者の優しさのエッセンスを感じるのだ。
例えば、本阿弥 光悦(ほんあみ こうえつ/1558年-1637)の赤楽茶碗 銘「乙御前(おとごぜ)」手に馴染むフィット感、、その質感(テクスチャ/texture)は、リアルな具体性を持っている。
尾形乾山。舟橋蒔絵硯箱、と移行し、作者の視点がウィリアム・モリスのような視点として、それらへのコメントは、その造詣の深さと相まって、実に絶妙だ。そして、料理の盛り付けつけにまで、至るのだ、ある意味、それは魯山人のような視点(極)だ。

項目:「菱田春草」(1874-1911年/岡倉天心の下で、横山大観や、速水御舟と共に、明治期の日本画の革新性を与えた画家だ)の猫シリーズ-「白き猫」「黒き猫」「春日」「黒猫」「梅に猫」につながる。「清楚で凛とした空気感が優しさを醸し・・」岡倉天心からの流れを、春草の中で確立した画業を短い言葉で、確実につかんでいる。

項目:「久しぶりの美術館」(福田美術館-京都嵐山:大観と春草 )
その菱田春草をご祖父は好まれていたようだ、なぜ、休日毎に、全国の美術館に行かれたのか?
その回答は要らないだろう、本物の美術品が厳格な面持ちで、ご祖父を待っていたからだ。
そして、人は、生まれる時代や地域を選べないのだ・・
時には、軍歌を歌い、その戦争で、ご家族を亡くされた、寡黙で実直な人柄がご祖父と、ご一緒に美術館を巡っていると感じた。その流れから、ご祖父の視点は、作者に確実に受け継がれているのだ。

古美術の作品の制作時から、その間、数百年もの時間差(時代の変遷)はあるのだが、作者は、古来の美術作品の制作者の意図を、同時性を持って、簡潔に自ら、受け入れて語っているのだ。それは、今は忘れられている、人としての本来像や優しさや、そして、表象された美術作品に対する造詣の深さを物語っている。このエッセイからは、時間軸と共にある、メメント・モリ(羅-memento mori/死生観)が、今は亡き美術の作者やご祖父の心意気として感じる、それは、このエッセイの作者の視線(極)を、通して伝わってくると言うことだ。-artoday

#2020年秋の美術・芸術

(追記)応募の要項をご覧になり、是非、気軽にご応募くださいませ。

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