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エマ・ホーク:究極の愛の手紙(アウトサイダーアート)

エマ・ホーク(Emma Hauck,(1878-1920/ドイツ)
アウトサイダー・アーティスト(初期のアール・ブリュット)
その熱意のアートに、100年近く後、ブラザーズクエイ(映画製作者)も映画を製作している。

Herzensschatzikommのコピー

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by Emma Hauck ( (public domain)

エマ・ホークは、けっして、芸術家ではないし、有識者が知る限り、わずかにも芸術の意向さえも、なかっただろう。
1909年にハイデルベルクの大学精神科病院から、夫に宛てて書いた、12通の熱烈な手紙には、絶望的な孤独と無力さの表現であった。
しかし、その特徴が、実に美しい芸術的成果として、観るものの心を揺さぶるものがあるだ。

1878年、エルヴァンゲン(Ellwangen/ドイツ)生まれた。 そして、エマ・ホークは、学校の教師である夫と結婚し、2人の娘の母親として暮らしていたが、エマ・ホークは、食べ物を毒されて子供たちに感染していると信じて、激しい不安、妄想、家族からの引きこもり、そして、苦しんだ後、病院に入院した。(当時の病名は、早期痴呆症だった)
そして夫の愛情の問題で、より病気になったと信じ込んでいた。
彼女は一人暮らしをしたいという望を表面化したのだ。が、反面、夫に戻るように強迫的に手紙を書き綴ったのだ。
いくつかの手紙の中で、彼女の繰り返しの愛情表現、夫への彼女の助の呼びかけ-「Herzensschatzi komm」(Darling come/ドイツ語-夫が来る)-そして単一の叫び「komm」(come)さえも何度も繰り返され、ページ全体を端から端まで埋め尽くしている、その後、文字が読めなくなるまで、同じ単語で何度も上書きをされている。
Hauckの言葉は非常に緊密に、そして強く圧縮され、上書きされている。

それらは、ページ上に暗く振動する垂直の列を形成し、文字をほとんど表現的に抽象化として表示し、純粋に美的な喜びを見つけるようなのだ。
「最も単純な落書きでさえ・・・それは、表現力豊かなジェスチャーの現れとして、精神的な要素の担い手である。そして、精神的な生活の全領域は、その要素の背後にある視点であるかのようだ。」-ハンス・プリンツホルン(精神科医,芸術史家)の認識

ここで、見るものを特に悩ませるのは、なんと、手紙が投稿されなかったことだろう。
彼女の夫はそれらを読むことができず、彼は彼女を連れ戻るため迎えに来ることはなかった。
1920年に、ヴィースロッホ(ドイツ語: Wiesloch)の病院で亡くなっている。
その作品は、後もずっとハイデルベルクのプリンツホルン・コレクション(ハイデルベルク大学の医学部病院-精神科医で芸術史家のハンス・プリンツホルンの主宰するコレクション)に収蔵されている。

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by Emma Hauck ( (public domain)

その後、2000年になり、ブラザーズクエイ(The Brothers Quay)は、エマ・ホークの手紙を記録した映画「インアブセンティア(In Absentia/欠席裁判)」を監督した。
これは、2013年に、ニューヨーク近代美術館(MoMA)で開催された展示会-Quay Brothers:On the Deciphering the Pharmacist’s Prescription for Lip-Reading Puppetsに含まれていた。(Quay Brothers:読唇術-人形のための薬剤師の処方箋の解読について)

ブラザーズクエイ


In Absentia

(追記)小学生の低学年の時、村井正誠氏(モダンアート)の絵画を銀座の画廊に母に連れられて見に入ったことがあった。そこには、巨大なキャンパスに、一面に黒の油彩絵の具のみが塗ってあるだけだった。ただ、筆致はあるのだが、その筆致(マチエール)を、今、エマ・ホークから思い出した。そして、いけない事に、私は、美術の課題に黒のみ厚塗りの水彩画を模写して描いたのだ、その結果、真面目に美術の授業を受けるよう、母親に書かれた手紙を持たされた・・・そこで、母は黙っている筈もなかったのだが・・・・・いや、もう、どうでもいい。

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