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天体がささやく旋律 -ジュディ・シルの音楽の魅惑


 
 【金曜日は音楽の日】
 
 
私はシンガー・ソングライターの音楽が好きですが、その中でも、どちらかと言えば、自分の身の回りや思いをシンプルに歌うよりも様々な音楽を取り入れて、象徴的な表現を使って、異界の幻想を描きだしてしまうシンガー・ソングライターが好きだったりします。
 
以前書いたランディ・ニューマンしかり、ブルース・コバーンしかり。ジョニ・ミッチェルやジェイムス・テイラーのような一聴すると私小説的なシンガー・ソングライターにも、そういう側面があります。
 
そんな幻想的なシンガー・ソングライターの中でも、極め付きの才能の持ち主が、ジュディ・シルです。
 
澄んだ歌声で、バッハに影響を受けたという天使や神の愛を歌った美しいチェンバー・ポップの歌を歌う、自作自演のシンガー・ソングライター。しかし、その半生は壮絶なものでした。


ファーストアルバム『ジュディ・シル』
のジャケット




ジュディ・シルは、1944年、カリフォルニア生まれ。幼い頃に父親を亡くし、母が再婚した義父とはうまくいかず、虐待を受けたこともあり早々に学校をドロップアウトします。


ジュディ・シル


 
ジュディの未発表音源をまとめた2005年の『ドリームス・カム・トゥルー』には、彼女の友人たちや彼女自身の生々しい証言をまとめたブックレットがついていました。
 
それによると、高校で煙草を吸い、音楽が聴ける場所に入り浸り、不良と付き合っていたとのこと。

この時、女性とも関係を持っていたらしいですが、それについては、何でも試してみる性格の表れであって、いつも男性との付き合いを望んでいたという証言もあります。そして、こんな友人の言葉も。


でも、ジュディは、無理して不良になろうとしたわけじゃない。彼女自身はそんなことを意識していなかったかもしれないけど、彼女には権威的なものに対する反抗心や、崩壊した自分の家族に向けて反抗していたところがあったんだと思う。




しかし、16歳でマリファナを吸い、薬の売人と共に、ガソリンスタンドで強盗して捕まり、少年院行きになります。
 
出所してからもおさまるどころか、LSDとヘロインに溺れ、金銭のため売春をして、不渡り小切手を出し、20歳の時には文書偽造や麻薬関連で再び捕まり、刑務所へ。

誰一人保釈に現れず、家族で唯一仲の良かった兄が病死したことを、塀の中で知る始末でした。




しかし、この刑務所で、ソングライターになる夢を描いていたと、ジュディは語っています。そして出所して、曲を創り始めると、良い曲が次々に出来たとも。
 
LAのローレル・キャニオンに居を構えると、人気グループのタートルズに『レディー・オー』を提供し、スマッシュヒットします。



 
そして、友人の一人が、大物の音楽エージェントだったデヴィッド・ゲフィンに、ジュディの演奏を聞いてみるよう推薦します。
 
ゲフィンは、彼女の歌を聞いて、自身が新しく興したレーベル「アサイラム」に迎え、1971年、アサイラムの第一回アルバムとして、『ジュディ・シル』が発売されます。




『ジュディ・シル』は、驚くべき美しさに満ちたアルバムです。
 


柔らかいフォーキーなギターのアルペジオに、品の良い柔らかい管弦楽が控えめに絡み、聖歌のように清らかで、かつ親しみやすいメロディが溢れ出します。
 
ジュディの歌声は、滑らかで糖蜜のように甘く澄みつつも、老婆のような落ち着きがあります。
 
そんな歌声で歌われるのは、クレヨンの天使、幽霊のカウボーイ、魔法の飛行機。

幻想の中で聖霊が乱舞し、失われた愛、神への懐かしさが歌われる。
 
代表作『ジーザス・ワズ・ア・クロスメーカー』は、こんな歌詞です。


海の上の美しい銀色の天使たち
私の方に降りてきて

かつて私は見知らぬ人を信じ
その美しい歌に魅了された
何かおかしなものを感じた時
振り返ったら彼はいなかった
 
私を盲目にし、彼の歌はいつまでも心に残る
彼は盗賊、私の心を壊す
ああ、イエスは苦難を与えたもう


高揚感溢れるコーラスも併せて、ゴスペル的に盛り上がる美しい曲。しかし、何を伝えようとしているのかは、かなり謎です。
 
ある種の神秘、恍惚のようなものを、刻もうとしているのかもしれない。基本的に彼女の歌の世界は全て、そんな神秘体験の変奏と言って良いと思います。






ジュディ自身は、ボブ・ディランやジョーン・バエズと言ったフォークミュージシャンだけでなく、バッハから影響を受けたと言っています。
 
友人の証言によると、バッハのミサ曲を何か月も聞いていたこともあるとのこと。後にミサの典礼文「キリエ・エレイソン」(主よ憐れみ給え)を用いた傑作『ドナー』という曲も創っています。


 




また、古代ギリシアの数学者・哲学者ピタゴラスの音楽理論書『天体の音楽』を読んで、それを応用したという、何とも怪しげな話もあります。

いわゆる「ピタゴラス音階」は、西洋音楽の平均律ができる前の音階ですが、どこまで本気か分からない、こうした逸話は、彼女の音楽のありようをよく表しています。
 
60年代のヒッピーイズムの中の神秘志向、そして、彼女の宿痾となった、ドラッグによるトリップ体験も間違いなくあります。




楽理的に見れば、クラシカルというより、直接的にゴスペルとカントリー音楽の影響が強いように思えます。
 
ただ、全体に漂うリラックスした空気感と、うねるようにシンコペーションを効かせて言葉を詰め込む歌唱等は、バッハのフーガやバロックの華やかさのエッセンスを、うまくフォーク音楽に融合させたと言えるのかもしれません。
 
ジュディ自身こう語るのが、彼女の音楽にある「神秘」の意味を表しているのでしょう。


私の音楽的なターニング・ポイントは、錬金術やスピリチュアルな事柄に興味を持ち出したことだった。それらの事柄が私の音楽に強い影響を与えている。

でもそれは、一朝一夕に始まったことじゃなかった。ある朝、ベッドに寝たままで「自分のやりたいことが分かったわ!」って思ったの。私はリスナーを誘惑して、彼らの心を開かせたいと思うようになったのよ




ゲフィンは、アサイラムで、ジョニ・ミッチェルや、ジャクソン・ブラウンといった名ソングライターを送り出し、イーグルスとリンダ・ロンシュタットを成功に導きました。

90年代には自身の名を冠した「ゲフィン」レーベルで、ニルヴァーナやソニック・ユース、ガンズアンドローゼズや、ベックを見事に売り出した、芸術性と大衆性を見極められる、まさに名伯楽でした。ジュディの前途も洋々と広がっているかに見えました。




しかし、ファーストアルバムは売れず、ジュディは、ゲフィンに不満を持つことに。
 
同性愛者だったゲフィンをジュディが「デブのおかま」と罵ったため、ゲフィンがプロモーションから手を引き、ジュディは何日もゲフィンの家の周りをうろついていたという、噓か本当か分からない、ろくでもない話も残っています。

聖なる絵を描きながら、狼藉の果ての殺人を犯したカラバッジョのごとく、ジュディの人生は、歌の世界とかけ離れていました。

73年の『ハート・フード』も前作に劣らない傑作でしたが、これも売れず。



 
彼女自身、ドラッグ中毒が治らず、自動車事故に遭って、脊椎を損傷してしまいます。友人たちの証言によると、ジュディの運転はいつも危険なものだったらしく、四六時中トリップしていたようにも思えてきます。
 
その後セッションが残されたものの、事故の治療がうまくいかず、より強力な鎮痛剤を求めて、中毒になり、1979年に35歳で亡くなっています。先のブックレットにはこんな証言もあります。


彼女の死が意図的なものだったのかどうかは分からない。事故だったのかもしれないし、そうじゃなかったのかもしれないし・・・。彼女はいろんなことがうまくいっていなかった。だから、「ここにいるのが嫌になってしまった」という感じだったんだと思う。




なぜ、彼女の歌は売れなかったのか。

ゲフィンは彼女のパーソナリティや生活については、まあ嫌っていたでしょうが、それでプロモーションを止めるようにも思えません。おそらく、彼女自身の音楽の方が、問題だったように思えます。
 
彼女の音楽は、強烈な神秘体験を歌ったものですが、彼女自身の内面はどこまでも見えてきません。

暗い虐待や、逮捕、刑務所の半生等を歌うことは、一度もありませんでした。彼女自身、それを歌にしたくないという思いはあったのでしょう。
 
しかし、時代はそれと真逆に、自身の内面を歌うシンガー・ソングライターの時代でした。



 

自殺した友人を歌うジェイムス・テイラーや、ジャクソン・ブラウン、別れた恋人の軛から離れて自由を歌うジョニ・ミッチェル、「いつでも君には友達がいるよ」と、優しく呼びかけるキャロル・キング。



 
時は70年代初頭。60年代の狂騒的なヒッピーイズムの終焉や、長いベトナム戦争でアメリカ国民は疲弊し「癒し」を求めていました。シンガーが自身の内面を吐露し、その思いに共感して、一緒に口ずさんで涙するような音楽です。
 
「リスナーを誘惑する」ような、狂気に近い神秘体験は求められていなかったのでしょう。ジュディの方も、傷を癒したいとも思っていなかったはずです。

ジュディは、素晴らしい才能を持ちながら、ボタンを掛け違え、時代とすれ違ってしまったような気がします。




しかし、2000年代にリイシューされた辺りから、再評価も進みました。『ドリームス・カム・トゥルー』は、事故治療後の最後のセッションを、現代的にクリアにリミックスした曲集に、彼女の初期の未発表デモ音源をプラスした、素晴らしい曲集です。



 
その一曲目の『ザッツ・スピリット』の、晴れやかな透明感こそ、まさに彼女が到達したものでしょう。


ひとつの星が低地を照らし
全ての岩を露わにする
私たちを故郷に導けるのはあなただけ
彼らは私を鎖でつなごうとするかもしれない
 
私はまだ彷徨っている
うっとりと眠って
起きると捕らえられている
それは私を恐れさせる
私の故郷は私の復活の場所よりも西方にある



To sleep enraputured, waking up caputured という美しい韻は、彼女の音楽の本質を表しているように思えます。
 
自身の苦難の人生を浄化して濾過した後に残った、この世を超えた天体が奏でるような、ジュディ・シルの音楽世界に、是非一度触れていただければ。きっと心に残る体験になると思います。
 

 


今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。


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