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都市の輝くノイズ -ソニック・ユースの音楽の美しさ


 
 
【金曜日は音楽の日】
 
 
ノイズとは、その全てが邪魔なものではなく、時には美しい響きで以って、自分を包んでくれます。
 
そのことを私に感じさせてくれたのが、90年代に活躍したロックバンド、ソニック・ユースでした。今では正直あまり顧みられることの少ないこのバンドについて、今日は語りたいと思います。




ソニック・ユースは、1981年に結成。1970年代後半からニューヨークのアートシーンで活動していた、サーストン・ムーア、キム・ゴードン(後に二人は結婚)が中心となり、こちらもニューヨークのアングラシーンで前衛音楽集団にいたリー・ラナルドも入って、インディーズでアルバムデビュー。
 
凄まじいノイズの嵐によるプリミティヴなガレージ・ロックは、徐々に評判になります。

当初はドラムに致命的な弱点を抱えていたものの、86年に、スティーブ・シェリーがドラマーとして参加すると、しなやかで跳ねるドラムにより、アンサンブルも安定し、即興も広がります。

 

ソニック・ユース
左からリー・ラナルド
サーストン・ムーア
キム・ゴードン
スティーブ・シェリー



88年の二枚組アルバム『デイドリーム・ネイション』は、集大成的な傑作で絶賛されます。そして、バンドはゲフィン・レーベルと契約を交わすと、90年『GOO』で、結成から約10年経ってメジャー・デビューを果たすことになります。
 
折しもレーベルメートで後輩のニルヴァーナがアルバム『ネヴァーマインド』を大ヒットさせ、ノイズにまみれた彼らのロックは、「グランジ」と呼ばれて、一世を風靡することになります。




ソニック・ユースの音楽を一言で言うと、ノイズとポップを融合させた、アートなパンクロックです。
 
彼らはエレキギターやエフェクターを自分達で改造して、長大なディストーションやフィードバックのノイズを塗り重ねました。

ライブでは、即興でノイズアンサンブルを繰り出していましたし、アルバムでの曲の開始のリフやオブリガートもノイズまみれです。
 
といっても、そのノイズは、決してアゲアゲでも攻撃的でも不快でもありません。
 
陶酔的でありつつダウナーで突き放す質感。スピリチュアルでないにもかかわらず、どこか涅槃にいるような感触をもたらす。そんなクールなサイケデリアになっていました。




そして、彼らの強みは、良い曲を作って歌える優れたシンガー・ソングライターを3人擁していたこと。
 
アルバムの半分近くを手掛けるサーストンの曲は、シュールな尖った歌詞が乗るパンキッシュな曲調。やさぐれた彼のボーカルに合っています。



 
キムの歌は、情念をカットアップしたような歌詞を吐き捨てる、ハードコアなナンバー。

剥き出しのシャウトから、沸々とたぎるようなふらつく囁きまで、サーストン曲にはない表情の豊かさがあります。




 
毎回アルバムに1、2曲ある、ビートルズで言うところの「ジョージ・ハリソン枠」が、リーのナンバー。
 
サーストン・キム夫妻と違い、リーの曲は、ロマンチックな抒情や都会の孤独な呟きに満ちて、物語性があります。ジェントルなメロディに、朴訥な歌声や朗読が乗る彼の曲が、私は一番好きです。





彼らが面白いのは、アングラなニューヨーク・パンク出身でありながら、ポップの表現にもアンテナを広げていたこと。
 
インディー時代は、マドンナの全米No.1曲『イントゥ・ザ・グルーヴ』をカバーしています。マドンナは元々ニューヨークのクラブシーンから出てきた人なので、これはまあ、そこまでおかしな選択でもない。

しかし、カーペンターズ(!)への関心が一貫しているのが不思議なところ。
 
拒食症で亡くなったボーカルのカレン・カーペンターについて、名声と個人の欲望との関係を考察して、何曲も曲を作っています。また、トリビュートアルバムにも参加し、名曲『スーパー・スター』を、サーストンのねっとりとダウナーな声でカバーしています。




ニューヨーク・パンクは、パティ・スミスを始め、元々音楽とアートの関りが強いシーンです。
 
ソニック・ユースも、アルバムのアートワークには強くこだわっていました。

一番有名なのは、『デイドリーム・ネイション』のロウソクジャケットに引用された、ゲアハルト・リヒターでしょうか。その他もマイク・ケリー(『Dirty』の編みぐるみ人形)等殆どが、アングラなアーティストによるジャケットです。



 
そして、ゲフィンでは、映像表現にも力を注ぎ、当時の気鋭の映画作家達が彼らのクリップを手掛けています。
 
後に『キャロル』等の傑作を撮るトッド・ヘインズ。今はゆるーいバカンス映画が多くなったけど、当時は『ガンモ』等、尖った衝撃的な映画を撮っていた、早熟の天才ハーモニー・コリン。

そして、スケボーを撮ったクールな映像を見て抜擢したのは、後に映画『マルコヴィッチの穴』等で知られる、若き日のスパイク・ジョーンズでした。
 
キムはアパレルブランド『X-girl』の創設に関わり、スティーブは、インディレーベルを主催しています。こうした多岐に渡る活動を行いつつ、90年代には5枚のアルバムをコンスタントに発表しています。
 
商業的には厳しかったものの、まさに、アンダーグラウンド音楽のエッセンスを受け継ぎ、パンクとアートを融合させた、最先端の存在でした。






しかし、ゼロ年代から、そんな旺盛な活動は変化を迎えます。
 
99年のツアー中、今まで使っていたカスタムのギターやエフェクターが大量に盗まれ、バンドは、過去の経験を捨て、一から音楽を組み立てざるを得なくなります。
 
これが結果的に功を奏します。当時気鋭のプロデューサー・ミュージシャンだったジム・オルークがプロデュースとサポートに加わった00年の『NYC・ゴースツ・アンド・フラワーズ』は、静寂で硬質な響きに満ちた、傑作のひとつになりました。
 


2001年の同時多発テロでは、スタジオから避難する等大変な思いを味わいつつ、02年の『ムーレイ・ストリート』もまたエナジーに満ちた秀作になりました。

 




しかし、徐々に活動はフェイドアウト気味に。そして、2011年にサーストンとキムの夫婦は離婚。バンドも活動休止に入ります。
 
キムの自伝『Girl in Band』に生々しく記されている通り、サーストンの浮気が原因であり、感情的なしこりがあるゆえ、恐らく再結成はないと思われます。ソロ活動も多彩ですし、メンバーもほぼ解散状態と認めているようです。
 
離婚が休止の直接の原因だったにせよ、音楽的には、正直『ムーレイ・ストリート』以降のアルバムは、ポップな曲が少なくなり、どこか潤いが無くなっていったように、個人的には感じます。
 
そもそも、シンガーの3人はいずれも50年代半ば生まれ。メジャーデビューした時点で30代後半であり、今はもう70代に入ろうとしています。
 
元々『デイドリーム・ネイション』で有終の美を飾ってもおかしくないバンドであり、寧ろその創造性がここまで長く続いたことを喜ぶべきなのでしょう。




おそらく、彼らは90年代にこそ最も輝けたバンドだったように思えます。
 
冷戦の緊張感が消え、レコード業界は成熟し、80年代のアングラなシーンを表に出すことが、かっこいいという感覚がどこかあった気がしています。
 
グランジ、渋谷系や、クラブ・ミュージック等、流行の売れる音楽の裏返しに、ある種の尖った表現があって、それが居場所を持っていた時代。過去の音楽の表現が、最先端の音楽に溶け込むような時代です。
 
それゆえに、『NYCゴースツ&フラワーズ』や『デイドリーム・ネイション』のソリッドな質感が素晴らしいことを認めつつ、今聞き直すと、90年代のアルバムの方に個人的には惹かれます。



 
それは、都市の雑踏の喧騒と熱気に満ち、それらを冷静に見つめつつ、自分をノイズでカラフルに染める、そんな孤独な都市生活者の音楽でした。私にとって、あの時代の都会の夜を思い起こさせる音楽の一つです。
 
どれほど孤独でも、夜の街を歩いて、ノイズに浸っていれば、自分の人生は、決して灰色ではない。ノイズがあるからこそ、人生は美しく豊かになる。

そのことを、音楽や多彩な活動によって伝えてくれたのが、私にとってのソニック・ユースだったように思えるのです。



お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。



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