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いちばん親密な場所 -お風呂とボナール、そしてプルースト


 
 
19世紀のフランスの画家、ピエール・ボナールの絵画は、親密さと暖かさに満ちています。技法だけでなく、題材として心が安らげる場所をしばしば描いているからです。それは、お風呂です。

ボナール『浴槽』


 
ボナールは、1867年パリ生まれ。裕福なブルジョワ家庭で育ちました。役所でアルバイトをしながら、国立美術学校に通い、絵を研鑽します。

ピエール・ボナール


 
役所の公務員試験には落ち、一流画家の登竜門ローマ賞にも落ちましたが、シャンパンのポスター展で優勝し、一躍有名に。ちなみに、歓楽街ムーランルージュのポスター画家として有名なロートレックに、印刷所を紹介したのは、ボナールでした。

ボナール『シャンパン・カンパーニュ』のポスター


 
その後も、壁画やポスター、絵本等の多彩なジャンルの美術を手掛けます。しかし、40歳頃からはペースを落とし、南仏の家で、ゆったりとしたペースで制作を続けます。

20世紀に入り、ピカソやマティスといった新しい時代のアーティストが出てきても、時流には乗らずに、自分のペースで昔ながらの絵画を描き続け、1947年に79歳の大往生を遂げています。



 
ボナールは、若い頃は「ナビ派」という派閥を結成し、ゴーギャンや日本美術に影響を受けた色彩豊かで平板な絵画を手掛けていました。

しかし、後年は、アンティミスト(親密派)と呼ばれ、妻のマルトを題材とした室内画を主に描きます。それは、若い頃ほど過激に平板ではない、落ち着きつつ、暖かで装飾的な油彩画でした。
 
そこで題材になるのが、「お風呂」もしくは、室内での「湯浴み」です。マルトは大変なお風呂好きで、日に何度も入る程だったといいます。

ボナール『浴槽の裸婦』
プティ・パレ美術館蔵



 
これ程個人の風呂が絵画の題材になるのは、実のところ、珍しく、斬新な感じがあります。というのも、古代から風呂の絵画と言えば、何と言っても大浴場であり、空想の中でのローマの大浴場や、トルコのハーレムの風呂は、多くの画家の題材になってきました。
 
それが室内での湯浴みや、浴槽の絵画になったのは、身も蓋もない言い方ですが、上下水道の設備が整えられ、庶民(ボナールは割と裕福なブルジョワですが)でも、家で湯浴みをするという文化が浸透したからでしょう。
 
そうすることで、室内での親密さを表すのに、新しい表現の幅が出来ます。




例えば、ボナールの同時代人の小説家、プルーストの大長編小説『失われた時を求めて』の一編『囚われの女』を見てみましょう。

主人公の「私」は、恋人のアルベルチーヌとパリのアパルトマンで同棲生活を始めます。その冒頭にこのような記述があります(「フランソワーズ」は私の老召使のこと)。

アルベルチーヌはフランソワーズの口から、私がまだカーテンをしめきった部屋の暗闇のなかで、もうねむりからさめているときかされると、彼女の化粧室で湯あみをしながら、遠慮をせずに、すこし物音をたてるのだった。すると、しばしば私は、もっと遅い時間を待たないで、すぐさま私の浴室にはいってゆく、それは彼女の浴室に隣りあっていて快適なところだった。
 
(中略)
 
私には、アルベルチーヌがひっきりなしにさえずっているのがきこえた。
 
恋に苦しむのは、おばかさん
それをまともにきくのは、もっとおばかさん
 
私は彼女を愛していたあまりに、彼女の音楽的趣味にも上機嫌でほほえまずにはいられなかった。
 
(中略)
 
私たち二人の化粧室をへだてている仕切壁は大変薄かったので、私たちは別々の化粧室でからだを洗いながらたがいに話をすることができたのであり、おしゃべりのつづきがときどき水音にさえぎられるだけで、そのうちとけた親しさは、ホテルでは、建物がせまく部屋がくっついているときによくかもしだされるが、パリの住まいではめったにないことなのだ。

井上究一郎訳を一部抜粋

 
このシーンが美しいのは、水音を介して、二人の恋人が、お互いの音で、存在を確かめ合っているからでしょう。

水は、人の気持ちを開放して、リラックスさせます。その場所が部屋の中にあり、水音が響くことで、より親密なコミュニケーションとなる。そんな新しい時代の表現と呼べるかもしれません。




 
そして、ボナールの絵画もまた、そうしたある種の親密さを感じさせます。彼が若い頃に培った装飾的な表現が、狭い浴室を捉えるのにうまくフィットしています。この狭さと、平板さが、水音とは別の、親密さを感じさせます。
 
実のところ、「大浴場」絵画というのは、古代から、裸体を大量に描けるという意味で、幾分ポルノグラフィックな部分があったわけですが、そうした好奇な視線でなく、二人きりでしか見られない光景を描くということが、非常に新しい感覚と言えるのです。


ボナール『逆光の裸婦』
ベルギー王立美術館蔵



 
 
しかし、この密閉された親密さには、古代の大浴場にはない、暗い影もあります。

有名な話ですが、実は、ボナールはマルトの他に20歳以上年下の愛人がいたことがあります。ボナールが50代になって、ようやくマルトと結婚を決める(2人が出会ったのはお互い20代の頃です)と、その愛人は自殺してしまいます。
 
しかも、浴槽で。第一発見者はボナールでした。
 
それ以降、ボナールは、友人たちとも疎遠になり、妻マルトと南仏に移り、妻の湯浴みの絵を大量に残すことになります。

愛人の自殺した浴槽で、妻を描く。ただのブルジョワ的な室内画と思われがちな(同時代から既に言われていました)ボナールの、常人には計り知れない、陰鬱な部分を感じさせます。

それは、プルーストも同じです。一緒のシャワーの、大変親密で幸福な場面は冒頭くらい。その後は、嫉妬と疑惑の地獄のような同棲生活となり、アルベルチーヌはとうとう出奔してしまいます。そして、それもまた死に結びついていくのです。



 
考えてみると、人間の根源である水がある場所というのは、古代では、権力や、その庇護を受けた民衆みんなのものでした。

そんな水が、おのが部屋でいつでも手に入れられるようになるようになった過程は、革命と民主化による、平等と自由の概念の浸透と並行しています。
 
と同時に、それぞれの個人が尊重され、プライベートな空間が生まれた時、水と結びついて、浴室という最も親密な空間が出来て、それはまた、個人の闇をもはらむ空間となる。

そんな近代生活が見えてくるのもまた、ボナールの絵画やプルーストの小説であり、そうした背景に着目して美術を見てみると、また新たな発見があることでしょう。


今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。


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