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【エッセイ#38】エメラルドの夜 -映画『泥棒成金』とラグジュアリー


この前、ヒッチコックとデ・パルマの『殺しのドレス』の関係について書きました。

 
ヒッチコックの映画は、デ・パルマにとっての妄執のようなものであり、特に『殺しのドレス』では、『サイコ』と『めまい』が、悪夢のようなデフォルメをされていました。
 
ところで、最近、もう一つ、ヒッチコックの作品がデフォルメをされているのを見つけました。それは、映画ではなく、カルティエのジュエリーのCMです。


 美しい海のリゾート地。金髪の女性、切り立った崖のドライブ、ドレスに着飾って暗い部屋から花火を見つめる夜。
 
エル=ファニングが出演しているこのCMを見れば、下敷きにしているのは、ヒッチコックの『泥棒成金』と分かります。
 
これは、ある種のパスティーシュであり、短いCMとしてよくできています。『殺しのドレス』と、同様のカリカチュアでありつつ、ヒッチコック作品のある側面を的確に捉えています。


 
私自身が一番好きで影響を受けたヒッチコックの作品はというと、『めまい』と言えるかもしれません。初見で大変な衝撃を受けましたし、愛の妄執と時を巡る驚異的な作品であることは間違いありません。
 
しかし、ヒッチコックの中で、今一番思い出すことの多い、気になる作品と言えば、この『泥棒成金』です。そこに、カルティエのCMが取り出して見せたような、ある種ラグジュアリーな雰囲気があるからです。
 



 『泥棒成金』は、1955年のヒッチコック作品。前年は『裏窓』と『ダイヤルMを廻せ』、同年には『ハリーの災難』があり、その次の年は『知りすぎていた男』と『間違えられた男』があります。なんと一年に2本撮って、そのいずれもが秀作という、驚異的な期間に撮られています。
 
51年の『見知らぬ乗客』から、58年の『めまい』、59年の『北北西に進路を取れ』に至るまでの、まさにヒッチコックが、量的にも質的にも、最も脂ののった時期と言って良いでしょう。



ケーリー=グラント演じるロビーは、かつて、「キャット」と呼ばれる宝石泥棒でしたが、今は引退してフランスの高級リゾート地リヴィエラの外れの屋敷で暮らしています。
 
そんな中、リヴィエラの高級ホテルで、かつての彼の手口をまねた宝石の盗難が多発。警察が彼のもとにやってきます。
 
彼は警察をまいて逃走。そのまま、昔のレジスタンス仲間の元に行くも、そこでも冷たくあしらわれ、自分で犯人を捕まえることにします。伝手を使って、犯人がいかにも狙いそうな富豪のフランシーと、その母に近づくことにします。
 
全編が軽快なテンポで進み、誰が犯人なのかという謎解きと、ロビーとフランシーの、警察を挟みながらの恋の行方に、観客の興味は惹きつけられて、あっという間に進みます。

左:グレース=ケリー
右:ケーリー=グラント

 
無実の犯人として巻き込まれるケーリー=グラントは、どんな時でも余裕綽々で、それでいて、フランシーには度々手を焼かされ、困った表情をするのが、最高にはまっています。セクシーかつダンディでありながら、2.5枚目を演じられるのが強み。そんな彼の資質が『北北西に進路を取れ』と並んで最高に表れた作品となっています。
 
フランシー演じるグレース=ケリーは、まさにヒッチコックが生涯探し続けたブロンド美女の最も美しい完成形と言っていいでしょう。クールでありながら、じゃじゃ馬で、怖いもの知らずなところがあり、生き生きとしていて、ケーリー=グラントを振り回す様も素晴らしい。硬軟併せ持つこの二人のコンビ作品が、『泥棒成金』だけになってしまったのは悔やまれます。
 
撮影のロバート=バークスはハリウッド時代のヒッチコックと最も多く組んで、意図を完璧にくみ取ることができた名匠。衣装のイーディス=ヘッドは、50年代のハリウッド映画のゴージャスな衣装を手掛けた名デザイナーで、ここでも、グレース=ケリーのドレスや、スタイリッシュな普段の衣装に技を発揮しています。
 
つまり、この作品は、ヒッチコックだけでなく、50年代ハリウッドの撮影所システム自体が爛熟期を迎えていた、その一番熟れた部分が結晶した作品です。



犯人探しの合間に、煌めくようなシーンが挟まれます。風光明媚なリヴィエラの海を臨みつつの楽しいカーチェイス、夜のホテルの真っ暗な部屋に花火だけが輝く、美しいラブシーン。
 
とりわけクライマックスの仮面舞踏会でも重要なファクターとなる「夜」は、どこかエメラルドを思わせる緑色の照明と、紺色の闇が溶け合って、魅惑的な美しさです。まさに、エメラルドの宝石そのものの夜と言っていいでしょう(余談ですが、以前出ていたDVDでは、この緑の照明と紺の背景が分離してしまい、おかしなことになっていました。最新のデジタルリマスターblu-rayでは、ちゃんと溶け合って、以前より遥かに鮮明な夜になっています)。

『泥棒成金』

 
この映画全体が、そうした、魅惑的なシーンを随所にちりばめた、美しい宝石の首飾りのようなものと言って良いかもしれません。

ただ単に大きな宝石を並べたから、素晴らしいジュエリーになるのではない。適切なカットと、人目を惹き、尚且つ持ち主が身に付けて心地よいデザインがあって、ジュエリーとなります。

それが、ラグジュアリーということであり、素晴らしい俳優、映画全盛期のスタッフによる撮影、編集によってできたこのジュエリーのような映画は、まさに心地よく人を高揚させるラグジュアリーを創り出すことに成功したのです。

『泥棒成金』
グレース=ケリー


同時に、このジュエリーには、どこか危険な香りも漂っています。
 
ロビーや、フランシーの行動は、一歩間違えば、身の破滅になりかねない、危険なものです。また、ロビーがなぜそもそも、悠々自適な生活をできていたかと言えば、第二次大戦中、フランスでナチスに対するレジスタンス活動に参加していたからです。
 
ある種、それが免罪符になっており、逆に、元レジスタンス達との仲は上手くいっていません。おそらく、表面以上に血なまぐさい、決して語ることのできない過去があったことが示唆されます。
 
そして、そうした危険な香りは、現実にも波及します。ロビーとフランシーがカーチェイスというかドライブする場所は、見晴らしがよくも、道がうねった危険な場所なのですが、現実のグレース=ケリーは、この作品の後、モナコ公妃となって引退し、1982年にこの場所の近くで、自動車事故によって亡くなっているのです。


 
私はコナン=ドイルの『青いガーネット』を思い出します。この作品で、ひょんなことから、魅惑的なガーネットの宝石を手に入れたシャーロック=ホームズは、その盗難の真相を探る前に、ワトソンにこう言います。

みごとだな。ほら、こんなに光りかがやいている。むろん、犯罪の核心・焦点になる道理だよ。よい宝石はすべてそうだ。悪魔が好んで餌に使うのだよ。これよりもっと大きくて古い宝石になると、血なまぐさい事件が、その面の数ぐらい起こっているだろう。

阿部知二訳

 
宝石とは、まさに悪魔の力を持つ、危険なものです。ラグジュアリーの奥にはそうした魔力があります。それゆえに、人を魅惑して離さない。それは、以前お話しした、志賀直哉や小津安二郎の一見穏やかな作品の根底に流れる、暗い欲望に呼応するものと言えるかもしれません。

闇の魔力が強ければ強くなるほど、ジュエリーもまた輝きを増していく。全編がエメラルドの蠱惑的な輝きを放つ『泥棒成金』の魅惑も、そういった部分にあるのでしょう。そんなことを頭の片隅にいれて、この傑作をご覧になれば、より魅力的な体験になると思っています。



今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。


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