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ルネッサンスへの助走と、フィレンツェの商人達。n.3 - 毛織物組合&絹織物組合の巻。

今回は第3回目で最終回です。前回までは、こちらです。

21組合からなる商業活動により、フィレンツェ中心街には、多くの工房が立ち並び、仕事を求めて田舎から移住してくる人が後を絶ちません。

国は豊かになり人口も増えたので、自分たちの国に相応しい大きな寺院が欲しくなります。

サンタレパラータ教会は、フィレンツェ共和国の心。
愛してやまない寺院。

しかし全員を収容しきれず手狭になってしまった。
そろそろ建て替えた方がいいのでは?

よし!建て替えるなら、
世界一を誇る、世界で一番の自分たちの寺院を作るんだ!

・・・さて、資金をどうしよう。

儲けたお金で私利私欲に走ると、最後の審判の日に、神からの裁きに合い奈落の底に突き落とされてしまう。国や民衆が喜ぶことに、還元しようではないか。

私たちにやらせてください!


毛織物組合の大事業

今回手を挙げたのは、13世紀後半から頭角を現してきた毛織物組合です。さあ、大聖堂建築の始まりです。

現在の大聖堂が建つ前は、サンタレパラータ教会という名の、小さな教会が建っていました。下図のピンク色の部分がそれで、現在の1/3くらいの大きさです。オレンジ色は当初予定していた大きさ、薄いオレンジ色は現在の大きさです。

参照:Wikipedia

毛織物組合は、輸入毛織組合に次ぐ大組合です。取り扱うのは同じ羊毛なのに、頭に「輸入」が付いていないために、ナンバー2に甘んじる悔しさ。

カリマラ(輸入毛織組合)はいつも偉そうに。
あいつらなんかに負けるもんか!
カリマラが我が国の最も歴史ある御堂や教会を受け持つなら、
オレたちは、世界で一番大きい大聖堂を造ってみせるぜ!

あっちよりも、いいものを。
むこうよりも、さらに、いいものを。
ライバル意識が、組合や工房の技術に磨きをかけます。

駅名にもなっている、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会には、大聖堂を描いたフレスコ画が残されています。1300年代に描かれたものです。

この時代、大聖堂や丸屋根はまだ完成していません。この絵からわかるのは、民衆は、すでに大聖堂の完成した姿を知っていたということです。

大聖堂は1296年に着工されましたが、丸屋根(クーポラ)をどう建てていいかわからず、しばらくは青空聖堂として放置され、ようやく工事が着手されるのは、1400年も過ぎた頃。

クーポラ物語は、こちらに譲りましょう。

必要なものが揃っているいまの時代に生きているから感じるのかもしれませんが、トラックもクレーンもない時代に、すべて手作業で、これだけの大事業を計画し、果たそうとするって、どんな心持ちだったんでしょう。民衆が一体となり、やる気と希望と、国の威信に燃えていたことでしょう。

設計を担当したアルノルフォ・ディ・カンビオは、この壮大な建築物を見届けることはできないと、自覚していたことでしょう。21世紀になっても訪れる人を魅了しつづける大聖堂。彼がもし生き返ることができたのなら、さぞ満足するに違いありません。

大聖堂のシンボルは、毛織物組合のシンボルです。羊が旗を持つ姿は、大聖堂に関わるあらゆるとこで見ることができます。

トスカーナ州の山奥といっても過言ではないカゼンティーノ地方でも、羊毛から、特産の生地を生産していました。しかし、良質の羊毛はフィレンツェ共和国の毛織り物組合の独占。

そなたたちも、羊毛を使って織物をしたいというのか。
まあ、よかろう。ただし条件がある。
諸外国と直接取引をしてはならず、品質を上げてもいけない。よって、地元の羊毛のみを使うことを義務付ける。

カゼンティーノ毛織物連合組合は、従わざる得ず、地元の剛毛な羊毛のみを使わなければなりませんでした。

フィレンツェの毛織物組合はなくなってしまいましたが、長い年月をかけて生き残ったのはカゼンティーノ生地で、いまも現役です。

フィレンツェの毛織物組合の本部は、現在もその面影を留めています。

商人組合の聖堂

宗教の中心である大聖堂から、政治の中心であるヴェッキオ宮殿までを直線で結ぶ、カルツァイオーリ通り。ここに建つオルサンミケーレ教会は、フィレンツェ商人組合の祠です。

四方の壁龕に祀られている彫像は各組合の守護聖人で、2種類の素材が使われています。ブロンズと大理石です。

どちらの素材が高価だと思いますか?

ブロンズの方が大理石より高価です。

ゆえに、目抜き通りと、教会正面扉の両脇には、高価なブロンズ製の大組合の聖人が祀られています。

正面扉の両脇には、
大組合のブロンズ製の聖人。

脇道にある中小組合が作らせた聖人は大理石。それぞれの組合は、当時の名のある工房に作らせています。

彫物屋の4聖人。
工房の様子

公共事業は、当然のごとく生活圏内で行われ、新しい作品が完成すると、民衆の前にお披露目となります。フィレンツェ共和国の民衆は、常に美しい作品を見ているので、いっぱしの評論家です。

ジョットの描いた絵があまりに美しくて、本物かと思ったよ。

と褒め称えたと思えば、あまり出来の良い作品に対しては、

いまいちイケてないよね、あの彫像。

立ち話で、そんな会話がされるというもの。

よくできたら両手放しで大絶賛。
そうじゃなければ、辛辣なコメントが待ち構えています。

依頼する組合も、依頼される工房も、強い競争意識を持ち、常に良いものを作ることを心がけ、真似をして、真似されて。自分たちの力を出しきり次々に生まれる作品。腕の良い職人が育つ肥沃な土壌が、ルネッサンスという、大輪の花を咲かせることになります。

少しでもズルをしたら、裁判所で裁かれます。現在はグッチ美術館になっている建物は、当時はフィレンツェ商業組合の裁判所でした。

商人たちの願いを込めた絵画 
"大天使ラファエルとトビアス"

フィレンツェのそれぞれの銀行は、海外に多くの支店を置いていたので、証文や為替手形が支店間で日々往来します。

他人に任せたら持ち逃げされるかもしれない。信用するのは家族のみ。そうして、将来を担う愛しい我が子を、出張に行かせることになります。

息子の旅行を記念して描かせたのが「大天使ラファエルとトビアス」です。

旅路には、人間に扮したラファエルが同行し、トビアスを守ります。たまに、ラファエルだけでなく、ガブリエレ、ミカエルの3人の大天使が揃い踏みで、トビアスを守っている作品もあります。

 参照:Wikipedia
ボッティチーニ作
ウフィツィ美術館所蔵

途中で盗賊に襲われないか、病気にならないか、無事に目的地まで着けるか、我が子を心配する家族。トビアスを自分の息子に置き換え、道中何事もないように、神のご加護がありますように、と祈り描かせたものです。

トビアス物語

視力も失い死期を感じた父親は、貸したお金を取り戻すために、息子トビアスを遣いに出します。

ティッツィアーノ作
ベニスの
アカデミア美術館所蔵

旅の途中、ラファエルの指示により、トビアスは魚を捕まえます。胆嚢はお父さんの目を治す薬に、心臓と肝臓は悪霊を追い払えるというので、トビアスは、いかにも当然そうに、魚を小さなハンドバッグのように持ち歩いています。

トビアス物語は、描き手により、色々な魚のバージョンがあるので、見ていて楽しい絵の一枚です。

この絵に出会うことがあれば、ああ、どこかの家の息子さんの安全祈願にために描かれものなんだなぁ。と思い出してみてくださいね。

前回と同様の地図を、もう一度、掲載します。


ルネッサンスじゃないフィレンツェ。ルネッサンスへと勢いをつける前のフィレンツェの様子をご案内できたとしたら、本望です。

今回の見出し画像は、2年前にフィレンツェで開催されたドルチェ&ガッバーナのファッションショーのときにコラボレーションをした、フィレンツェ工房による作品を選びました。

中世時代から受け継ぐモノづくり。
いまでも健在です。

最後まで読んで頂きまして
ありがとうございます。




今回は、日本の書籍も参考にしたので、下記にご案内します。興味のある方は、ご一読ください。


(イタリア語を勉強の方で)フィレンツェの歴史をマルっと知りたい方には、推しの1冊。


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