見出し画像

ルネッサンスへの助走と、フィレンツェの商人達。 n.1

フィレンツェといえば、ルネッサンス文化。1400年代は、クアットロチェントとも呼ばれ、フィレンツェがキラキラ輝いていた時代。

今日から年が明けました!

そんな風に、ルネッサンス文化が一朝一夕に誕生したわけはありません。ルネッサンスへはどう繋がって行ったのでしょう。今回は、時空を超えた旅へとご案内致します。

みなさんご存知ですか?
イタリアが国として統一した年。


1865年なんです。

古代ローマとか、キリスト教とか。絵画とか、彫刻とか、教会とか。文化的にもアート的にも、紀元前からの歴史が積み重ねられているのに、海に突き出たブーツ形の半島は、1865年まで、それぞれが独立国だったのです。

緑色がフィレンツェ共和国の領土。
ウフィツィ美術館の地図の間より。

時間軸でみると、1867年に日本は大政奉還があり、明治維新へと進んでいく前代未聞の過渡期。パリでは万博が開催され、イギリスでは前世紀に始まった産業革命により手仕事から機械へとシフトする時代。

いつの時代の、どこに生まれるかで、まったく違う人生を送ることになる人間の運命。時代や国を変えるのも人間。歴史は奥深いです。

フィレンツェに話しを戻すと、フィレンツェは共和制の独立国。

1493年のフィレンツェ。
参照:Wikipedia

近隣の諸外国と違うところは、商人が街(国)を動かし、統治していたこと。

メディチ家が、まだムジェッロという田舎で野原を駆け巡っていた、1290年代に時間を戻しましょう。フィレンツェでは、商人組合のメンバーが、なにやら、ゴソゴソと決め事中。

おい、もう決めちゃおうよ。
俺たちは、財力があるんだから。
なんで、仕事もしないでノウノウと暮らしているアイツらが、
俺らよりも偉いのさ。

そして1295年に、この決まりが布告されます。

政治に参加するには、組合に所属することを条件とする。

これにより、貴族は、選挙に参加することもできなければ、政治に関わることもできず、仕事もしないので困窮し、その一方で、商人が権力を掌握していきます。

フィレンツェ商人のなかでも老舗中の老舗は、1100年代後期にはすでに存在していた輸入毛織りもの組合。

輸入毛織りもの組合のシンボル。
いかにも、強そう。

彼らに続くのが、毛織り物組合、次に、絹織物組。

銀行や、公証人も忘れちゃいけません。

フィレンツェでは、組合はギルドではなく「アルテ」と呼びます。

『アート』という言葉は、芸術、芸術作品、美術などの意味を持ちますが、イタリア語の「アルテ」は、もっと広義です。

ラテン語でアルスと呼ばれ、物理的、精神的になにかを「創造」するという意味を持ちます。

日本ではアルチザンとも呼ばれる職人は、アルテからアルティジャナート。
中世の自由学芸は、リベラルアーツ。
同業種組合は、アルテ。

アルテ・マッジョーレと呼ばれる大組合は7種。
マッジョーレは「大きな」という意味です。

法律&公証人、輸入毛織りもの、両替(銀行)、毛織りもの、絹織もの、医師&香料、毛皮。

参照:Post Populi

アルテ・ミノーリと呼ばれる、中小組合は14種。
ミノーリは「小さな」という意味です。

鍛冶屋、鍵屋、皮なめし屋、靴屋、革小物屋、亜麻織物屋、甲冑屋、彫物屋、大工、宿屋、パン屋、肉屋、酒屋(ワイン)、油屋(オリーブオイル)。

こうして眺めていると、当時の生活が見えてくるようではありませんか。ワインとオリーブオイルは、当時から欠かせぬものだったんですね。

フィレンツェ中心街にあるワインの穴。
昔のワイン販売所です。

革は有用な素材であり、革業種も多く存在します。靴、革紐、革帯、盾、馬具などを作る、靴屋や革小物屋が軒を並べていたことでしょう。

なめし業は、死んだ動物の皮を扱い、常に外で作業をする、ツライ、クサイ、キタナイ仕事。アルノ川の湿地地帯に住む貧しい人々の仕事で、マラリアなどの病気と隣合わせの暮らしでした。

なめし業は、当時はアルノ川と隣接していたフィレンツェの東側に集中していました。いまでもこの地区には革製品のお店が多く、地区を代表するサンタクローチェ教会内には、革学校があります。

サンタクローチェ教会

組合は、21種類の異業種で成り立ち、組合同士のコラボラレーションも頻繁に行われていました。

絵描きはどこに所属していたでしょう?

答え。
医師&香料組合です。

なぜでしょう?

絵を描くには顔料が必要です。顔料は、香料組合が扱っていたからです。


政治に参加するためには、組合に所属しなければならなかったので、政治家になりたい人も、なにがしの組合に所属しなければなりません。

同時代に生きたダンテ・アリギエーリは、「とりあえず」医師&香料組合に所属し、政治家として活躍していました。のちに抗争に巻き込まれ、国外追放になり「神曲」を執筆するようになります。

欧州では各国で組合が作られていましたが、そのなかで飛び抜けていたのが、フィレンツェです。

とても小さな国なのに、なぜ欧州の経済を牽引するまでの強国になり得たのでしょう。

そのための3つの条件が揃っていたといわれています。

* 運搬のためのアルノ川がある。

* フィレンツェには21組合からなる工房がある。

* 約3,537グラム、24カラットの、フィオリーノ金貨がある。

1252年に誕生したフィオリーノ金貨は、大きな取引のときに用いられ、他国と比べても金の水準が高く、信用のあった貨幣です。

フィオリーノ金貨
参照:wikipedia

シルク、木綿、宝石、染料などを他国から仕入れたら、それを、フィレンツェの工房が、美しい羊毛織、金糸を紡いだ豪華な衣装、金銀細工、皮製品などの最高級品に仕立てます。

お得意様は、各国の王侯の宮廷人。宮廷は、ファッションの中心であり、流行を生み出す発信地です。彼らにとりいり、織物、服飾、手袋、靴、貴金属類を販売し、財を蓄えていったのです。

メディチ家礼拝堂より

商品は、高速道路のような存在だったアルノ川からピサ港まで運ばれ、そこから他国へ船で運ばれます。もちろん、フィレンツェ専属のガレー船も所有しています。

商品を売買するための金銭の取引は、通貨間での為替手形が用いられ、国際市場だったブルージュを始め、各国に支店のあったフィレンツェの各銀行を通して、滞りなく行われます。

ヤン・ファン・エイクが1434年に描いた
「アルノルフィーニ夫妻像」。
大きな帽子を被る男性はジョヴァンニさん。
ブルージュに居住を移し大成功した、
ルッカ出身の大商人です。
ルッカのプライド
参照:Wikipedia

パリ、ロンドンなどの大都市にも支店を置き、王侯貴族に多額の資金を貸し付けるのも、彼らの重要な仕事です。

特に突出した人物がいたわけでもない、フィレンツェ商人達が一丸となり、高級手工芸品を作り、欧州市場を席巻していったのです。

こんな状況なので、お金はザクザクと大組合の懐へと入ってきます。

さて、財を築いた組合は、いったいなにをするのでしょうか?

次回につづく。

最後までお読みくださり、
ありがとうございます!



この記事が参加している募集

この街がすき

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか? 気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます! コメントを気軽に残して下さると嬉しいです ☺️