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ベネチアのカーニバル n.1

Carnevale di Venezia.
2023年のベネチアのカーニバルはいつでしょう?
開始:2月4日(土)
終了 : 2月21日(火)
今週の土曜日から始まります。

2週間ちょっとの期間、ベネチアは、かつてのベネチア共和国が花開いたように、明るく美しく華やかな街に染まります。

日本で謝肉祭と訳されるカーニバルは、お肉(Carne カルネ)を取り去る(Levareレバーレ)という意味。

カトリック教で四旬節(40日間)と呼ばれる期間は、肉を食べてはいけません。

四旬節は、復活祭の40日前の水曜日から、復活祭の前日の土曜日までのことを指しますが、カーニバルは、この『復活祭の40日前の水曜日』までの期間です。

しばらく肉は食えねえや。鬱憤ばらしに、ドンチャン騒ぎでもするか!

街には、マスクで顔を覆い女装をした男性、杖の先に水袋をつけ通りすがりの人たちに水を浴びさせる悪魔、白いマスクに黒いマントを覆った幽霊、白い服を纏い帽子に羽毛を飾り薔薇水入りの卵を群衆やカップルに放ったりするマッタチーノなどが繰り出します。

酒を飲んでは食らい、食らっては酒を飲み、余興を楽しむ宴が毎日毎晩繰り広げられました。

階級ごとに着る服や振る舞い方、話しかけられる相手などが制限されていた当時、カーニバル期間のヴェネツィア市民は仮面をかぶって異なった階級や異なった性別の服を着て、匿名の市民となって行動の自由を満喫するようになった。

wikipedia

1296年のベネチアの文献によると、キリスト誕生翌日の、12月26日からすでにカーニバルが始まったと記載されています。

さらには、10月1日から始まることもあったそうです。

ちょっとそれは長すぎやしないかい?

なんて口を尖らすベネチア人はいなかったのでしょう。

ベネチアのカーニバルは、共和国が終焉を迎えた1700年代後期から一度中断しています。再開するのは1979年です。約200年間はカーニバルがない空白の期間でしたが、イタリア政府が復活させて、いまに至ります。

今回掲載している写真は、2022年にベネチアで撮影したものですが、中世の華やかなドレスに纏う紳士淑女が、すっかりその人物に成り切り、着こなしている姿は楽しそうでした。

今回は写真中心にお届けします。一足先に、カーニバルをお楽しみください。

街角から。

美しき、オトコ達。

サンマルコ広場のカフェにて。

早朝にサンマルコ広場に行くと、写真撮影をしているシーンに出会えます。

さて、このカーニバル。ベネチア人も、もちろん参加していますが、他地方から訪れるイタリア人を含め、かなりの割合が外国人でした。

ベネチア生まれベネチア育ちの女性が話しをしていたのが印象に残っています。

1990年代までは、いまほど観光客も押し寄せてなく、サンマルコ広場で遊んだり、カーニバルのために9月から衣装を準備したりして、ベネチアという街も、カーニバルも、まだベネチア人のものだったんですよ。

いまでは混雑を避けるために、特に週末は山へと遊びに出かけ、カーニバルを避ける人もいます。

サンマルコ広場からリアルト橋に向かうブランド通りの路地に、生粋のベネチア女性が営んでいるお店があります。お店の主人は、アントニア・サウター。

今回のカーニバルの記事の主役になる方です。お店のほかに、アトリエを構えています。この狭い路地の奥にあるアトリエには、どんな物語があるのでしょう。

次回へつづく。

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今回迷ったことがあります。それは、Veneziaの日本語表記。

ヴェネツィア ベネチア ヴェネチア ベニス ヴェニス ベネツィア

1つの街なのに、こんなに呼び名が幾多もあるのも珍しい。「ヴ」じゃなくて「べ」の方が読みやすいので、「ベネチア」で統一してみました。

最後までお読みくださり
ありがとうございます。

次回はアントニアさんのアトリエにて
お会いできたら嬉しいです。


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