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フィレンツェの子供達。 n.1

年が明け2023年。1月もすっかり下旬に差し掛かりました。

ご挨拶が遅れましたが、22年に投稿に立ち寄ってくださった方々、コメントを残して下さった皆様、ありがとうございます。2023年も何卒よろしくお願いします。

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今年初めての記事に何を書こうか迷いましたが、最初は、やっぱりフィレンツェから始めることにします。

この絵は1488年から1年をかけて描かれた、東方三博士の礼拝(とうほうさんはかせのれいはい)。三人の博士が、生まれたばかりのキリストをお祝いするために訪れている場面です。

主題となる背景の左手に、赤ちゃんを抱き逃げ惑う母親、それを追い無常に惨殺する風景が描かれています。

「新たにユダヤ人の王となる子」がこの世に生まれたことを恐れ、ヘロデ大王がキリストと同じ年ほどの幼児を全員虐殺する命を下し起きた幼児虐殺のシーンです。

イタリア語では、純真無垢な(innocenti)な子供達の、大虐殺(Strage)、ストラージ・デリ・イノチェンティ「Strage degli innocenti」と呼ばれています。

今回の記事では、このイノチェンティ(innocenti)が言葉の鍵となります。

以前に、ローマでたまに立ち寄る、わたしのお気に入りの場所「ローマ国立博物館」をご案内しましたが、今回はフィレンツェ編です。この絵画が置かれてい場所へと、いまからご案内します。

人間中心の思想から生まれたもの

街のあらゆるところに素晴らしい作品が残されている、観光の街、芸術の街にあり、あまり足を運ばない、けれど、フィレンツェにとって、とても大切な場所があります。

イタリアが統一する前の、城壁に囲まれたフィレンツェ共和国の地図。

年代が記載され四角で囲まれているのは、当時存在していた病院で、約15か所あります。小さな共和国に、これだけの数の病院が整えられていたことに驚きです。

1419年には、ほかとは異なる病院が、新たに建設されます。

純真無垢を意味するInnocentiを病院名に掲げたオスペダーレ・デリ・イノチェンティ(Ospedale degli Innocenti)。

ほかの病院との違いはなんでしょう? 

目的は一つ。捨て子を保護するためです。

現在も、孤児の養育や養子縁組を活動とするIstituto degli Innocentiという機関として受け継がれており、1419年に設立され、2023年現在に至るまでの約600年間、続いています。

機関活動の一部として、美術館が併設されており、ここが、今回ご案内する捨子養育院美術館(Museo degli Innocenti)です。

病院を建設するために国から依頼されたのは、ローマ帰りの新進気鋭の建築家フィリッポ・ブルネッレスキ。

フィレンツェの長年の夢だった大聖堂の丸屋根(クーポラ)は、ブルネッレスキの案が通り、病院建設の翌年にあたる1420年から着工されることになります。

国が案を可決し、スポンサーが出資して、養育院が建設されます。1400年代にすでに福祉政策のような考えがあったことにも驚きです。

スポンサーは、大組合のひとつであるシルク業組合。養育院で育った子供たちは、成長するとシルク業の担い手となります。

シルク業組合の社章

1445年に初めての子が引き取られてから、その3年後の1448年の収容人数は、600人にもなります。そのうちの半数以上が女の子です。

妊娠してしまった女性を保護する施設もあり、赤ちゃんが生まれたら、そのまま養育院で引き取ります。母親は、我が子の顔を知ることはありませんでしたが、そのまま、養育院の乳母として仕事をし、生活保護を受ける制度もありました。

心のありかた。 心のよりどころ。

マリア様と旦那様のヨセフ。キリスト誕生のシーンです。昔は、この二人の間に台座があり、そこに子供を乗せることで養育院に引き取られていました。

捨て子養育院は、フィレンツェ共和国という国と、シルク業組合というビジネスカンパニーが作ったものなので、宗教との関わりはありません。

ですが、キリスト教は思想や生活に深く浸透しています。子供達が両親のもとから、養育院に移されるときに、マリア様とヨセフの子として、新しく生まれ変わることを象徴しています。

養育院に引き取られた子供達は、マリア様の庇護のもと育っていきます。マリア様がマントを広げて子供達を守っていますが、その背景にある建物が捨て子養育院です。

赤ちゃんが布でグルグル巻きになっている姿は、ハイハイで動き回るのを防ぐためであり、手が巻き込まれていて、おしゃぶりもできないから、衛生上の対策でもあったのでしょう。

捨て子養育院のアーチの間にある、水色の丸いメダルは、真っ直ぐに育つように考案された、グルグル巻きの当時のベビー服を着せられた赤ちゃんの姿です。

いまでも、捨て子養育院のシンボルです。

テラコッタ(素焼きの土)に釉薬を塗り、瀬戸のような効果を見せています。

この方法を発明し人気を博したのがルカ・デラ・ロッビアという芸術家。

養育院には、マリア様の作品が多く残されています。

1445年の当初に養育院のために製作された、マリア様と幼子キリストの聖母子像。

マリア様が両手で幼子を抱えている聖母子像が多いなか、ここでは、左手で"QUIA RESPEXIT DOMINUS HUMILITATEM ANCILLE SUE"という言葉を指さしています。わたしは、神の謙虚なる僕です。と訳せるでしょうか。

幼子キリストが手にしているのは、"EGO SUM LUX MUNDI"。わたしは世界の光である、という意味になるでしょう。

この聖母子像は、養育院に引き取られ一生をここで暮らす女性達に向けられたメッセージです。

祈りと仕事の日々の合間に、この作品を眺めては、幼子キリストを育てるマリア様に、自分自身を投影したのかもしれません。

乳母の仕事場に設けられた祈祷台。赤ちゃんにお乳を与え、休憩をし、お祈りを捧げるのが彼女達の1日。

祈祷台にひざまづくと、隣の教会が覗けるようになっており、目の先にはマリア様の姿があります。

乳母として仕事をしていた女性達は、ここで、なにを考え、なにを思ったことでしょう。

外出を許されることはほとんどなく、この場所で同じことを繰り返す日々の彼女達のことを思うと切なくなってきます。

こちらは、春(プリマヴェーラ)やヴィーナス誕生で有名な、ルネッサンスを代表するボッティチェッリが、師匠のフィリッポリッピに弟子入りしていた時に描いたもので、現左が師匠、右が弟子ボッティチェッリの、聖母子像。

左側の出典元はWikipediaで、
所蔵元はウフィッツィ美術館。

師匠の絵をシンプルに描いており、まだまだ師匠の足元に及びませんが、弟子が師匠の絵を真似ながら覚えていく様子が伺える興味深い1枚です。

ひとつの箱に、ひとつの人生。

テオドミラ(Teodomira)ちゃん。1874年10月4日。
マリア・ルイザ(Maria Luisa)ちゃん。1827年12月26日。

捨て子養育院に引き取られた子が身につけていた品々です。いつか、我が子に再会することを願い、両親が持たせていたものです。名前や数字は記号でしかないのかもしれませんが、この箱の数だけ、その人の人生があります。

ひとつひとつの扉を開けれるようになっており、この箱の意味を知ると、みんな無言になってしまい、この空間では、カタンコトンと扉を開ける音だけが響いています。

1445年に最初の赤ちゃんが引き取られて以来、日々平均6人の赤ちゃんが施設に預けられていました。その記録は、施設内の大きな図書館に天高く収蔵されています。

膨大な記録の一部はデジタル化され閲覧できるようになっています。1445年2月5日に、最初の赤ちゃんが養育院に引き取られます。

2月5日はアガタ聖女の日なので、アガタ・ズメラルダ(Agata Smeralda)ちゃんと名付けられます。

幾世紀を超えた1875年には、養育院にとって大きな変革の年です。

預けた両親や家族の身元や連絡先が書類に記載され、引き取られる赤ちゃんは、事務所で手続きされるようになります。

赤ちゃんを養育院で育てながら、母親は乳母として仕事をし、なるべく赤ちゃんと両親を引き離さないような体制も取られていました。

事務所が開かれる前に引き取った最後の赤ちゃんはウルテイモ(Ultimo)くんと命名されます。

ウルテイモとは、英語でラスト(Last)。「最後」の意味です。これで最後の赤ちゃん!という意味で名付けられています。

ぐるりと回され生まれ変わるルオータ。

孤児養育院の外壁に、ルオータと呼ばれる四角い窓があり、1875年に事務所が開くまで使われていました。

マリア様とヨセフの間にある台座から、このルオータに取り替えられ、この窓を通せる小さな赤ちゃんのみが、養育院に入ることができます。

鉄格子に鈴が吊り下げられ、カランカランと鳴らして養育院へと引き取られていく姿をスケッチしたものです。

出典元:Museo degli Innocneti

鈴が鳴るのは、大抵はあたりが暗くなってからなので、養育院では24時間体制で活動していました。

養育院で育った子が、施設を出てから名乗る姓は、養育院のInnocentiという名前からイノチェントやイノチェンティと付けられていました。

いまでも、フィレンツェではこの姓を持つ人たちがいます。祖父祖母の代から受け継がれているのでしょう。

ルオータは、ほかの地方にも存在しており、ナポリのは見学することができます。左側の家具のなかに取り付けられている円柱が、ルオータです。グルリと水平に回るようになっています。

フィレンツェではイノチェントですが、ナポリではエスポジトという姓が付けられたそうです。

確かに、ナポリ出身の人でエスポジトという姓の人がいますが、彼らも、やはり養育院で育てられた先祖を持つんですね。

分かりやすいのがないかしらと、探して見つけたこの映像。イタリア語、もとい、ナポリ語オンリーですが、ナポリな感じが伝わってきて、ちょっと楽しいのでご紹介します。ルオータを紹介する場面は2分30秒後です。

説明しているコメディアンのアメデオさんは、ちょっと横に大きいですが、1年前にダイエットをして60キロ減。いまはスリムなアメデオさんになっています。

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次回は第二部として、現在のフィレンツェの子供達をテーマに書いています。市と美術館が協力して、子供達にアートを身近に感じてもらおうと試みるフィレンツェの活動を紹介します。どんなものがあるのでしょう。

最後までお読みくださり、
ありがとうございます。
次回もお会いできたら嬉しいです!

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捨て子養育院美術館 Museo degli Innocenti
住所:Piazza della Santissima Annunziata, 13, 50122 Firenze FI
開館:9時〜19時 年中無休


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