水道法・漁業法・入管法の改悪のゴタゴタと同時に、総理大臣の精神的危機や悪魔に魂を売ることについて考えてみる
師走となりました。もう一年経ってしまったのか。と、我ながら呆れてしまっています。本当に月日の流れるのが速いと感じる一年でした。
さて、昨晩(12月8日の夜明け直前)、水道法の改悪・漁業法の改悪・入管法の改悪(「移民の立場を悪くして安い給料で使い潰す制度を保ったままでの受け入れ」)がされてしまいました。
個別の話は、今回は最低限にしていこうと思います。長くなるので。
画像は http://livedoor.blogimg.jp/ryoma0102/imgs/c/d/cdc5f89b.jpgから。
与党議員が暴力的になり、総理大臣は笑いながら人の死を語りだす。
昨日(12月7日)のネットでの国会中継や一部の新聞記者が出した写真を見ていて、野党議員が「こんな無茶な中身の法案を無理やり通すのはやめろ」って演説してる時に与党の議員が口汚くののしったり、与党から出てる委員長や議長が乱暴な物言いを野党側にしたり、与党議員が野党議員に議場で暴力を振るった。と言うのと一緒に、与党側からヤジが野党に飛ぶ中で安倍総理大臣が半笑いしたり、官邸と国会を行き来する時に記者たちに対してものすごい奇妙な笑顔を見せていたという辺りがものすごく気味が悪かったんですよね。
この人達・最低でも総理大臣と取り巻きの幹部官僚や与党の人達は、正常な精神状況を維持できてないのではないか。元々マトモな神経していたら出来ないような強引で独りよがり・一方的な中身の法律を「数の力」で無理やり成立させてしまうのが安倍政権のやり方なので「民主主義国家の政治家のプロとしてマトモじゃない」のは事実なんですけど、それだけではなく、「人間としてマトモじゃな」くなってる様に、特にこの一年間の安倍政権や安倍総理とその周囲の人達の言動や行動を見ていて思う訳ですよ。
単純に「ホンネ」をむき出しにしたんじゃなくて、本来感じ取るべき所を無視し、まるで、自分(たち)だけしかこの世の中に人間がいないかのように振る舞うから、「技能実習生」が七人死んだと言うのを、総理三人と聴き間違えるだけでなく、そのやり取りを笑いながらしてしまう。
そんな、恐ろしさが見えるわけです。</B>今回の国会全体に言えますし、その前の大水害やオウム幹部たちの「処刑」の頃から見えてはいたんですが、正常な精神状態なら出来ないこと・認識しようがないような事を、今の総理にせよ大臣たちや与党議員たちにせよ、繰り返ししたり認識したりしてる。
幾らかの人達の「狂気」がさらなる狂気を引き出し・それに与党議員全体が取り込まれて競って狂気を引っ張り出してると言う感じがするんですよ。
自称「保守」に限らず、自称「リベラル」「フェミニズム」側も暴力的に。
この数ヶ月、度々書いてきていますが、今の日本のフェミニズム運動やそこに同調してる「リベラル」の人達が、余りに多くの人達を「悪」と批難したり、ある種の物事や作品を悪だと決めつけてマスコミなどに集団で文句を言って潰させる。と言うのを普通にやってきたことがあって、そのことに対して、最近は「それはおかしい」と声を人たちがたくさん出てきて、今まで「政治的正しさ」を盾に押し切れていたフェミニズム運動の人やリベラルを自称する人達が動けなくなることが多くなってて、それは、日韓問題でも噴き出したりなど、「政治的正しさ」というものが本当に正しいのか・単なる独りよがりを押し付けてるに過ぎないんじゃないか。って疑問が多くのことで世間に広がりつつある訳です。
その中で、いろんな問題が起きた時に、それまで穏やかな物言いをしていた「リベラル」や「フェミニスト」が、キャラが違いすぎるんじゃないか。という位、酷く汚い言葉や語調で、批判してる側を罵ることが非常に多くなった気がするんですよ。
この部分、今回の国会での、野党議員に対する与党議員や与党側から出てきた議長などの暴言・暴力と似てるように思うんですよね。
本来、「世論」の一つの大きな装置であるマスコミの言説とか方針とかのかなりの部分を自分たちに同意させて、都合いい話を多く流させ・都合悪話は殆ど流させないようにまで「力」を持ってる訳で。そんな口汚い言葉や暴力的なふるまいで自分たちへの批判をする側を殴ってくる必要性などないはずなのに。なぜ、彼らは、そのような乱暴な形でやってくるのか。
今の与党の人達にせよ、自称「リベラル」「フェミニズム」にせよ、基本的にはマスコミの論調もネットの「空気」も表向きの部分は大半を味方に付けてて、自分たちがこれをしたいと言えば押し切れるし・批判する側を一方的に悪い/無能だと字笑えば世間の多くの人がそう思いこむはずなんだから、なんで、こんな乱暴なのか。
「勝てば官軍」で先人たちが築き上げた信用や信頼を喰い潰した「三代目のバカ旦那」たち
ぶっちゃけてしまうと、彼らへの信頼度や「この人達は正しい」という世間の評判が、どんどんなくなっていってるのを薄々感じ取ってはいるけど、それでも自分たちというより自分たちが属してるサル山のボスが正しいと思ってて自分たちも付いてきた事の多くが大間違いと世間が言う事に、絶えられなくなってる部分が相当あるんじゃないかと思います。
又、世の中の(特定の)事を自分たちだけで決めて、法律や条例・道徳観として世間に押し付けることで「無知な人達」を導いてきた。という構図が、今は逆に批判の対象にされてることに対しての怒りや焦りもある。
だから、乱暴な物言いや乱暴な仕草が頻繁に出てきて、しかも、眼の前にあることしか見えず・周りが眼に入らなくなるからなおさら暴走する。
この2つのグループって、実は結構似てる所がある訳ですよ。90年代末の児童ポルノ買春禁止法(児ポ法)の制定にしても、「日本が児童ポルノ大国」ってねつ造に近いような一方的な資料を使って国際会議等で日本の推進派がプレゼンし・それで諸外国が「日本けしからん」って言い出したら、これ幸いと日本の推進派達はマスコミや議員を煽り立てて、批判する人や反対する人を、「殺人者以上の悪人だ」と世間が信じ込むようなパニック状態に押し込んで、法律を作らせたし、同じようなことは、90年代末から00年代なかばに吹き荒れた「青少年の犯罪者予備軍化」とでも言える・青少年健全育成条例をどんどんと独りよがりで青少年である当事者たちを締め付けるような道徳観の押しつけに変質させた動きでも起こりましたし、受動喫煙問題や迷惑防止条例でも起こってて、その事で、非常に多くの人が痴漢冤罪で人生を破壊されたり・喫煙者が全て悪いというヒステリーに近いもので多くの対立や分断が産まれてしまった訳です。
http://www.paradisearmy.com/doujin/pasok_policy_laundering.htm ポリシーロンダリング(同人用語の基礎知識)
このような動き・要は「ウソであろうと空気作れば押し切れる」「空気を作って文句を封じ込めて自分たちの思い通りに法律や条例を作ればいい」的なことを、「自称リベラル」「日本で主流のフェミニズム運動」は、1990年代の多分半ばくらいから実践し続け、彼女ら彼らが理想とするような法律の状況に、今はかなり近づいた訳ですね。
そして、安倍政権は06年の第一次政権のときから、とにかく「議論は形式だけで表面的な時間がきたら打ち切る」「反対が多くても耳傾けたふりだけして議員の数で押し切る」「問題の大きな法律でも、批判をしたりするのを悪人扱いするように、ネットとマスコミを操って世間の空気を作る」ってやってた訳です。
この部分・ある種の狂気や悪魔に魂を売ったかのような強引さは、「リベラル」「フェミニズム運動」と「安倍晋三総理大臣的な自称保守」で共通していて、それが故に、非常に多くのことを成し遂げてしまった訳です。
信用にあぐらをかき・あぐらをかいた末に喰い潰しても気づかぬ人々。
今、なんで、どちらの側も今までやってきたことや今やってることが、ネットやマスコミで作られた空気を多くの人が無視してまで批判に晒されてるか。と言えば、世間の多くの人達から信用されなくなって、憎まれてすらいるからじゃないかと思うのです。
つまり、マスコミやネットを操って「我々は正しい・批判する人間は人でなしの悪魔だ/無能だ」的な事を繰り返し言って、それでいろんな法律や条例を作らせたり、お役所の運用を自分たちの都合のいいように動かしたりし続けた結果、世の中は逆に悪くなったことが非常に多いし壊れてしまった訳です。
そういう結果責任を彼女ら彼らが取るかと言えば、言い訳や詭弁(ご飯論法)みたいの繰り返して、矛先そらそうとしたり「それでも自分たちが正しいし、正しさがわからないお前らが間違ってる」って繰り返してる訳ですよ。
この事は、この2つの人達だけでなく、都庁や都知事、大企業だけではない企業やお役所なんかでも、普通に起こってる訳ですが。
彼らが批判される理由を考えるのを一旦止めて、そもそもなんでこの人達が偉い立場になれたのかと考えた時に、勿論家柄がいいとか人脈があるとか東大などを出てるとか、そういうのもある訳ですけど、それらを抱えて世の中に出てきた人達は、まちがってるにしてもそんなに酷い間違い方してないし、正しいと思っていいんじゃないか。と言う、実際にはあんまし根拠がないような「謎の信頼感」が、1970年代後半以降は世間に広まってたんじゃないかと思うんです。
世間の空気を当時はマスコミが握り、マスコミの偉い人達が正しいというから間違いってないんじゃないか。で、保守政治家や保守的な思想が世の中にいいものと受け止められ、国鉄民営化のように労働組合や働く側に立つ人達が悪い・ダサい・時代遅れだとマスコミが言えばそういうもんだと世間が受け止め、「社会主義は時代遅れ」「社会党はオワコン」と言えば、世間がそれを受け入れてしまうし、「東京一極集中こそ効率的で正しい」と言えば、そういう風に世論が出来てしまう。
そういう感じで、多分、戦争に負けてから1970年代以前にかけて国なりお役所なり政治かなりが信頼を回復して築き上げていったことで人々が「謎の信頼感」を持つようになったのをいいことに、ただただ日本を自分たちだけで食い荒らして社会を壊すことすら正義に組み込んじゃうような達の悪い人達がやりたい放題したんですよね。
00年代から今の10年代なんかは、そういう「社会の信頼感の上で、信頼感の大事さがわからずに胡座かいて社会を操り利益につなげる」人達がのさばっている時代になってる訳ですよ。
東日本大震災や原発事故の後のゴタゴタで、見えてきたこと。
2011年の東日本大震災の後の原発事故や、その後のゴタゴタで見えてきていたのは、単に原子力の問題だけでなく、「信頼感にあぐらをかいて社会を喰い物にし・目先の利益のためだけに振る舞う人々」が「信頼されてた組織や団体」に余りに沢山いて、その人達が「昔の人達が遺してくれた”信用”を喰い潰しつつある」ということだったと思う訳です。
社会から信用されてるこそ、やりたい放題が許されてるし・批判する側が悪いと「信用されてる人達」が言えば、世間はそれに同調してきた。
それをいいことに、彼女ら彼らは、自分たちの利益の追求や宗教じみた執念をエスカレートさせていった訳です。未だ足りない・未だ足りない。って。
その結果、今回取り上げてる「2つの人達」両方共、去年の後半か今年の半ばには、全ての信用を喰い潰して、その後もまだ信用を喰い潰しちゃってる訳ですね。
これ以上売り払う信用がないから、「心」を質草にしてると言ってもいいし、悪魔に魂売ったような行為を繰り返してるうちに、肝心の魂を悪魔に喰わせるしかなくなってしまってると言ってもいいのですが、彼女ら彼らはその事に全く気がついてないのでしょう。
だから、今の乱暴で社会を壊し・売り飛ばし、人々を無用の対立に追い込むような悪事を、純粋な善意でやってしまうし、ささいな批判や苦言に対して顔を真っ赤にしたりして汚い言葉で攻撃したり野次ったり、暴力を振るったりしてしまう。
私達は、そのような人々を乗り越えて「自分たちのことを自分たちで決める」ようにしていかないと、どうしょうもないというか、彼女ら彼らの精神的な破綻や崩壊というものが現実になった以上、彼女ら彼らが強制退場させられる日も現実的な所に近づいてて、その後をどうにか私達一人一人がいい形で生き延びるにはその事を、今から心がけたり真剣に考えないといけないと思うのです。
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