反自民

特に憲法改正について危惧しています。

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最近の記事

「そういうことにしたい」勢力の話

――いまの野党たちは、「自分たちの政権奪還」のことしか頭にない。だから、どんなムチャな論理でもこしらえあげて、「与党への攻撃」をいちばんに考えて行動している。そのときに、国民のことなんか完全にムシしているのだ。  それを下支えしているのが、マスコミだ。かれらは、偏向報道しかしない。「反アベ」につながる事柄はたくさん報道しまくるが、それ以外のことはいっさい報道しない。それは、かれら自身も野党信者だからである。結果的に、「国益」を損なうことになりかねない。  いちばんタチが悪いの

    • 美しい国、ニッポン?

       最近の世の中では、どうもアベ政権をちょこっと批判しただけで、「反日」とかいうレッテルを貼られたりするようだ。  そこでいう、「ニッポン」って、いったいなんなんだろう? 「ニッポンがキラい」っていう意見についてちょっと考えてみる。  まぁ、梅雨はじめじめしっぱなしだし、夏はめちゃくちゃ蒸し暑いし、台風も猛威をふるうし、かと言って冬は冬でそれなりに寒いし、で、春は花粉がえげつないしって感じで、意外と住みづらいという意見ももちうるだろう。地震も頻発するし、津波だっておそろしいし

      • あべせんせいと、こどもたち③

        〇検察庁法改正の話 「さいきんのよのなかでは、おじいさん、おばあさんになっても、まだまだげんきなひとがたくさんいます。なので、せんせいは『ほうりつ』をあたらしくして、『こうむいん』のひとたちが、もうすこしながくはたらけるようにしたいとおもっています。たしか、おとちゃんのおじいさんは、こうむいんじゃなかったかな?」  あべせんせいが、まんめんのえみをうかべていいました。  おとちゃんはこたえます。 「うん、そうだよ! まだまだげんきだから、もっとはたらけるとおもうなぁ」 「そ

        • あべせんせいと、こどもたち②

          〇「某マスク」の話  とてもこわい「ウイルス」が、せかいじゅうにちらばってしまいました。これをすいこんだ「おとしより」は、しんでしまうことも多いようです。こどもたちや、わかものたちは、あまりしぬことがないというのは、ひとつのすくいかもしれませんが。  その「ウイルス」をふせぐためには、「ますく」というものがこうかてきだということです。でも、あまりにみんながつかっているので、たりなくなってしまいました。それをどうにかしようとして、あべせんせいは、みんなに2まいずつ、くばること

        「そういうことにしたい」勢力の話

          あべせんせいと、こどもたち①

           あるところに、幼稚園がありました。  その中の「あかぐみ」にいる、あべせんせいという人は、つよい「けんりょく」をもっていて、なんでも自分のいうとおりに、こどもたちをみちびくことができます。でも、その「けんりょく」というものを、こどもたちにさとられるわけにはいきません。見た目はニコニコと、やさしいせんせいでなければならないのです。  あかぐみには、3にんのこどもたちがいます。  まずは、おとちゃん。このこは、「りーだーしっぷ」というものをうちにひめているような、かいかつな女の

          あべせんせいと、こどもたち①

          「国」とは「ひと」である

           もし自民党の政治がおわったとして、次に政権を担うひとはどんなスピーチをするだろうと思って、書いてみた。ただ、なんか途中から虚しくなっている自分もいるけれども…… ―――「悪夢」というのなら、それは間違いなく、いままでの政権にあてられる言葉でしょう。それは、「国民にとっての悪夢」という意味です。かれらは、徹頭徹尾、「自分たちのこと」しか考えていませんでした。  自分たちの政権を維持するためには、国民をないがしろにしてもよい。かれらにあったのは、そういった確信でしょう。いやむ

          「国」とは「ひと」である

          「全くあたりません」しか言い訳の方法がないという時点で、すでにもうかなりヤバいという話

           昨今、某首相がやたらめったら言い放つ、「全くあたりません」という空虚な言葉。  聞いてる方としては、どう考えても「心当たりあるんだろうな」としか思えない。でも仮に、ちょっとでも「当たってます」と言いでもしたら、非難ごうごうになるのは必至なので、彼としては「全く」あたらないということにしておくしかない。もちろん、そこに欠けているのは「真摯な姿勢」だ。  というか、本当に「全く心当たりのない」「心外な」言いがかりなのだったとしたら、首相はもっとキレていいに決まっている。そも

          「全くあたりません」しか言い訳の方法がないという時点で、すでにもうかなりヤバいという話

          「権力者の恣意」のはなし

           検察庁法改正。ツイッターでは相当に批判の意見が盛り上がっているようだが、首相はムシする意向のようです。  そうなると、「民主主義が終わる」。  さて、ほんとうにそうなのか?  アベ本人は置いといても、ほかのヤツが首相になったときに、相当ホンキ出せば「独裁」へと舵を切れる可能性が出てきている(共謀罪とか、機密保護法とかも駆使して)。  つーかまぁ、石垣島や沖縄ではすでに「専制」によって民意がムシされてるとも言えるが。  今回の検察庁法改正で、いちばん問題になってんのはどこ

          「権力者の恣意」のはなし

          「正常性バイアス」→「別によくない?症候群」

           先日、久しぶりに先輩とその奥さんに会った。  奥さんは、アベ首相を支持していると言う。「なんで?」と俺が聞いたら、「他にいないじゃん」の一点張りだった。「嫌だって言うんなら他に誰か挙げてみてよ」とか言うので、「えだのんとかは?」と俺が言うと、「あの人滑舌悪いじゃん」というトーン・ポリシングをいきなり見せてきた(そのとき、先輩は「アベも悪いけどね」とツッコんでいたけど)。 「アベさんの何がいいのか俺にはわからない」と言ったが、結局彼女も具体的に「何がいい」ということには答

          「正常性バイアス」→「別によくない?症候群」

          アベの「譲歩に見せかけたムシ」と、加藤の「冷笑を伴う全否定」

           まぁ、これはタイトルどおりで、とにかく彼らには、「真摯な姿勢」というものが、とことん欠落しているようだ。  アベの口ぐせになってるのが、「いずれにいたしましても」という言葉。それは一見、「そういう意見も考慮いたしますが」というイミが内包されてるかのように見えるけど、実際には、いっさい相手方の意見に向き合っていないというのは自明のことだろう。  基本的に英語では although(…だけれども、)という単語は「譲歩」という役割をもつ。そのときには、そのあとに述べられること

          アベの「譲歩に見せかけたムシ」と、加藤の「冷笑を伴う全否定」

          アベロボットの、倫理に対する「ネグレクト」

           とにかくいまの内閣は、国民自身にとっての「よい」「悪い」という判断を、まったく抜きにして政権を営んでいるようだ。  彼らにあるのは、自分たち政府・与党にとって、なんならただ単純に「自分自身」にとって「よい」か「悪いか」という吟味だけだ。  そこでないがしろにされるのは、国民みんなだというのは間違いない。  俺がアベ首相はもう「終わったんだな」という確信をもったのは、2年前の西日本豪雨の際に宴会を開いていたことを非難され、それに開き直って答弁していたときだ。  彼は委

          アベロボットの、倫理に対する「ネグレクト」