「正常性バイアス」→「別によくない?症候群」

 先日、久しぶりに先輩とその奥さんに会った。

 奥さんは、アベ首相を支持していると言う。「なんで?」と俺が聞いたら、「他にいないじゃん」の一点張りだった。「嫌だって言うんなら他に誰か挙げてみてよ」とか言うので、「えだのんとかは?」と俺が言うと、「あの人滑舌悪いじゃん」というトーン・ポリシングをいきなり見せてきた(そのとき、先輩は「アベも悪いけどね」とツッコんでいたけど)。

「アベさんの何がいいのか俺にはわからない」と言ったが、結局彼女も具体的に「何がいい」ということには答えられなかった。「アベノミクスがうまくいってて、GDPが上がってる」ってことにしたいようだったが、そうでもないってのはデータを見ればわかる話で。「数字よりも、生活がよくなってるっていう具体的な実感がないよ」と言ったら、「それはあなたが稼ぐ努力をしていないからだ」という自己責任論をかまされた(まぁ、そこは否定できない部分もあるけど…)。でも、「俺以外にも暮らしに困っている人はいる」という話をすると、「結局、国際競争力を高めるためには格差はあったほうがいい」という暴論をかましてくるので、もう俺はなにも言えなくなってしまった。

 彼女は、「みんなが平等というのはムリだ」という確信をもっているようで、逆に野党は全員が「みんなが平等」な社会をめざしているとでも決めつけたいかのようだった。まぁ、めちゃくちゃ単純にまとめると「平等」というものを志向してはいるんだろうけど、別に野党がみんな「脳内お花畑」なわけでもなかろう。というより、今の与党の「体たらく」を厳しく指摘している点では、現実を直視していると言ってもいいと思える。

 しかし、彼女はそんなことには興味はなさそうだった。国会中継も見ていないし、なんなら検察庁法改正のことも知らなかった(先週の話ではあるけど)。でも、とにかく「他にいない」という一点でアベを支持しているらしい。

 なるほど、と俺は思う。ちまたでは「正常性バイアス」とよばれる状態に陥っているのだな、と。それは言い換えると、「別によくない?症候群」とでも言えるんじゃなかろうか。

 彼女にはまず先に「支持」という気持ちが確固としてあるから、アベが多少なり失策をしたとしても、「別によくない?」という態度ですべて臨んでしまうんだろう。「だって、別に(わたしにとっては)悪い社会じゃないし」という内心を抱えていそうだ。先輩たちはそこそこ稼ぎもあるし、子どもも産まれたばかりで、順風満帆と言えそうな暮らしを送っている。

「わたし」がまずいちばんにあるから、「他のひと」のことにまで考えが及ばないんだろうな。そして、「自分自身の今の暮らし」に満足している人は、特にいまの「政治」を変えることに必然性を感じないんだろう。むしろ、このままであってくれたほうがいいと思ってそうだ(現政権を支持している人は、だいたいこんな思いをもっているだろう)。

 ただ、そういう姿勢自体が「悪い」ということは、なかなか断言はしづらい。そもそも彼女らには自分の子どもを守らねばならない、という確固とした信念がある。なんなら、「子育て」をする上では、ヘタな政治的対立なんかを夫婦の間に持ち込んでギクシャクするよりは、「平和」に過ごしたほうがいい可能性だってありそうだ。

 でも、それって本当に「よい」ことなんだろうか。もしそのままその子が今の「階級」のまま順風満帆に成長をしたとして、要は「勝ち組」になったとすると、他のひとを安易に「見下す」ような考えを身に付けてしまいそうな気がする(その点、先輩はどっちかというと「リベラル」な考えをもっているはずなので、そこでバランスがとれる可能性はあるが)。一方で、自分自身がどっかで「つまずいた」ときに、「あなたのせいよ」と母親から過度に貶められはしないだろうか。あるいは、自分で自分を責めて、過度に落ち込むことになりはしまいか。

 というより彼女は、このまま「政治」が劣化していったときに、子どもたちが被る可能性のある「弊害」には、思いを馳せないんだろうか。

「いまさえよければ」いいのか。

 いずれにせよ、「別によくない?」と誰かがほざいたときには、「ほんとにいいの?」と聞き返す姿勢は、いつでも保っておいたほうがいいような気がした。

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