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ASDの息子12歳に告知をした話

6年生の息子に告知をしました

5歳でASDの診断がついた息子に、12歳になってから告知をしました。
普通級在籍、発語が遅かったので言葉の訓練の通級利用の息子です。
特に現在は通院やカウンセリングは何もしていません。

告知をするときに私はどう伝えるか、どのタイミングが良いのか、伝えても大丈夫なのか・・・とぐるぐるものすごく悩んだので、どなたかの参考になれば良いなと思い、その時のことを書いてみます。


告知をするタイミングについて

中学受験を控えている息子。
学校説明会や相談会の時に「発達障害があっても大丈夫でしょうか?」という質問が、当然できないわけです。何も知らない息子が隣にいるので。

実際にそのような質問はしませんでしたが、息子本人のことなのに息子本人が知らないということについて、『それってどうなの?』という思いが私の中で強くなっていきました。

中学生になり一人で行動する範囲が広がる前に伝えておいた方が本人のためにも良いと思い、6年生のうちに伝えようと決めました。

また、6年生になってから中学受験をすると決意した息子はメキメキ成長中で、「この子なら受け止められるだろう」という私の中での謎の自信もありました。


告知までの布石の散りばめ

いつかは告知をする日が来ると思っていた私は、数年に渡って息子に「得意や苦手は誰にでもあるんだよ」と常に伝えてきました。

「自閉症スペクトラム障害」という診断名は出さなくても、「あなたってこれがものすごく得意だよね」「あなたはこれがものすごく苦手だよね」「ママは地図がものすごく苦手なの。帰り道を覚えるの、協力してくれる?」等と、日頃から『これが得意、これが苦手』は言葉にして伝えていました。

こんなこいるかなも動画で見せて、「いろんな子がいるからおもしろいんだよ」と教えてきました。

絵画などのものすごい才能を持った当事者さんの動画を一緒に見て「本当にすごいよね!」と話したり。

発達障害関係の書籍も、普通に本棚に並べています。
「ママはこういう人たちの脳内にとても興味があって、もっといろいろ知りたいと思ってるの」という話もしています。

3年生ぐらいの頃に『ヘルプマーク』の意味を教えていて、「あれは見た目でわからないような困難を抱えてる人がつけるマークだよ。あなたもこういう部分で困り感があるから、外に一人で出かける時はつけたほうがいいかもね」と言ったこともありました。その時に「え?僕は障害者なの?」と聞く息子にははっきりとは伝えませんでしたが、「そうだね、お医者さんに行けば障害者ですって言われるかもね!ママもこういう苦手があるから、障害者ですって言われるかも!」なんていう話をした気がする。

「発達障害は珍しいことではなく、この社会で生きていくうえでの障害がありますということを表す言葉であり、あなた自身に問題があるというレッテル貼りではない」ということがいざ告知したときに伝わるように、常に意識してきました。


どうやって告知をしたのか

「息子に大事な話をするときはカフェで」と、決めています。
家でなんとなくよりも、その日の記憶が残りやすいからです。

その日は2人で中学校の学校見学へ行ったあと、ランチをして、そのあと「ちょっとお茶しよう!」とカフェで話をしました。

私「あのね、大事なお話があるよ」
息子「ん?なに?」
私「もう理解できると思うから話そうと思うんだけど、息子、発達障害って知ってる?」
息子「知ってるよ!」
私「あのね、息子も実は5歳の時に病院で『発達障害です』って言われたことがあるんだよ」
息子「えー!そうだったのー!」
私「そうなんだよー!だってめちゃめちゃ忘れんぼだし、めちゃめちゃ人にぶつかるじゃん?なわとび全然跳べないしさ!」
息子「ママひどーい!!笑」
私「あはは!だからさ、1年生になる前に本当は『支援級がいいかな?』とかも迷ったんだよ?」
息子「えええ!そうだったのー!ママ大変だったね!笑」
私「そうだよー、ママ大変だよ!笑 でもさ、普通級で大丈夫だったね!息子、がんばってるよ!」
息子「うん!大丈夫だよ!」
私「あとさ、苦手も多いけど得意も多いしね。漢字とかすぐ覚えるし、暗記得意すぎるでしょ。」
息子「うん、暗記簡単!」
私「あと、集中力!何時間も勉強できるのとかすごいことだからね?」
息子「そうなの?確かに、集中できる。得意。ラッキー!!」
私「そうそう。苦手なことはとても苦手だけど、得意なことはとても得意なんだよ。だからこれからはママが『息子はこれが苦手だね』って言ってないようなことでも自分で『得意だな』とか『苦手だな』とか思ったことは自分からママにどんどん教えてほしいの!」
息子「うん!わかった!!!」
私「あと、その集中力と暗記力はものすごく強い武器だからね。受験勉強、これからも頑張ろう!」
息子「よし!OK!」

なんとも前向きに明るく、告知完了です。


告知の後の息子の様子

「OK!」なんて言いながらも心の中では衝撃を受けているかも・・と思って本当に気を付けて様子を見ていたのですが、全く気にしていない様子です。

なんなら「この動画の質問、ASDの人と定型発達の人で回答の仕方が変わるんだって!ちょっとやってみて!」とかいうやり取りも自然にできるようになり、私も気が楽だし楽しいです。

今までは「あなたはおっちょこちょいなんだから道を歩くときよく気をつけなさいよ!」と、母が子の『おっちょこちょい』を決めつけているような会話になりお互い少しモヤモヤしていました。
今は「ほら!あなたはそこが苦手なんだったよ!」と言うと息子も「あっ!そうだった!」と素直に聞けるようになりました。

告知して、良かった!このタイミングで、良かった!


告知を考えている人へ

「障害」と言われて「ずしーん」となる人ヘはやめといて。
できれば、家庭内で「ずしーん」とならない環境を作っておくのが良いと、私は思います。
まずは「障害とは」の理解を前向きにできる段階を経てほしい。

適切な支援を受けるために「障害」という重めの言葉を使っているけど、それは決して、あなたが異常だとかおかしいとか欠陥があるとかそういう意味ではない。
脳の特性により、頑張ってもどうしようもない部分で起こる「この社会で生きる上での生きづらさ」を持っているよという意味でしかない。


逆の世界を想像してみる

想像してみてほしいのですが、「大多数の人が耳が聴こえなくて手話でコミュニケーションを取っている世界」があったとしたら、手話が使えない私はその世界での「障害者」となるのです。
手話は何とか練習してできるようになったとします。でもその世界では、ほとんどみんな耳が聴こえない故に、音楽を聴くという文化がなかったり、24時間騒音対策無しで建築工事がされていたり、「耳が聴こえると困る」という場面が多く存在する。となると、この世界では「耳が聴こえる人が障害者」となるのです。

となると、あなたはどうしますか?
「なんで耳が聴こえる状態で生まれてしまったんだろう!」と自分の耳を潰して「障害者」から抜けだそうとするのではなく、「耳が聴こえる少数派の人と悩みを共感しあえるコミュニティを創ろう!」とか、「夜の騒音が気にならないような条件に合う家を探そう」とか、生きづらい社会の中でも自分が少しでも生きやすくなる方法を探りますよね。障害者のままで。

発達障害のある息子も、「健常者にならなきゃ!」と頑張るのではなくて、発達障害がありながらも生きやすい環境を自分で整えていく方法を探ってほしいなと思います。


まとめ

  • 告知をするタイミング、年齢

  • 本人の「障害」という言葉についてのイメージや認識

  • 告知をする人が「障害」を正しく理解していること

が大事かなと私は思います。

ちなみに、「あえて告知をしない」という選択肢は私の中にはありませんでした。
発達障害のある夫と結婚して、苦労しているからです。

「自分は得意と苦手の凸凹が大きいのでそれにより生きづらさを感じる場面がある」という自覚は持っていてほしいし、それを自己否定的な意味でなく理解しておいてほしい。

将来周りを傷つけたり自分が苦しんだりすることがあったら、悲しいので。
「告知」ってとても大切で意味のあることだと思います。
我が家のやり方が正解とは限りませんが、参考にしていただけるとうれしいです。




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