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『テンシンシエン!』第29話

◆「コスパヲハカル?」

 ”すなどけい”のホットサンドセットでお腹を満たし、カウンセリングの時間には少し早いが、そそくさと店を後にした。常連の諸先輩方が、ランチを目当てにわさわさと店に群がりつつある。なんとなく自分の居場所が削られていくように感じて居心地が悪くなった。

 散歩がてら浦和区役所の方まで足を延ばし、少し遠回りして駅西口へ向かう。意外と知らない店が多いことに気付く。こんなところにプリン専門店があるのか・・・へぇ、ここのカフェはなんとレトロな・・・”やじろべえ”・・・か・・・今度来てみよう。
 もし、あの調子で働き続けていたら、こんなお店たちを知らずに生きていたのだろうと思う。無職になったおかげで、なんだか得をした気分になる。

 気分がいい。


「長澤ひとみ・・・か・・・」

 ん?

 うわっ!何だこの独り言は・・・いやいやダメだろ・・・50を過ぎたおっさんが、男子高校生のような青い気持ちになっているなんて・・・
 気持ち悪い・・・
 仕事をしなさ過ぎて頭がおかしくなったのか・・・気持ちを切り替えよう。そろそろ目的地だ。

 いつものように、JR浦和駅西口近くの雑居ビルでエレベーターに乗り、そして、いつものように7階で降りて就職支援センターの入り口でドアフォンを押す。

「はい。就職支援センターです。」
「あっ、こんにちは。沢村ですが、山泉さんは・・・。」
「沢村様ですね・・・お入りください。」
「はい。」

”ミー、カチャ・・・”

 これもいつもと同じ。
「沢村さん、こんにちは。こちらの部屋へどうぞ。」
 これも・・・そして椅子に座る。
「退職されてからもうすぐ二か月になりますが、いかがですか?なにか生活に変化がございましたか?」
 山泉さんが、毎回同じようなことを、嬉しそうな表情で聞いてくるが、今日は私の返事がいつもと違う。
「変化というか・・・山泉さんに報告と相談事がありまして。」
「報告と相談事ですか・・・?」
「えぇ、実は・・・

 登録した二つの就職支援サイトに登録されている職種や業界の傾向を分析した結果、支援VIPは、メーカーからのエンジニアや研究開発職の求人が多く、キャリフロはコンサル会社からの求人が多いことがわかった。そこで、両サイトに合った内容で経歴書やキャリアシートを書き換えた、つまり、支援VIP向けには、”エンジニアとしての成果”を、キャリフロ用には、新事業の企画や、その運営実績、外部連携などの成果を強調して、”マネージャーとしての手腕の高さ”をメインに修正してみたことを報告した。

「なるほど・・・」
 山泉さんは、右手で口元を覆いながらボソッとつぶやくと、うつむき加減だった顔をあらためて私の方に向け、うれしそうな表情をして、この「サイトに合った書類内容の最適化」の成果を聞いてきた。

「で、沢村さん、この結果はどうでしたか?とても興味があります。」
「はい、この書類修正後に応募した求人案件で、いくつか反応があったんですよ。それとですね・・・ヘッドハンターからのスカウトメールが、一件来たんです!」
「ほお・・・それはすごい。で、まず反応というのはどんな反応だったのですか?」
「えぇ。それを本日相談したくて・・・」
「相談事というのは、その反応に関することなんですね?」
「はい、そうです。で、反応というのは・・・

 応募した企業で、トマト運輸、明治電工、後田建設、山崎重工、4社から書類選考にあたっての質問メールが来たこと。概ね4社とも同じ内容で、①現在の年収、②希望年収、③これ以下ならば入社は考えられないという最低年収に関する質問。この中で、②希望年収、③最低年収が厄介である。サイトに登録している私のプロフィールには、当然、希望年収は明示している。それと公開されている企業からの求人票にも、それぞれ年収の記載がある。にもかかわらず、このような質問。いったいどう答えるのが良いのか?
 例えば、私は希望年収を800万円以上と登録してあるが、企業からの求人票には上限は890万円とあれば、800万円と返すべきか、それとも890万円と返すべきか?
 質問の真意とこの場合辺りのさじ加減がよく分からないと聞いてみた。

「なるほど・・・それは確かに悩みますよね。まず質問の真意ですけど、あくまでも私の経験と想像ですが、こういった質問の多くの場合が、コストパフォーマンスを測っています。沢村さんの市場価値や、対抗馬となる人材に対して、どれだけコスパが高いか?でしょうね。でもコスパが良ければ良いという訳ではなくて、安すぎると逆に何かあるのでは?と警戒されます。」
「なるほど・・・」
「ですから、もう一つのご質問の回答になりますが、沢村さんの希望年収が800万円で、企業からの年収の上限が890万円であるのなら、800万円という回答がベターでしょうね。これ以下なら入社しないという最低年収は・・・どうでしょうね。希望年収が800万円なら10%カットの720万円程度でしょうか?あまり安売りし過ぎてもどうかと思います。」
「そうですね。あまり安すぎるのはちょっと・・・ともかくスッキリしました。ありがとうございます。」
 よし、この線でメールの返信をしよう。ん?なんだ?山泉さんがニヤニヤしているけど・・・

「ところで、ずいぶんと希望年収を下げたのですね。」
 いちいち言わなくてもいいのに・・・この人、本当に一言多い・・・


■第30話へつづく


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