見出し画像

『テンシンシエン!』第13話

◆「ファーストコンタクト?」

 決して強がりではなく、無職という生活も悪くない。早期退職の上乗せ金とまた再就職して働けば良いという経済的基盤の余裕がそう思わせているだけなのかもしれないが、なんと言うかすべてに余裕がある。働いていた時に比べるとストレスやプレッシャーもないし、毎日が自分のペースで生きることができる。こんな生活も良いかなと思ったりもした。

2021年4月23日木曜日
 今朝は近所のカフェで朝食をとろう。サラリーマン時代は、エキナカのカフェで急ぎの朝食をとることはあったが、わざわざ朝食目的でカフェに行くなんてどれくらいぶりだろうか、しかも一人で。以前、桜見物の散歩で見つけたカフェ”すなどけい”、気づけば私も週4で通う常連になっていた。人と喋ることは嫌いではなかったが、その価値に対してはさほどプライオリティーが高い訳ではなく、無いなら無いで問題ないと思っていたが・・・無職になって気が付いた、一言も発していない日ばかりになっていることに。大げさではなく声の出し方を忘れてしまいそうになる。今日は大切なヘッドハンターとの電話面談の日。事前によく舌や口の筋肉を頬ぐしておかないと、上手く喋れなくて困ってしまう。少しすなどけいのママとお喋りして準備運動しておかないとな・・・

「あら、おはようございます!今日は早いですね。」
「おはようございます。えぇ、ちょっと早く目が覚めたんで。」
「いつものでいいですか?」
「あっ、今日はモーニングを。このBセットをください。コーヒーはいつものトラジャで。」
「かしこまりました。Bセットのフレンチトーストにコーヒーはトラジャですね。少々お待ちください。」
 いつも座るカウンター席に腰を下ろした。私以外に客はいない。この時間帯に来たのは初めてだったが、来る甲斐がありそうだ。

「お店の面積や規模と関係なく、感染防止しないといけないから大変ですね。」
「あぁこれですか。幸いうちは、もとからアルコール出してなかったり閉店時間が早かったりで大した被害はないですけど、居酒屋さんとか洋食屋さんとかは・・・ね・・・」
「そうなんですか・・・。」
 うまい言葉が出てこない。しばしの沈黙が続いた。

「はい、モーニングB、フレンチトーストとトラジャです。」

 直接聞いたわけではないので不確かなのだが、常連たちの会話から推察するに彼女は独身らしい。正確に言うと”今は”独身のようだ。野球をやっている男の子がいるようなことを、同世代の女性客と話していることがあるので、少なくとも一人のお子さんはいるようだ。別に色々と知りたい訳ではないのでどうでも良いのだが、常連客との会話からわかる彼女の断片的な情報を基に、なんとなく彼女の生活をアレコレ考えてしまう。悪い癖だ。

「おっ、そろそろ帰らないと。お会計してください。」
「はい、いつもありがとうございます。」
 気付けば10時半だった。準備運動をと思っていたが結局ほとんど黙っていた。私の後から来た先輩常連客のおじさんたちは、楽しそうにママとの会話を楽しんでいた。私にはまだそんなに彼女に関する情報もなく、あんなふうにフランクに接することはできない。それに、なによりも彼女の態度も違った。”すなどけい歴”1か月未満の新米常連客ではこの程度かなと、自分で自分を納得させて会計を済ませようとしたその時。

「お客さんお名前はなんて言うんですか? なんかお名前ぐらい知ってた方がお話ししやすいというか・・・。」
「あっ、あぁ、えっと・・・沢村、沢村と言います。」
「沢村さんね。じゃ沢村さん、いつもありがとうございます。また来てくださいね。」

 改めてだが、おじさんたちがこの店に来る理由はよく理解できる。

 帰宅してキャリアシート、履歴書を準備して七味さんからの電話を待った。こんな風にしてヘッドハンターからの電話を待つなんて初めての経験だ。なんかドキドキするし、なんて言われるのかが少し楽しみだ。これで再就職先が決まってしまったら、今日の夕方にお会いする枡口さんにはなんか申し訳ないなぁと思いながら待っていると・・・

”テトタト テトテト テトタト、テトタト テトテト テトタト・・・”

「はい、沢村です。」
「私、オートコンサルの七味、しぃ、ちぃ、み、と言うものですが、沢村さんのお電話でお間違いないでしょうか?」
「はい、間違いござません。私が沢村です。」


■第14話へつづく


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?