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#64 声高にマイノリティを擁護する風潮

最近、LGBTと性多様性を謳う場面が多くなり、色んな人がいても良いんだと思われるようになってきました。
私も友人にLGBTそれぞれいますが、それぞれと仲良くさせて頂いております。
普段はごくごく一般的な男性と女性。ただ、性自認が人と違うだけなので普通に接していれば、普通の友人です。

様々な性”
もっと細かく分けて『LGBTQIA+』と呼ぶようになっており、さらに細分化されています。
Facebookコミュニティでは58種に分かれます。今後も、増えていくのではないでしょうか。
知りたい方は”LGBTQIA+”と調べれば、詳細がわかりますので、是非調べて頂ければ幸いです。
(調べたら続き読んでほしいです)

さて、他者を理解し尊重することはとても重要ですが、細かく分けすぎて、結局どっちなの?と思われても仕方ないような気がします。
男女関わらず誰かを好きにならない人に関しては区別をつける必要もないと考えていますが、世の中的には必要なようです。
あなたはそういう人なんだね、で終わる話だと思いますが、世の中は奥が深いなと、思います。
ただ、性別が問題で、何か成し遂げたいけどできない、という事態はとても悲しいことです。

さて、相手の考え方や立場に立って考えることはとても大事です。
私のnoteでは”考え方”について発信することが多いのですが、
この性別の問題については一言だけ

”自由にさせてあげよう”

この一言だけです。
他人が性嗜好や性分類についてとやかく言う必要はないのです。
幸せの形は人によって十人十色。
その人がそれで幸せだと感じていれば、それが一番です。

助けを求められた時、助けを出せばいい。本人の話なので、本人がケリをつけるべきなのです。
また、本人が差別や迫害を受けていて、声を挙げ、反抗するのは立派な行為です。ですが、代理戦争みたいに関係ない人が声を挙げるのは、いかがなものでしょう。
これは朝鮮戦争などの歴史を見ても明白です。誰かが得するから、代わりを申し出ます。
声高にマイノリティを擁護する必要はないのです。本人の問題に、本人以外の人たちが入る必要はありません。

日本では性的マイノリティの対応は先進国でも後れを取っています。
結婚、教育、医療、法律など大きな問題が関わってくる問題なので一筋縄ではいかないでしょう。
大きな問題を解決することも大事ですが、同時に本人たちが幸せであるかどうかの方が大事だと思うのです。生活が守られているかどうか。その生活を守る経済力や実力があるかどうか。

マイノリティがなくなることはありません。
また違うマイノリティができます。
だから思うのです。"自由にさせてあげよう"と。

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