「「価値」提供は連想・連関・派生を経る」

「記事を書く上でネタが無い・・・」
「記事に何を書けばよいのか思いつかない・・・」

そんなことを、自分でも、つい最近まで思う事があったし、そんな話もよく見かける。

だが、今の私に言わせれば、ネタが無くなることなどありえない。

「ネタが無い」とは、つまり、「ネタが無い。だから、記事を創造できない」と言いたいのだろう。

だが、ここで「記事を創造できない」という、その言葉の意味を、よく考えなければならない。

「記事を創造できない」とは、つまり、どういう意味なのだろうか、と。

正確に、この言葉を表現するのなら、「記事のネタを創造できない」になるだろう。

要するに、「もうこれ以上、自分の頭の中から、記事に書けるような内容を創造できない」のだ、と。

だが、「創造」は尽きないし、ネタが無くなることもあり得ない。

このことを説明するために、そもそも「創造」とは何なのだろうか、ということについて考えていきたい。

「創造」―――――それは「連想」のことであり、「連関」のことであり、「派生」のことだろう。

自分の頭の中で、「とある事象」と、「とある事象」同士が、まるで、「共に、手と手を取り合うかのよう」に、繋がり、関連付けられ、そして「創造」が生まれてくるのだ。

その働き・プロセスは、まさしく、「とある事象」から、また「とある事象」が、「連想」され「連関」され「派生」される―――――というものだ。

その働き・プロセスを経て、自分の頭の中から「価値」が、「創造」される。

これが、「自分の頭の中」で起きる、「創造」のプロセスだ。

私の説明が、「分かりにくい」と感じる人もいるかもしれないが、これには、それなりの理由がある。

その理由というのは、「創造」という言葉自体が持つ、「抽象性」にある。

「創造」という言葉は、実に抽象的で、説明の難しい概念だ。

だから、その「創造」の説明をしようとしても、どうしても説明が抽象的になってしまう。

この点については、この記事を読んでいる、皆様方には、ご了承願いたい。

さて、話を戻すと、記事のネタも、実は、この「創造」のプロセスを通して行われているわけだが、同じように、自分の頭の中からの「価値」の創造までもが、このプロセスを通して行われている。

つまり、自分の頭の中から「価値」を取り出して、提供する、という場合においても、「連想」「連関」「派生」といったプロセスを経ることとなる。

だから、記事のネタを探している場合には、「ある事象」から「連想」「連関」「派生」をしてしまえば良いのだ。

そうすれば、ネタは見つかる。

トニー・ブザンで有名な、かの「マインドマップ」といったものも、こういった、「記事を書く」ということをする上で、役に立つことだろう。

以上が、今回の記事のタイトルの、「「価値」提供は連想・連関・派生を経る」の説明となる。

今回はここまで。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?