「同じことを繰り返していても、人間は成長できない」は本当か?

「いつまでも、同じことを繰り返していても、人間は成長できない。」

そういう言葉を、誰しもが、おそらく、一度のみならず、何度も聞いたことがあることだろう。

だが、ある条件の元においては、

「もしかしたら、「同じことを繰り返し続けていても、成長できる」のではないか」

と思えることもある。

例えば、「自動車の運転」などが、その代表的なものになるだろう。

「自動車の運転」という、「「同じこと」を繰り返し続ける」ことで、「自動車の運転」は上手くなっていくものだ。

ただ、ここで疑問が生じる。

なぜ、この世には、「同じことを繰り返し続けていても、成長できる」と言えるものもあれば、「いつまでも、同じことを繰り返し続けていても、成長できない」と言えることの、2つが存在するのだろうか?

その2つの違いは、一体、どこにあるのだろうか?、と。

先の例の、「自動車の運転」のように、「「同じこと」を繰り返し続けていても、成長できる」と言えるものには、次のような特徴がある。

①一連の、機械的な動作によるもの。
②すべての対応や動作が、「マニュアル」として存在しており、かつ、その「マニュアル」1つで、すべての対応や動作が完結しているといえるもの。


以下、順番に説明していこう。

①一連の、機械的な動作によるもの。

「自動車の運転」や、「製造工場での、作業員による、流れ作業の動作」といったものは、すべてとまでは言わないものの、その動作の大部分は、「一連の、機械的な動作によるもの」と言える。

オートマチックでの、「自動車の運転」で言うならば、「ドライブにギアをチェンジしたい」というのなら、

「ブレーキペダルを踏み続ける→ ドライブにギアをチェンジする」

という動作になる。

つまり、ブレーキペダルを踏み続けなければ、ドライブにギアをチェンジすることができないため、必ず、

「ブレーキペダルを踏み続ける→ ドライブにギアをチェンジする」

という「一連の動作」をすることになるのだ。

②すべての対応や動作が、「マニュアル」として存在しており、かつ、その「マニュアル」1つで、すべての対応や動作が完結しているといえるもの。

「自動車の運転」は、すべての対応や動作が、「マニュアル」として存在しており、かつ、その「マニュアル」1つで、すべての対応や動作が完結している、といえる。

そもそも、自動車とは、「製品」である以上、きちんと、その「マニュアル」通りに動いてもらわなければ困る。

それに、きちんと「マニュアル」通りに動かなければ、自動車の製造をしている会社の方も、ビジネスとして成り立たないだろう。

このように、私たちユーザー自身が、正しく「マニュアル」に従いさえすれば、安心で、しかも、安全な、きちんとした運転ができるように、自動車の製造をしている会社が、自動車の設計をしてくれているおかげで、私たちは自動車の運転に関しては、「同じことを繰り返し続けていても、成長できる」と言えるのだ。

「自動車の運転」に限らず、「「マニュアル」の存在しない分野」において「スキル」を身に付けたい」という時にすら、「「一連の、機械的な動作」で、人間は成長できる」、という点が存在していると思う。

しかも、それは、「「マニュアル」の存在しない分野」においても、「一連の、機械的な動作」というものが存在する、という根拠でもあるのだ。

「「マニュアル」の存在しない分野」において、「スキル」を身に付けたい」という場合は、最初のうちは、「見よう見まね」でやってみることが多い。

最初のうちは「見よう見まね」だが、その「見よう見まね」という、「「同じこと」を繰り返し続けていく」ということによって、人間は、上達していくことができる。

だから、人間は、「「マニュアル」の存在しない分野」においてですら、「「一連の機械的な動作」によって、成長できる」と言えるのだ。

こういった、「一連の機械的な動作」という、「反復継続」の持つ力を、決して、見くびってはいけない。

「しょせん、「見よう見まね」だ」、と馬鹿にしてはいけない。

「いつまでも、同じことを繰り返していても、人間は成長できない」
のではない。

実際の事実は、その逆であり、
「同じことを繰り返し続けることで、人間は成長できる」
のだから。

それが、たとえ、「「一連の、機械的な動作」の繰り返し」であろうが、その動作に、「「マニュアル」が存在している」としても、それとは一切、関係が無い。

「同じことを繰り返し続けることで、人間は成長できる」

これが事実であり、現実だ。

今回はここまで。

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