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生きるということは

生きるということは、繰り返し何度でも考えるといい。生きるということを通して、自分にとって最も大切なことを忘れずにいられるから。

私もまた、今日は生きるということについて書いてみようと思う。

私にとって生きるということは、自分が自分であるということ、そして今日生きた中で見つけた幸せを人と分け合うことだ。

今日を自分の速度で生きて、一日の終わりに「今日もよく生きたな」と思えて、一日生きたことに「お疲れ様」という言葉を自分にも人にも贈って讃えあう。

小さな日常に、たくさんの愛情を注ぐことも生きることだ。

特別なことや特別なものに価値が置かれる世界では、自分の足元に咲いている豊かさには目が向かない。

でも自分のそばにある豊かさに気づいていれば、世界がどう変わろうと自分の心を満たし続けることができる。

何か特別なものに向かって競い合うことで、世界は発展したのかもしれない。でも自分と人を競争させていくうちに、本来の自分を失って、勝つことが全てになってしまってはいないだろうか。今、人間は本当に幸せなのだろうか。

もちろん競争を通して自分が自分であることができるのなら、その人にとってはそれが正解だ。

疑問に思うのは、競争でできた世界の中で自分の良さを殺して、自分として生きることを忘れさせてしまう世の中が出来上がってしまったことだ。

人間は本来、自分として生きることで、手に入れた幸せを分かち合いながら生きてゆく。

評価されることは今の仕組みで動いている世界でな大切かもしれない。しかし評価されることでしか生きた心地を感じられなくなってしまったら、とても危険だ。

生きるということが他人から良い評価を受けることや競争に勝つことを意味するなら、良い評価をもらったり競争で勝たない限り、自分でいられなくなってしまう。自分の存在意義は評価されることと勝つことにあるのだから。

それでは、生きるのが苦しくなってしまうだろう。

だからこそ、そんなことよりも自分が自分であることや、自分がすでに持っている小さな豊かさに大きな愛情を注ぎ続けることを忘れてはならない。生きることは、そういうことだと思う。


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