限りある中にこそ、無限がある
私はtwitterが大好きです。
今のところtwitterのアカウントは2つ持っていて、どちらも毎日結構な頻度でいじっています。
色々とつぶやいているうちに、140字以内で何かを表現することがものすごく楽しくなりました。
140字ってすごく限られていて、映画の感想なんか書ききれないんです。
それでも140字以上のことを伝えられる気がしています。
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140字という限られた範囲でも、そこに並んだ言葉からは無限に想像することができます。
だからtwitterに何かを書きこむときには、自分の伝えたいことを140字でどんなふうに表して、それを受け取った人がどんな想像をするかなと、わくわくしながら書いてるんです。
なんだか、短歌と似ているなあ、って私は思いました。
1年前くらいに、実はひとりで趣味で短歌を書いていたこともあり、短歌もたった31文字で自分の言いたいことを表現します。
文字制限のない作文なんかも好きですが、実は文字数の限られていた方が、多くを語りすぎず、かえって無限に伝えられるんじゃないかなって思えてきました。
実はこのnoteもだいたい1000文字~1200文字くらいの中におさめているんです。
もっと書こうと思えば色々書き足すことはできますが、それでも、決めた範囲内で何かを書くことに大きな可能性がある気がしてならないんです。
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限られたものから、無限を感じることって、よく見まわしてみるとたくさんあります。
たとえば、桜の花とか。
桜の花が咲く期間は1~2週間くらいで、すぐに散ってしまいます。
それでも、そこからは無限に感じ取れるものがあります。
散るとか、儚さって何だろう?
永遠って何だろう?
そういった無限のテーマを、限りある桜は思い起こさせます。
そういったことからも、「もしかしたら有限の中から無限が生まれるのかもしれない」なんて私は思っています。
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なんだか難しい話になってしまいました。
言いたかったのは、限られた時間や限られたスペースから、無限の想像ができる面白さです。
twitterはこれが顕著にあらわれるから、やっていて飽きません。
私の大好きな言葉もたくさん使えます。
もしかしたら、私は制限の中でどれほどの表現ができるのか、といったことが好きなのかもしれません。
twitterをやってまた1つ、自分の好きなことができて良かった、と思います。
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