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疑惑から判定まで半年かかった、小2長男の読み書き学習障害①

不登校の小2長男が読み書き障害と診断された。「やっぱりそうだったのか」ショックを受ける暇もなく、納得というか確信というか、そんなの当たり前だよねというか。これでようやく先に進めると一筋の光が差したかのようだった。

登校渋りの当初から長男は「書くのがいやだ」と漏らしていた。それより前、長男の幼少期から診断が下りるまでの流れを振り返って書き留めておく。

文字に興味の持てない就学前

長男は小さい頃から絵本を読んでもらう事が好きだった。
バスが大好きだった2歳前、たまたま児童館で見つけた「うみへいくピン・ポン・バス」を読んでみたら最後まで膝の上で聞いていた時には少しびっくりした。その後お姉ちゃんになった女の子のお話「ちょっとだけ」を次男が生まれたのを期に長男に読み聞かせた。いたく気に入って毎晩のように読んでいたら、そのうち自分でページをめくりながらまるで読んでいるかのように暗唱し始めた。入園前の冬、3歳になる前の頃だ。

それとは裏腹に文字に興味を持つ様子は全く見られない。年長になってお風呂にあいうえおポスターを張りはじめたものの「ぼくも字が読めるようになりたい」と言い始めた時にはすでに3学期になっていた。
用意していたくもんのドリル『やさしいもじ・かず』と『がんばりめいろ』を入学前に気づけば一人で終わらせていて、自分の名前は書けて読めるその段階での小学校入学。ちなみに数には3歳頃から興味があり100まで数えてみたり片手や両手を使った簡単な計算をゲーム感覚でしていた。

↓入学前に文字習得に挑戦する長男の話↓

頑張りに頑張りを重ねた1年生1学期

1学期は宿題のプリント・音読・計算カードも私が読み上げて長男が頑張って書く・続けて読むといった具合。音読は繰り返す内に暗記していったので一日一回していれば詩の暗唱テストなんかは問題無し。
そういえば幼稚園時代の発表会の劇もセリフ覚えは抜群と毎回担任に言われていた。もちろん字は読めていないので耳から覚えたのだろう。

テストも担任や補助の先生に問題文を読んでもらって受けていたようで、長男だけ特別に支援を受けていたわけではなく、一年生はそんなもののようだった。
夏休み前の担任との面談でも文字については不安だったので相談した。その時も「とても頑張っている、ひらがなもほとんど覚えていない所からのスタートだったがだいぶ読めるようになっている。クラスでも同じような子はいるので特別できていない訳ではない」というような答えだった。

一息つけたのか夏休み

夏休みの少し前頃から長男は勉強に対してじわじわと拒否反応を出していた。「どうして勉強をしないといけないの?」「宿題やりたくないな~」と言いながら、それでもやれやれといった感じで毎日宿題をこなしていた。
毎回音読と国語と算数のプリント1枚づつに計算カード、この頃は1時間はかかっていなかったと思う。
夏休みの宿題も引き続き私が読み上げて長男が頑張って書くといった具合、音読は無く薄いドリルと日記に観察が少しと量自体は少なかったので無事に提出できた。多分この辺りから私は『そろそろ自分で読んで宿題をやって欲しいなぁ』と思っていた。

夏休みに実家に行った際、実母と長男の読み書きについて少しを話していた。
ごくごく短い文章とも言えない単語を逐次読みで読む長男の姿に、私の母は「これじゃぁ学校で勉強についていくの大変じゃない?」と。その頃は担任にも相談して問題ないらしいと言われていたのでそのまま伝えた。母もそんなもんかと思ったようだが「もっと文字を覚えるように何かした方がいいんじゃない?」とは言われ、私もそうかなとは思いながらも具体的に何をすればいいのか分からないまま夏休みは終わっていった。

頑張らないといけない事が増えてしまった1年生2学期前半

夏休みが終わり2学期が始まった。引き続き乗り気でない宿題を私が読み上げる。次第に「時間かかってもいいから、まずは自分で読んでみて、分からなければ聞いていいから」と長男に声掛ける事が増えて行った。私もいつまでたっても自分で読もうとしない長男にうんざりし始めていたのだと思う。
計算カードに長くなった音読の範囲、算数プリントは1枚で変わらないが国語は漢字やカタカナの書き取りになり週末には日記も増えていた、1時間では終わらない。

ひらがなに続いて始まったカタカナと漢字、もちろん長男はカタカナは全く読めない。年長時から1年以上ウルトラマン・スーパー戦隊・仮面ライダーにのめり込んで図鑑やヒーロー雑誌を毎日眺めていた、それらの名前は憶えているのに、ウルトラマンの「ウ」がどれなのか長男は理解していなかったのだ。

とうとう頑張れなくなった1年生2学期後半

上記に加え下校班でのトラブルやクラスの雰囲気もあってか小1の10月から行き渋りが始まり、11月半ばから不登校開始。
その頃の手帳メモを振り返ってみると10月の所にすでに『ディスレクシア(読み書き障害)』の文字が。

11月頭のスクールカウンセラーとの初回相談でもこちらからディスレクシアやビジョントレーニングの話は出していた。否定はされなかったけれど積極的に検査を進められる訳でもなかった。そういった発達の違いを色んな人の目から観察する為にも集団に関わる事のメリットを言われた記憶がある。

同じ時期に行った担任や不登校担当の主幹教諭との面談時にも同じく読み書き障害という物があるという話を出してみた。
しかし「クラスの他の子と比べても頑張っているし心配いらないのでは」や「自分の息子も中々字を覚えなかったがご褒美作戦でプリントをさせていた」という話をされたくらいで言外に『お母さんの考えすぎでは?』『子どもの言いなりで大丈夫?』という雰囲気で正直辛かったのを覚えている。

↓不登校当初の葛藤↓


↓続きの記事↓


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