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本気で生きる人は美しい

本日、30回目の誕生日を迎えました。
あまり実感は湧かないものだと思っていましたが、日付が変わる2時間ほど前にふと、20代が終わることへの寂しさを感じました。

30代、という言葉は響きからしても成熟した、重みのようなものを感じます。
小学生の時、6年生があんなにすごい人達に見えたのに、いざ自分が6年生になると「こんなものか」と思った記憶があります。その当時の感覚と似て、こんな甘々な自分が30代を名乗って良いものなのか、ということを感じてしまいます。

若々しくいる、という意味では20代、10代に固執したいところですが、精神的な成熟度、という意味では30代という響きに見合いたいです。

ではどのようなところが成熟していないのでしょうか。
答えはただ一つ、「自分で自分の選択ができていないこと」です。物事を決めるときに消去法で決める、誰かが言ったからなんとなく従う・・・20代の日々の意思決定は自分でなされたものが少なかったように思います。
そのため、自分の意思決定を自分でしてきた人に比べて、モチベーションも上がらず、日々をなんとなく生きてしまいました。
といっても、それでも自分は精一杯生きてきたつもりなので、そもそも自分が流されてばかりだった事にすら気づいていなかったのだと思います。

しかしその反面、私の周りには常に自分で自分の選択をし、その道を全力で生き抜いている人がいます。その人達のことを見て私は「本気で生きる人は美しい」と感じてきました。


そう思うんだったら、そろそろそっち側にいってもいいんじゃない?


29歳の1年間は、30代の序章かのように、これからの生き方を考える1年となりました。
今まで、本気で日々を生きることを精神論で片付けていましたが、そうではなく、自分で自分の選択をすることが必要であることに気づきました。

そして、私は自分でワーキングホリデーに行く選択をし、オーストラリアに来て、今日30歳の誕生日を迎えました。
10年前の自分どころか、1年前の自分に言っても信じてもらえないと思います。それだけの大冒険です。

このワーホリも始まってまだ2週間しか経たないので、成功に終わるか失敗に終わるかは分かりません。それでも、自分で決断をして周りと戦って渡航を実現させた、という点ではかなりの大きな経験になったと思います。

30代が終わる時、美しく生き抜けた、と思えるよう日々を過ごしたいです。

あらためて、私を30年間様々な場所で支えてくれた周りの人たちに感謝します。

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