【TENET】と【インセプション】比較
少し前にテネット難解すぎて変な方向に妄想した記事を書いた。
今回は簡単にテネットとインセプションの違いについて自分の意見を述べたいと思う。
ループループループ
インセプションはどういう概念かというとまるでプログラミングだなと感じた。というかコンピューターみたいな世界観。
実際コンピューターは面白い。極論、私たちはコンピューターを使って別世界を作り出すこともできる。
私はプログラミングコードを書いている時、for for forとfor文を3回書いた時があった。
このとき、おろ?これってインセプションじゃんと思った自分がいた。
実際数学や情報学を学んでいると、n次元という風に次元を超越して考えている。あたかもn次元が当たり前のように。
クリストファー・ノーラン監督の作品はまるで今私たちが数式やコードで書いている2次元のモノ(概念)を4次元空間(x,y,z,時間)に作り替えているようだ。
この変換するプロセス、平面で文字というシンプルな構造体からイメージ空間に投影しているのではないか?
実際ノーラン監督がテネットのいう未来人なのでは...??と考えてしまう自分。映画を通して何か私たちに伝達もしくは問題を提供しているかのように思える。
現実か夢か
映画はいくつかの指標がある。言い換えれば自由度でもある。自由度が多ければ情報量が多くなり、盛り込むのが大変である。
テネットに関しては、登場人物への書き込みが少ないように思われる。それに対し、インセプションは心理描写が印象的であった。
レオナルド・ディカプリオ演じるドム・コブ(主人公)の妻への想い、それが淡い映像美で語られる。それが切なく儚い。
それに対し、テネットでは私たちは傍観者であり、記録者でもあった。それは、あえて情報量を少なく(無駄なものをカット)することで、私たち読者はただ単純に今起きている現象を観測できる。
ノーラン監督は故意にそのように配慮したのだろうか。それとも、テネットは単にノーランの試作品だったのだろうか。
無知は武器
テネットではストーリーを読み解くのにかなり労力が必要だった。一回見ただけでは、わからない点も多いのだろう。
それに対し、インセプションでは一回見ただけでミッションの目的・主人公の過去を理解することができたし、映像美・音楽など様々なことに注意を払うことができた。
確かに、テネットでは「逆行」という既存のタイムトラベラー映画ではなく、映像を逆再生させるという新たな概念を映画内に取り入れた。これに対し、私はすごいと感じる。逆行と順行のバトルシーンも迫力があって、見入ってしまった。
しかし、なんとなく単一的に映画が進んでいったとも感じられる。心が大きく揺さぶれる何かがなかった。インセプションなら主人公の過去への束縛に胸が締め付けられ、最後のシーンで大きく安堵した。そして、コマが回り続け...そこでエンディングという展開に大きく困惑した。
なぜか、故意に難しくさせているという気がしてままならない。人物同士の話もやや遠回しに言っているようであった。(心の中では簡単に言えや!と思っているが。)
とにかく、感情をできるだけ減らし、わからないままそのまま突き進んでいく感が大きい映画であった。
難解、何回
新しい概念として「逆行」を取り入れたテネット。見終わった直後はじーんとすることもなく、ただ唖然としていた。
確かにすごい作品だ。シナリオも壮大で、一貫性がある。
ノーラン監督お決まりの視聴者を置いていく流れも悪くない。しかし、ダンケルクと同様ドキュメンタリー映画を見ているような感覚であった。
いや、その凄さを呆然と観測するしかなかったのではないのか?
テネット、もう一回見よう。
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