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原始的にチームワークを考えてみる。

うほ。ウホウホ?

ゴリラから「人間の本来あるべき姿」を探る研究をされている京都大学の山極さんの言葉は、好奇心を掻き立てられ、胸に刺さる。多くの気づきを得ることが出来ます。今日はそんなコミュニケーションやチームワークを山極さんの言葉を交えて、原始的に考えていきたいと思います。Zoomなどでのオンラインの交流が盛んに行われている現在、これからどのようにして信頼関係を築き、チームを作るべきなのかを綴っていきます。少々長い文章なので、お時間がある時に読んでいただけると幸いです。うほうほ。ウホ!

人間のチームワークとは?

動物や魚は危険を感じた時に、同調して行動する特性を持っています。良く鳥が一斉に飛び立ったりするのは、その生まれ持った行動パターンがあるからなんです。一羽が危険を察知して飛び立ったら、周りの鳥たちも一斉に飛び立っちゃうやつです。そこに思考はなく、反射的な行動だと言われています。そのような群れは一見するとしっかりとコミュニケーションが取られている"チーム"のようですが、実際は進化のプロセスの中で試行錯誤を繰り返し作りあげられた行動パターンであり、個体が意思を持ち目的を共有している"人間のチーム"とは全く違うものなのです。サルに関しては少し人間に近いコミュニケーションが見られます。一対一で相手の身分や態度を察知して、脳を使い、自分の振る舞いを変えることが出来る生き物です。コミュニティがあり、群れの中にボスがいるのはそのためです。立場が上のものに対して忖度がちょっとだけ出来るそうです

そして我々、人間。

私たちは第三者の存在を意識して、どう行動すれば周りがハッピーになるのかを考えれる生き物です。相手の意図をくみ取り、お互いの目的を達成することができます。長けている能力は "想像して創造することが出来る"こと。たとえば、人間が大きなマグロを釣る時はチームワークが必要です。先ずはメインとなる釣り竿を操作する人、魚探を使い船を操縦する人、マグロを鈎で引き揚げる人が必要です。人間はこうやって各々が役割を持ち、マグロを吊り上げるんだという目標に向かって行動をとることが出来ます。問題が起きた時にはその役割を変更し、最善の策を選択する、フレキシブルな能力も備わっています。

人間が今のような社会を作ることができたのは、抑制することができたからなんです。抑制って他の生き物にはとても難しい。食が人間の大切なコミュニケーションになったのは、自分は食べず、相手に食べ物を譲る行為が出来るからです。そういう抑制を社会の中で行うことによって、人間は独自の世界を作り上げました。サルは自分の利益のために群れを作りますが、人間は自分の利益を捨てても集団のために尽くしたいと考える。この思いをうまく生かしてきたからこそ社会が発展し、人間社会は地球の隅々まで広がって繁栄することができました。ただ抑制だけでは良いチームワークは生まれません。

共感力には限界がある

「あの人疲れてるから、元気出してもらう為に一緒にご飯行こうかな?いや、今はそっとしてあげなよ。」

「あの上司は言ってることは理解出来るけど、行動力が伴ってないよね。OOさんがリーダーになってくれたら良いのに。そうだよね〜。」

この会話や思考は人間の世界でしか起こりません。ある日、私たち人間は言葉で強い意思疎通が出来るようになりました。言葉は人間が持っている五感を抽象的に表現するツールだと山極さんも言われていました。このツールにより共感力は飛躍的に発達したそうです。ですがここで問題が起こります。それが共感力の限界です。実際に、私たちは知らない人に比べると、知っている人に対して強い執着や感情を呼び覚まします。目の前で傷ついた人がいれば強く共感するけれど、そばにいない人の苦しみや喜びは想像するのが難しい。そこにはひとつの限界があります。

人間は共感力や想像力を高めてしまったが為に、ネガティブな思い込みを持ってしまうことがあります。ではどうすればそのような思考にならず、お互いを大切にすることが出来るのか?これはゴリラやチンパンジーの話ですが、彼らもお互いに騙しあったり、不信感を持つそうです。そんな時に彼らがどうやって信頼していくのか。それは付き合っている時間だそうです。群れに入って寝食を共にして信頼関係を築く。逆に新参者には距離をとり、信頼をしないそうです。当たり前と言えば、当たり前のことですがこの時間ってとても大切なんです。苦手だなと思う人でも同じ時間を共有することで、少しはその人の良い部分が見えたり、共感出来る部分が出てくるのはその為です。人間、一人ひとりにも歴史があって、いま関わっているのはその人のほんの一部分なんだと思えば、大きな心で温かく接することが出来るのではないでしょうか。

共有できないはずの感覚が信頼関係をつくる

言葉ができる前は、人間も五感を通じて身体的につながっていたわけです。五感のなかで、一番リアリティをもたらすのは視覚と聴覚です。見る、聞くは簡単に共有できる感覚です。ですが触覚や嗅覚、味覚は100%共有することはできません。匂いや味は言葉で表現するのが難しいし、触覚に至っては触っている人は触られてもいるわけだから、その感覚はお互いに共有できない。ところが面白いことに、この触覚や嗅覚、味覚という共有できないはずの感覚が、信頼関係をつくる上でもっとも大事なものなんです。誰かと一緒にご飯を食べることは、本来ならば共有出来ないはずの感覚をシェア出来るタイミングです。動物であればケンカの元になる食物を、人間は一緒に穏やかに食べる。それって生物界では「我々はケンカしません」と宣言している行為です。しかも、私たちはただ仲良く食べるだけでなく、表現しづらい味を言葉で共有できる能力があるんです。

共感を向ける相手をつくるには、視覚や聴覚ではなく、嗅覚や味覚、触覚をつかって信頼をかたちづくる必要があるのかなと。スポーツなどの合宿で、一緒に食事をして、一緒にお風呂に入って、身体感覚を共有することはチームワークを非常に高めてくれますよね。つまり私たち人間は、身体でつながることが一番だと潜在的に分かっているのです。

脳だけで繋がる現代のコミュニケーション

良くも悪くも言葉を使いはじめてから脳でつながるようになった私たち。バーチャルな言葉で、想像力を働かせてつながるようになりました。人間はインターネットやスマートフォンなど、身体は離れていても脳でつながれる装置をたくさん作ってしまいました。だから安易につながったと錯覚し、実際には信頼関係がしっかり構築されていないという状況が生まれています。私たちは想像力を駆使して共感力を高め、脳でつながる方法をつくりあげてきたけれど、チームワークの基盤には "身体的な" つながりが必要不可欠なんです。

昔は、知識や情報は本や人からしか得られませんでした。行きたい場所に行く時もGoogle Mapは存在せず、見ず知らずの人に聞くしかなかった。クラスメイトと講義を受けて、一緒に勉強をして、本を読んで、その感想を語り合って、問題を解決していました。インターネットで検索して情報が出てくるなら、講義にも図書館にも行かなくていいわけです。便利な時代にいるからこそ、人とつきあうことがコストになっちゃっているんです。人とつながることの敷居が下がったからこそ、心から信頼しあえる人間関係の構築が、今では非常に難しいことのように思えます。個人がみんな裸で孤立してしまっている状態なんです。

現代の私たちは、一日の大半をパソコンや携帯電話に向かって文字と付き合いながら過ごしている。もっと、人と顔を合わせ、話し、食べ、遊び、歌うことに使うべきなのではないでしょうか。道徳力の低下は、現代の日本人が急速に孤独になったことを示しています。それを少しでも埋め合わせようとして、人々は自分の行為をブログやフェイスブックに載せて報告する。しかし、ネットには逸脱した行為を抑制する力がなく、簡単に人が傷つき、傷つけることが出来ます。もっと仲間に自分の時間を差し出し、仲間からも時間をもらいながら、互酬性にもとづいた暮らしを営む。幸福は仲間とともに感じるもので、信頼はお金や言葉ではなく、共に生きた時間によって強められるものだと思います。時間を節約して、なるべく自由な時間を増やそうとするのは、ある意味では正しいかもしれませんが、社会的な関係をつくる上では、むしろマイナスだと思います。相手に対する優しさというのは、時間をかけなければ生まれてこない。それが結局は、自分の資本になると思います。人の考えに接し、対話し、その中で自分というものを再発見することが大切です。その個人の優しさや、思いが良いチームワークを生む第一歩となるのです。

最後に

チームワークにおいて大切なことは、愛のあるポジティブな流れを作ることです。問題が起こった時も五感を使って、答えを導き出しましょう。何でもマニュアル化しようとしたら、思考が停止し、人間同士の身体的な交流が減ります。チームのメンバーと仕事以外のことで、交流することも大切です。その経験によって、チーム内でのバランス感覚を培っていけることでしょう。相手の共感が得られ、よりチーム内での存在価値が増すはずです。自分は何が得意なのか、何に貢献できるのかを考えることができる人が増えれば、個人として、そしてチームとしても力を最大限に発揮できるはずです。

皆さん恐れることはありません。だって人間関係については、正解はない。あくまでも自然体で、自分の本来備わっている魅力を出していきましょう。

チームでの成功とは、自分を高めて他者との競争に勝ち、多くの報酬を得ることではありません。異なる知識や違った能力をもつ人々がチームを組み、役割を分担して目標達成に挑む。その際は、自分が抜き出ることより、それぞれの能力を生かして助け合うことが必要なのだと思います。勝者ばかりを作っていたら、チームワークはできませんし、リーダーも育ちません。調整役として、自分で少し力を抑えながら、人々にも勝利のチャンスを与えて、チーム全体で勝っていくということを演出できる人が必要です。このポジションには、経験が豊富で、交渉力のある方が適任といわれています。

京都大学の山極さんが言われていました。

私が常日ごろ言っているのは、同じ能力を高めても仕方ないと。それはお互い競い合うだけだから。でもそれぞれが自分の個性を理解し、強みを発揮すればもっと素晴らしいものが生まれてきます。そういうことを理解できる人材を、大学も企業も育てていかなければならないと思っています。
人間は群れを行ったり来たりできる。それが人間の特徴です。一つの群れに所属しているわけではない。複数の組織に属して能力を高めるのが人間の特性だ。それができるような環境作りを行うことが今後の私たちの課題です。

こういった環境づくりや人材育成は大切です。

もっと愛のある世の中、人間が増えることを願っています。

さて、

三密を避けて、キャンプにでも行きますか。

大自然の中でチームワークを磨きましょう!

そこに愛はあるんか?

ウホ!

終わり。

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