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[Case 5] マーケットバリューを上げるためには軸が必要 ニューヨーク州Lawyer・金融・米星で就業経験 匿名


プロフィール:2004年慶應義塾大学法学部卒業。法律事務所、金融機関を経て米国ロースクールに留学、LL.M.修了。NY州司 法試験に合格後、現在はシンガポールにて投資運用会社に勤務。日本における女性差別、男女間賃金格差などに 問題意識を持っている(半分諦めている)。趣味は筋トレとダンス。

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[Case 5]
マーケットバリューを上げるためには軸が必要
ニューヨーク州Lawyer・金融・米星で就業経験
匿名

キャリアについて教えてください


 日本の大学を卒業後、米国に拠点を持つ国際的な法律事務所の日本支社へ新卒として入社し、パラリーガルとしてキャリアをスタートさせました。後に海外就職に有利に働くようにとネームバリューなどを考慮して1社目を選びました。数年働いた後、同僚から「アメリカのロースクールへ行って弁護士資格を取るべき」と背中を押され、留学費用を貯めるために給与が比較的高い外資系銀行の日本支社へ転職し、コンプライアンス分野に従事しました。「リーガル」から「コンプライアンス」へ主軸が変わりました。
 留学費用が貯まり、タイミングも合い渡米。修士課程修了後にニューヨーク州の弁護士資格を取得しました。大学院を卒業後にアメリカの法律事務所にてインターンを経て正式採用となりました。これが最初の海外就職です。
 その後、会社の吸収合併を機に帰国し、外資系銀行の日本支社へ転職しました。またもや「コンプライアンス」の領域に戻ります。同銀行内のシンガポールオフィスへ社内異動した後に、現在はシンガポールの投資運用会社にて法務コンプライアンス機能を1人で取りまとめています。


どうして海外で働こうと思いましたか?


 日本ではセクハラとそれに伴う色々な困難に遭うことが多々あり、心身ともに疲れ切っていたため、セクハラがない職場環境を求めて海外就職の道を選びました。


海外就職の経験が豊富ですが、帰国子女でしたか?


 帰国子女ではないのですが、幼少期から英語が身近にある生活でした。10才くらいから近所にある教会の英語教室に通い、さらに実家がホームステイ先として海外からのゲストを受け入れていました。オーストラリア人やインドネシア人が実家に滞在していたことがあります。また、高校生の時に2週間シカゴへホームステイ、大学時には夏期研修と1年間の交換留学を経験しました。
 教会に通っていた頃から、ギャップイヤーなど日本語にはない、日本人には知られていない概念や言い回しが英語圏にはあるらしいとほんのり気付いていました。窮屈な日本社会にはない、自分自身を日本の概念以外で正当化できる世界が別にあるっぽいぞと幼子ながらに魅力を感じていました。
 英語が身近にあって得意だったけれど、当時は流暢に話せるわけでもないし、英文学科だったわけでもなかったですが、学部時代に第一言語にて英語を選択した際に、担任の先生からスタンフォード大学のサマースクールの案内を受けました。その夏期研修がきっかけで、アメリカ、特にカルフォルニア州で働きたいという気持ちが強まりました。


海外で働いてみて、一番大変だったことは何ですか?


 英語ネイティブではないので、アメリカにいた時はローカルコミュニティに入るのが大変でした。ロサンゼルスにいた時は、現地の人は外国人アクセントがある人とは積極的に親しくしたくは無さそうだと感じました。
 シンガポール1社目にて大変だったこともありました。リーガル領域にいた時は体系だった知識を持つ人たちと議論をしていくので、英語で会話をしていても話の筋にある程度予想がついたのですが、コンプライアンス領域にいる時は法律のバックグラウンドがない人たちと会話をする機会も多く、体系だった知識を持たない人たちと論理飛躍のある議論を英語で進めていくことに少し苦労しました。コンプライアンス領域では、培った法律の知識で勝負するというよりも、どちらかというと英語ネイティブであることの方が勝ると感じました。そのため、私の強みである「法律の知識」および「英語と日本語」が活かせる場所に今は主軸を変えています。以降、シンガポール2社目では、自分の強みを生かして楽しく働けています。
 また、日本だとあまり積極的に仕事を取りに行ったり一人で進めたりすると反感を買いますが、シンガポールでは一人である程度「勝手に」進めることこそが求められていると感じます。


海外で働いてみて、一番良かったことは何ですか?

 海外ではセクハラに遭うことがないので、毎日清々しい気持ちで過ごせます。日本にいた頃は職場、プライベートを問わず頻繁なセクハラで平日に消耗してしまい、土日は寝込んでいることが多かったです。海外就職してからは、週末寝込まずに過ごせることがとってもハッピーです。最近はパーソナルトレーナーをつけてジム通いをしています。


アメリカとシンガポールでのビザについて教えてください

 アメリカでは、初めは大学院に通っていたのでF-1ビザと言われる学生ビザでした。預金残高証明書を提出し学費を払えることを証明できれば、ロースクールの学生は問題なく取得できます。最初にジョージタウン大学へサマースクールに行って、そこでロースクールの地ならしを1ヶ月ほどしました。なので、最初はジョージタウンの名前でビザを出してもらいました。
 その後、ニューヨークの大学院にて法律を学びました。はっきりと覚えていないのですが、学校が変わるとビザの手続きが必要だったかもしれません。卒業後は、OPTビザ(Optional Practical Training)といって1年間働けるビザが出るので申請し、アメリカの法律事務所にてインターンをしました。1年後、OPTビザが切れるタイミングでイミグレーション専門の法律事務所を使ってH-1Bビザ(特殊技能職ビザ)を申請し、無事にビザの切り替えをしました。
 シンガポールでは、1社目も2社目もEP(Employment Pass)と言われる会社が出してくれるビザで働いています。シンガポールでは無職になった1ヶ月後に母国へ帰国しなければならないので、一定年収以上の人に申請資格があり転職も出来る(会社に紐づいていない)PEP(パーソナライズド・エンプロイメント・パス)やPR(永住権・5年更新)も選択肢としてあります。転職活動を始めた時にPEPの承認は取りましたが、一生に1回しか行使できないので結局アクティベートしませんでした。


アメリカ大学院の話を聞かせてください

 米国ロースクールは主に2つのプログラムに分かれています。一つはJ.D.といって、アメリカで学位を取った人が進学する3年のプログラム。もう一つはLL.M.といって、米国以外で法律の学位を取った人が進学する1年のプログラムです。各プログラムを修了すると、各州の司法試験の受験資格を得られます。
 私の場合は、良い推薦者を得られたこともあり3校から合格通知をもらいました。その中から一番ランキングが高かったNYU(New York University)への進学を決めました。合格後は諸々の手続きなどするべきことが多いので、その年に入学する人たちで作られたメーリングリストに入れてもらい、情報交換を積極的に行いました。現地での銀行口座開設、住居の手配、入学にあたりどういった書類が必要なのか調査をし、一つ上の学年から昨年の授業内容やテスト・先生の様子など情報が回って来るのでそれをもとに履修科目を決めました。留学中は、主体的に情報を取りにいかないといけませんでした。もらった情報を回して、お返しにまた情報をもらう様な感じでした。


NYU卒業後の就職活動について教えてください

 大学院卒業後は寮を出なければならないので、メキシコ出身の友達がマイアミに行ったのを見て軽い気持ちでまずはニューヨークからマイアミへ飛びました。その後、カルフォルニアに移動し、ホテルやAir B&Bに宿泊して、ロサンゼルス/ニューヨーク/サンフランシスコ/マイアミの法律事務所やコンサルティング会社に履歴書を送りつつ、弁護士登録に必要なボランティアなどをして過ごしていました。大学のネットワークを生かして、アメリカで働いている日本人の先輩方にも連絡を取りました。そして、最終的にロサンゼルスにある法律事務所から声がかかり、インターン生活がスタートしました。


インターンから正社員の切り替えはどうでしたか?

 インターンの期間は1年ほどで、その後担当の弁護士からの強い推薦もあり、正式雇用となりました。仕事内容としては、日系エンターテインメント会社のカルフォルニア支社の設立や、その他の会社法関連の手続き、知的所有権関連の裁判に関わっていました。供述録取に参加したり、連邦法の裁判手続きなどの調査をしたりしていました。「コンプライアンス」から「リーガル」の世界に戻り、できればリーガルの世界でこのまま仕事をしたいと想っていました。ただ、経営上の都合で所属部門が解散することになり、数年働いた後に日本へ帰国しました。


アメリカから帰国された後は日本でどの様な仕事に就きましたか?

 日本では、リーガルのポジションもオファーをいただいたのですが、チームとの相性が不安で結局また「コンプライアンス」の世界へ戻ってきました。ただ、虎視淡々と海外就職の道は諦めておらず、海外拠点へ異動するチャンスをが掴めるように、帰国後は外資企業日本支社を選びました。そして、2年目にシンガポールへ異動のチャンスが舞い込み、シンガポールへ赴任することになりました。


シンガポールへ赴任後、1社目を経て転職されていますよね。転職活動について教えてください

 シンガポールで最初のポジションには2年間いましたが、チームがあまり好きではなかったのもあって転職活動を始めました。転職活動に使っていたのは、LinkedInと人材紹介会社(日系、外資系両方)です。掲載・紹介されるポジションは、特にどちらの方が良いという様な傾向はありませんでした。現在勤務している会社の他にもう一つ頂いた内定はLinkedIn経由の応募でしたが、給与も職務内容も良かったです。人材紹介会社を利用する場合は、彼らが採用企業に候補者を推薦する形になるせいか書類審査は通りやすかったです。求人検索サイトでは、「Japanese」「legal」「compliance」などのキーワードを入れて、毎日求人をチェックしていました。


またリーガルの世界に戻ったわけですが、今はどういったお仕事をされていますか?

 小さな会社なので、リーガルとコンプライアンスを中心にクライアント対応もしています。契約書のレビュー、日本とシンガポールの法令等への対応、当局対応、社内規程の整備が中心です。


どの転職活動もうまくいってるように見えますが、転職の秘訣はありますか?

 国内外含めて何度か転職しましたが、マーケットバリューを上げるためには軸が必要だと考えて、「法律」「異文化コミュニケーション(英語を使ったコミュニケーション)」「金融」この3つを含むポジションからキャリアが外れないように常に選択してきました。唯一の例外は、アメリカでの仕事でした。これについては、自分の中のルールを破っても経験する価値があると思ったので受けました。 軸がなく転職してしまうと給与交渉が難しいのですが、「キャリアの一貫性」があったのでマイナスになることはありませんでした。
 また入社する時は、いつもこの会社にずっと居ようと思っているのですが、なぜかいつも周りから「もっと労働条件が良い会社へ転職したほうがいいよ」とアドバイスをもらっていました。そのたびに「もう少し努力をして、さらに上を目指すべきかな」と自身を奮い立たせて、キャリアを重ねてきました。私が目安にしていたのは、37歳の環境から残りの人生で大きな変化は無いという、とある著名人の考えです。37歳までになんとかしよう、海外で就職しよう、と思って努力していました。


5年後どうなっていたいですか

 今の状況は恵まれているので、5年後までに職責を広げて役職名も上げたいし、シンガポール、日本、米国、香港の法令等の知識を増やして自分の「mobility(転職する能力)」は維持していきたいです。
当時20才の自分に何かアドバイスするとしたら、どんなことを伝えたいですか?
 日本で法科大学院が出来た頃だったと思うので「そこに行ってみたら?」と言ってあげたいかな。当初は合格率も高かったし、弁護士として働くつもりなら資格取得は若いうちがいいです。
 それから、就職一般に関してになりますが、新卒チケットは大事だから新卒でいい会社に行けるように頑張りましょうと伝えたいです。初めに入った会社の部署や職責は、後の転職にも影響すると思います。
 あと、アメリカ滞在時に日系銀行コンプライアンスのポジションのオファーを熟慮の末にお断りしたことがありました。これは30歳を過ぎた頃でした。「あの時オファーを受けても良かったよ」と当時の自分に言ってあげたいです。Expat packageと言って、いわゆる駐在員待遇のオファーでした。Expat packageのトラックレコードを作っておけば、その後転職しても交渉が有利に進みます。でも、当時はリスクを取ってもアメリカで「リーガル分野」でのキャリアを築くことに挑戦したいと思っていましたし、駐在員待遇の意味も分かっておらず、つまりはチャンスを掴む準備も出来ていませんでした。


他の人にも海外就職の道を勧めたいですか?

 現在に至るまでの過程が一言でいうと「茨の道」だったので、他の人に積極的に勧めることはしないです。ニューヨーク州弁護士の資格を持っていたので就職活動にも自信を持って挑めましたが、資格取得は簡単ではありませんでしたし、シンガポールへの社内異動もそれほど簡単ではありませんでした。私は強い海外志向はあったものの、日本で順調に働けるのならそれでいいと2007年頃には思っていました。でも、結果的に出なければ生きていくのが難しいと感じたので国外に出ました。なので、日本に生まれたけれど外の方が幸せに生きられると感じるなら海外で働いたらいいと思います。一方で、海外就職して得たものは仕事の内容、同僚や友人、生活スタイルなど多岐に渡り、素晴らしいもので、得るものは大きいし、努力は大きく報われると思います。


【他20名のインタビュー記事(英訳付き)はこちらから→https://payhip.com/b/FzGi】

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