心豊かに生きていける人生を選択しただけ
これは、試練ではなく自立なのだ。
ただ、最後まで自分の人生を生き抜くために。
それは、好きなことだけして生きていきたい、という心境ではない。
50歳を過ぎ、自分の母と同じように娘を嫁がせ、孫を慈しみ、子孫繁栄を願い、夫婦で共に支え合って暮らしていく、という構図を描くのが理想の人生だったのだろうか。
田畑を耕し、夏は梅をもぎ、初冬には野沢菜を漬け、寒い冬を乗り越える。
先輩方の背中を見習い、同じ道を生きていくのが幸せの形だったのだろうか。
私は義母から季節の手仕事を教わることを放棄した。
シソで色付けする甘い梅漬け。
おはぎやぼたもちの作り方。
年末の餅つきの準備方法。
大根の干し方と漬け方。
干し柿の作り方。
嫁いで直ぐの頃は、地区の行事に参加する際、お茶うけに「漬物」が必需品だと言われていたので、義母は「嫁が困らないように」という思いで、それらを引き継ごうとしていた。
義母もまた、姑から同じように思われていたのかもしれない。
だが、世代交代が進むと、お茶うけの漬物は既製品の菓子やペットボトルのお茶に変わった。
正社員として働いていることを自分の言い訳にしてきたが、今や専業主婦の割合は減少傾向。
食生活もずいぶん豊かになった。
漬物を備蓄せずとも越冬できるようになった。
女性も経済力を持つ働き手となってきている。
娘世代の資産の考え方は、「貯蓄」ではなく「運用」に切り変わってきている。
嫁入り道具の家具が入るように設計された家。
娘世代は住む場所に合わせて家具を揃えていけばいい。
老いていく時間を、心豊かに生きていきたい。
私は正直、
子供達に早く結婚してもらいたい、とか、
孫の顔を見たい、という願望はない。
痩せ我慢とかじゃなくて、本当にないのだ。
子を頼って生きていきたいから、ではない。
結婚の先にあるもの。
孫の存在?
離婚?
再婚?
「孫がいること」がステータスとなる時代ではない。
いや、孫がいることは目的でも願望でもなく「ご縁」である。
少子化の時代に、これから祖母となる世代が「孫の存在はご縁である」と発言するのは、変かもしれない。
お金に困らないように、親がお金を稼いで子を守り、更には孫の面倒まで見られる程の蓄えがある、ということが、親の「生きがい」になる場合もある。
だが自分は、
心豊かに生きていける人生を選択しただけ。
それは毎日同じことの繰り返しかもしれない。
ただ、それだけのこと…だったのかもしれない、と気づいた2022年12月。
今さらやけど。
今ここにいられるのは、みんなのおかげ。
私を受け入れてくれた義父母、
送り出してくれた両親、
人は人との関係性の中で生きていくものだから。
親であっても
子であっても
孫であっても
一人ひとりにあわせたシナリオがあるだけ。
今日もありがとうございます🙏
世界平和は、ひとりひとりの心の内にあります。 共に明るい世界を築けていけたら幸せです。 今日もありがとうございます🌸