「私たち」へ
「私たち」へ
お元気ですか。
先日、ばあちゃんにおそばのつくり方を教えてもらいました。
年末年始に家を訪ねると必ず出してくれるあのそばです。
目を悪くしてから、そばを切るのが一番ひどいと言っていました。
手元がよく見えないから疲れるんだって。
だから、そば生地は、ばあちゃんと交代で、時に半分こをしながらこねましたが、そばを切ったのは私です。なかなか上手でしょう。食べてね。
今年は畑からいつもよりたくさんのそばの実がとれたから、まだまだ長い間ばあちゃんちのそばが食べられるそうです。
年末年始を過ぎてもまだ食べられると思うよ。
身体に気をつけて。
私より。
* * * * *
祖母がうってくれるおそばがこの世で一番うまい。
この気持ちは、物心がついたときから今の今までまったく変わっておらず、
この先もずっとそう思いたい。
だけど、祖母も祖父も八十をとうに過ぎている。きっといつか、必ず別れがやってくる。
祖母のそばは、真の意味で、まっとうにオリジナルである。
集落のそば畑からとれたそばの実を、陽にさらして乾かし、粉にし、保存する。
お湯と水、塩を加えただけのシンプルなおそば。
ゆで上がったそばは、山の小川からひいた清水でそそぐ。
家族の誰からか教わったのだと思っていたのだが、そうではないという。
ただ幼い頃、祖母の祖母(私のひいひいばあちゃん)がそばをうつのを近くで見ていただけなのだと。
小さかったから、やる機会がなかったんンだナ。
めん棒でそば生地を手際よくのばしながら、そんなことを言っていた。
私がこれからもおそばを食べてもらいたい人。
父。母。二人の弟。弟たちにいつかできるであろう家族。
私。私にもいつかできるであろう家族。
親しき人々。
私の手が届く範囲の「私たち」は、せいぜいこれくらい。
意識が隅までゆきとどく、小さき主語の私たち。
「私たち」へ
おそば、届きましたか。どうぞ美味しくたべてください。
そして来年もまた、届けられますように。
毎年こういう手紙を書き結ぶのが、今の私の夢である。
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