Do-思ったこと全部やる-

思ったこと全部書く。

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最近の記事

Do研究会

DoのDiscordに上げられた考えをまとめる。 【美について】 ・美とは、私だ。 ・まことに秋の夜の冷たい闇の水にいる白鳥は美などという抽象ではなかった 人工照明なし 一点の彩色なし デフォルメもアブストレーもなし 金箔の額縁や題名の札や小さく書かれた巨額の値段はなく 誰の眼も関心も世辞も賞賛も求めずただそこに「在る」だけだ いったいなにひとつ求めない美とはなんなのであろうか 『求めない』加島祥三 ・「ライチ☆光クラブ」とか見れば美に対する執着も権力の属性になれるの

    • 不立文字

      言葉にしたら、なくなってしまうから、何も言いません。 でも、そのことだけは言います。

      • 海の向こうへ行こう

         夜の海は夜が蒔いた闇に侵食されている海であり、海が連れきた波の音だけが残っている夜である。本来ある二つの要素が混ざり合えば、折衷され調和を成すはずだろう。が、夜も海も自分の主張が強く、綱引きのように相手を自分の方に引き入れようとするのだ。私たちの目的だった海は、熱い日差しのせいで黒く燃えて灰になり、たき火のように騒々しい音を出しながら周囲の雑音を捕食する。こんなに脅威的な海を目の前にしていると、あの水平線の向こうのどこかにいる私の友達を思い出す。  地元の友達と遊ぶ時、私た

        • 風船開花予想2024

           私の地元は開花時期が花別に違ったが、日本は割とそうでもない気がする。木蓮と梅と桜が同時に咲いた街は、気ままで、乱雑で、予測不可能だった。花といえば、一列に並んで自分の順番を待つ大人だと思っていたが、意外とただ天気が良いという理由一つで飛び出す子どものような存在だったみたい。そんな純粋さを原動力に誕生する存在がそれぞれ家に帰り、桜だけがぽつんと残った4月半ば。私たちは風船の花を咲かせることにした。いい天気と風船の花を咲かせたいという純粋な気持ち。 必要な物はそれで十分だった。

          エッセイ|星に向かって

          最近は、大学の成果展に向けての制作で、午後はずっと大学で作業をしている。 工作室にこもりきりだと、外の空気を吸いたくなって、よく大学周りを散歩する。 外を歩いていると、秋の涼しい空気が頬を撫でて、気持ちがいい。 大学に延長届を出して、日が暮れるまで作業をした後、ひと段落ついたため、すっかり暗くなった外に出た。 やはり空気が爽やかで澄んでいて、とても気持ちがいい。 田舎にある僕の大学のキャンパスからは、夜空に光る星がとても冴えて見える。 僕はその中でも一際輝きを放っ

          エッセイ|星に向かって

          森山大道に感じる深み

          巨匠は若い頃から自分の仕事に無我夢中で貪るようにのめり込んでいるものなのだろう。そしていつか理屈で捉えられないものも捉えることができる目を手に入れることができる。それは、とても魅力的だ。おれも自由に豊かに世界を見たいし、感じたい。森山大道は、それができているのだろう。芸術に自分がなみなみならぬ魅力を感じるのも、そこに理屈では掬い取りきれないたくさんの感覚があって、そこは世界の深淵の門のような、踏み入れるとどこまでも奥に続いていく壮大な豊かさと深みを感じるからだろう。せっかく、

          森山大道に感じる深み

          今夜

          8/16 今日は星に向かって歩く日だ。夜の10時から朝の5時まで、ひたすら星に向かって歩き続ける。長い夜に備えてお昼からしっかり睡眠を取る。7時半に起きてご飯を食べて、支度をして9時頃に家を出る。 夜の9時。こんな時間にコンビニでも散歩でもなく、しっかりと支度をして家を出るのはいつぶりだろうか。妙に高揚感がある。その高揚感は、懐かしいもののような心地がする。夜には、夜にしかない空気の色と、夜にしかない風の温度と、夜にしかない心の落ち着きがある。 どうして懐かしいのだろうと

          日記 10.15.2022

          10.15.土 遅刻した。国語の便覧をチラッと見たが、種田山頭火が結構好きかもしれない。 分け入っても分け入っても青い山 窓あけて窓いっぱいの春 こういうのを詠めるようになりたいね。 駅で川崎フェアがやっていたので変わり種の納豆を買った。 帰ってから、六時頃まで寝てしまった。 夕飯に、納豆を食べ比べる。しそ、わさび、からしの順に好きだった。全部美味しくて良かった。 《栗色のカーディガンを買ったから次の週末に秋を始める》

          お返しの繰り返し

            慣れることは何度も周りをきょろきょろして、誰も知らずに落ち着いて、そうやって永遠にそこに存在するものだ。バレンタインデーの以降再び訪ねた巣鴨商店街は、私にとってもう慣れているところだった。一方で、慣れた店たちの真ん中についた道だけが、ひときわ真っ白に見えて、正に今日がホワイトデーということを知らせるようだった。  そう、今日はホワイトデーだ。あのバレンタインデーからもう一か月が経ったのだ。時間は振り替えてみてからやっとその速度が実感される。時間という概念にも昔から慣れてい

          集まれよぎったこと

           よぎったことをよぎったままに放っておくと、それは頭の中をずっと彷徨って、道に迷って、姿を消してしまう。よぎるものの早さは追いつかれないもので、よそ見する途端風の中の風船のように吹っ飛ばされてしまうのだ。そんなよぎったことを扱う方法は、風船を逃さないため糸に結びつけて握りしめることと同じだ。  Doのディスコードには「よぎったこと」を書くチャンネルがある。私は3ヶ月間のみんなのよぎったことをまとめながら、ふっと思った。よぎったことにはその人らしさがあると。もしかしたら人間は

          集まれよぎったこと

          一緒じゃない人への一緒という喜び

           「一緒」がもたらす勇気は正に愚かなほど巨大だ。Doの活動で言えば、一緒にいることで私たちは物乞いができ、一緒にいることで巣鴨の人たちにチョコを配ることができた。そして私たちは先日、代々木公園でギターを弾きながら歌を歌った。それもまた、「やりたい」と思った人々が一緒だったからできた行為だった。  最初はただ路上ライブのための「練習」のための練習だった。しかし、私たちはすぐに人の多いところに場所を移し、広い芝生の上にそびえる枯れた木の下に座ってギターを引きながら歌を歌った。単な

          一緒じゃない人への一緒という喜び

          孤独について【Do研究会】

          孤独について 河邉宏太 先日ゲスト講師に行った時に仙川駅で降りて、それは朝の8時頃、通学の時間帯で、駅のすぐ近くに桐朋高校があったから高校生がたくさんいた。僕は不意に高校生の生活の営みに釘付けになって、未だに普通の高校生活を送る人々へのコンプレックスが残る自分を発見した。そのとき、僕は孤独だっただろうか? 天気が良くて、暑いくらいの良い晴れ空だった。僕は普段だらしない生活をしているから、朝の8時にジャケットを羽織ってしゃんとして外にいるなんて、とても稀なことだった。久しぶ

          孤独について【Do研究会】

          ただ、四つん這いで歩いてます

           「四つん這いで歩く」という言葉は私にとってとても違和感のある言葉だった。つまり、文法的な意味で。四つん這いの状態で前へ進む行為は、「歩く」というより「這う」ことに近いと思ったからだ。なので、Doのディスコードにこの議題が上がった時、私は行為自体より文章に対する疑問を持ってしまった。四つん這いで世の中を進むというのは、果たして歩くことなのか、それとも這うことなのか。  歩くことと這うことの違いは何だろうか。姿、利便性、社会的認識など、どの観点から見ても、「歩く」が有利だ。人類

          ただ、四つん這いで歩いてます

          メルティーキッスの日和

           バレンタインって何をする日だっけ。カレンダーをめくりながら考えた。今年買ったカレンダーには元日や春節のような色々な記念日が書かれていたが、その中でバレンタインは、かなり異質なものだった。バレンタインってカレンダーに書いてあるほど大事な日だっけ? それだけではない。ホワイトデーとか、クリスマスとか、ハロウィンとか。自分はかつて「要らない」扱いをしてしまった記念日が可愛らしい絵文字で強調されていた。こんな些細な記念日を待つ人がそんなに多かったんだ。  そういえば、私はいつからこ

          メルティーキッスの日和

          吉祥寺駅のプラットホームにて

           ジャンバーのポケットに入れていたホットレモンのペットボトルの蓋が緩かったみたいだ。ポケットに突っ込んだ左手から生ぬるい液体を感じた。だんだんジャンバーが湿ってきて残念に思う。  今、電車が通り過ぎた、と錯覚するくらい強くて冷たい風が頬を打つ。無意識に足踏みをしてみる。あんなに帰りたくなかった自分の家に早く帰りたいと思ってしまっていた。私は電車が来るまであと五分くらい待たなければならなかった。私の目の前に立っていたカップルは手をきつく繋いでいて、私は彼らがこれからもずっと一緒

          吉祥寺駅のプラットホームにて

          運動

          フィリップ・ソレリスという人の書いた『公園』という本を、大学の図書館で見つけた。表紙は古びて黄ばみ、見窄らしかった。しかし、そのタイトルに惹かれ、手に取って序詞を読んでみた。これがとても面白い。少し引用してみよう。 文字通りの空間であると同時に潜在的空間でもある、ひとつの空間。それは、まさに公園と言えるだろう。公園という場所は、異なる時間の流れが一つの場で重なり、同時に進行している稀有な空間だ。おおらかな時間サイクルを持った植物は、花を咲かせ、青々とした茎や葉を伸ばし、紅葉