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海の向こうへ行こう

 夜の海は夜が蒔いた闇に侵食されている海であり、海が連れきた波の音だけが残っている夜である。本来ある二つの要素が混ざり合えば、折衷され調和を成すはずだろう。が、夜も海も自分の主張が強く、綱引きのように相手を自分の方に引き入れようとするのだ。私たちの目的だった海は、熱い日差しのせいで黒く燃えて灰になり、たき火のように騒々しい音を出しながら周囲の雑音を捕食する。こんなに脅威的な海を目の前にしていると、あの水平線の向こうのどこかにいる私の友達を思い出す。
 地元の友達と遊ぶ時、私たちはいつも海に行った。飲み物ではなく会話を目的にカフェへ行くように、人の目を気にせずに思いっきりおしゃべりができる空間として海を利用したのだ。都心からそんなに離れてない場所に位置するその海は、私たち専用のアジトではなかった。釣りをする人や水遊びをする人はもちろん、一緒に海を眺めているカップル、海を背にしてサッカーに没頭している子供たち、海を沿いながら散歩する老人たちが一つの空間に混じっている午後の海辺。その海辺は、適当な公園のないその町で公園の役割を果たしていたのかもしれない。多数が一つの空間を共有する同時に個人的な時間が保障される特殊な場所という点で。その時期、私にとって海とはすなわち公園だったのだ。
 現実的な悩みで頭がいっぱいになり始めた頃にも、私たちはいつも海に行った。誰もいない放課後の教室に残って秘密の話を打ち明けるように、私たちは学校が終われば自然に海辺に集まって未来の話をした。その時期は高校生だったから、私たちの最大の悩みは正に大学進学。不確実な未来に対するまとまらない不安を、脈絡を考慮せずに打ち明け、別れる時は海に向かって宣戦布告するように叫んだ。  
 「海の向こうへ行こう」
 それは学びたい分野も行きたい大学もそれぞれである私たちが共通に持っていた目標である。大学を口実に海を越えなければ、永遠にその島に閉じ込められてしまうという証拠不十分な確信が私たちにはあったのだ。自由を渇望し訪ねた海がいくら光を浴びて煌めきながら優雅に踊るとしても、努力と才能と金と親の許可がなければ永遠に越えられない堅固な壁だという確信が。青いカーペットの上を光の粒が行進する。 波が割れて泡を吹き出す。塩をこぼしたようなにおいが漂う。輝かしいその海は正しく相変わらず美しかったが、その美しさは私たちにとって終わりであり、境界線であり、行き止まりであり、邪魔物。一つの空間にいる人々が有機的な相互作用を結びながらお互いを尊重する公園とは違って、海は最初から一人一人を断絶させる孤独の空間。そんな堅固な壁のような確信を胸に抱いたのだ。
 時間が経り、私は海の向こうの海の前へ立っている。黒い波が見知らぬ人間に歯を見せる犬のように荒々しい音を立てながら近づいてくる。そしてすぐ尻尾を巻いて後退りしてしまう。色彩も生気も失っているのだ。これは海だけではない。もう電車が来ない駅、誰もいない商店街、信号が変わらない道路、空っぽな長いトンネル、陰惨な霊園。終わりを迎えた存在は何も言えないもので、色彩も生気も失った鎌倉には沈黙だけが漂う。その沈黙が気に入らないかのように大分怒った海は、無我夢中に大声を出しながら徘徊する波の音で存在感を延命しようとする。海は欲張りではなくてただの寂しがり屋だったのか。寂しがり屋だから、空に彩られた星たちに視線を奪われるのが怖くて光る首飾りをつけて、みんながいなくなるのが怖くて何度も陸地に手を伸ばしたのか。寂しがり屋だから、波の音で来てくれた人たちの秘密を守ってくれて、水玉で彼らの涙をごまかしてくれたのか。そうだったら、私は海のことを誤解していたのか。
 朝日が昇る。始発の電車が走ってくる駅、お店が次々と開いていく商店街、車が並んでいる道路、薄暗い青色で上塗りされ始める空、昇る太陽の光に溶け込む鎌倉、また人々を呼び集める真っ白な海。終わりを迎えた存在は新しい始まりを準備するもので、みんな何もなかったように、当たり前のように蘇る。そもそも変わったことはないのだ。海を越えてきた私も含めて。海の向こうには私が知らない世界が、私が経験できなかったものが、私が喜ぶような何かがいっぱいあるはずだから、私の人生も大きく変わると信じていた。が、変わったことはないのだ。
 私は相変わらずだ。依然として未来について悩み、自分について探求し、人との出会いを楽しめ、好きなことを探し、たまに海に行く。人生の形態に少し変化があっただけで、本質は変っていない。だから私はこれからもまた海の向こうに行きたがるだろう。これからも引き続き壁に向き合い、永遠に終わりを眺め、そうやってずっと孤独を追い続け、いつそうだったかのようにまたこのささやかな人生が与える幸せと安定感に満足し、変わらず蘇るだろう。  

 青いカーペットの上を光の粒が行進する。波が割れて泡を吹き出す。塩をこぼしたようなにおいが漂う。輝かしいその海は、美しい。正しく、相変わらず。

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