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■スポーツ指導者とは、プレーヤー自身が“なりたい”と思う自分に近づくために、その活動をサポートする存在であるとともに、スポーツの意義と価値を社会に発信し、望ましい社会の実現に貢献するという役割を担う存在である。(日本スポーツ協会)
■「コーチ」という語は、ハンガリーのコチ(Kocs)という町の名に由来する。コチは四頭引きの四輪大型乗合馬車が走った最初の地であった。そこから「人を目的地に運ぶ道具」がコーチであるとみたイギリス人学生が、スポーツ指導者をコーチと呼ぶようになったといわれている。(ウェキペディア)

こんにちわ。現在私は、様々な人との出会いや巡り合わせの中で、主にサッカーコーチとして生活をしています。
今回は、その『コーチ(指導者)』とは何かについて、自分の考えをまとめる意味でも書き出していきたいと思います。

ヒトの原理・原則

自分自身もそうであったように、ヒトは出会った人達によって人格が形成されていくと思っています。
最近読んだ本で『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』の中でこう書かれていました。

「ヒエラルキーや差別、そして宗教等は、全て想像上の産物である。」

現在、人類といわれる生物の学名は『ホモ・サピエンス』である事は、皆さんはすでにご存知だと思います。
この『ホモ・サピエンス』の他の種との最大の違いは「虚構の創作」と「それを信じる力」だそうです。
狩猟採取動物の一種であった我々の祖先は、虚構(フィクション)を創作(神話・噂など)することにより、集団をコントロールする事ができ、決して動物としては強靭ではない人類を、地球上で最強の生物に押し上げる事が出来たそうです。

貧困=狂人??イギリス人=英語??ブラジル人=サッカー上手い??

現代の人間に多い考え方はこうだと言われています。

『我々と、あなた方』

自分の属している場所・組織・国・地域等が全てで、そこに属している事は「なんら不思議でもなく、ごく当たり前で仕方のない事」と、潜在的に認識しているそうです。
こういった考えが、差別や紛争をどんどん広げて悪化させていき、今でも世界のいたるところ、そして日本でもそれは例外ではありませんよね?

アラスカに住む人も、ニューヨークの子供も、イタリアのおじいさんも、ガーナのお姉さんも、ペルーのおばあさんも、オーストラリアのお父さんも、中国のお母さんも、全世界の全員が『ホモ・サピエンス』であるという事を念頭に置いて考えれば、

『果たして人間は、生まれた瞬間に差はあるのでしょうか?』

はじめてのコーチ

皆さんもなんらかも習い事などをした経験はありますよね?スイミング、そろばん、ピアノ、ダンス、学習塾等。
でわ、それらの習い事に行くきっかけは何だったか覚えていますか?また、何故そこの場所に通ううようになったかは覚えていますか?

おそらく『近所で有名だから』とか『家から近いから』『そこしかないから』が多いのではないでしょうか?
中には『そこの先生が優秀だから』『兄弟がお世話になっていたから』『そこの成績が良いから』等の理由で、選ばれた方もいるかも知れません。

サッカーが『習い事』のひとつに数えられている事については、いささか疑問が残り、少しばかり悲しい気持ちになりますが、サッカークラブ(チーム)選びも例外ではない事が多いように思います。

そこで出会うコーチ(先生)は、子供達にとっての『人生はじめてのコーチ(先生)』になります。
前項でお話しした通り、生物学的なヒトは『ホモ・サピエンス』であり、その後の出会いや経験によってのみ、人格が形成されてしまうようです。

その観点から考えると、この『人生はじめてのコーチ(先生)』が、その子供達に与える影響は計り知れず、その子供達の人生を大きく左右させる存在である事を予測する事は容易です。

しかし、先生・監督・コーチ・指導者・講師等と呼ばれている人達で、前述の様な事を考え、更には肝に銘じて子供達と接しているオトナはどの位いるのでしょうか?

私の肌感覚では『非常に少ないのではないか?』と感じています。
もちろん、情熱・責任感・使命感を持って子供達と接している方々も沢山いる事も理解しています。

最適な選手達(子供達)との距離感とは??


その時の自分の年齢や、担当している選手(子供)の学年等によって、その『距離感』は当然変わってくるものだと思います。


私自身も、現在は小学校1年生~社会人までの全てのカテゴリーでGKコーチを担当していますが、全ての選手に一定の関り方をしているわけではありません。
しかし、そんな中でも私が一番大事にしている事は、

『認める事』

『認めてあげる』ではなく『認める』です。

『認める』とは・・・

みと・める【認める】 の解説
[動マ下一][文]みと・む[マ下二]
1 目にとめる。存在を知覚する。気づく。「人影を―・めた」「どこにも異常は―・められない」
2 見て、また考えて確かにそうだと判断する。「有罪と―・める」「頭がよいと―・める」
3 正しいとして、また、かまわないとして受け入れる。「自分の非を―・める」「試験に教科書の持ち込みを―・める」
4 能力があると判断する。「世に―・められる」
5 気をつけて見る。じっと見る。
「五百の仏を心静かに―・めしに」〈浮・一代女・六〉
類語
受け入れる(うけいれる) 聞き入れる(ききいれる) 聞き届ける(ききとどける) 承認(しょうにん) 承諾(しょうだく) 受諾(じゅだく) 受け付ける(うけつける)

私自身も、まだまだ未熟ですし、今の取り組みや関りが完全なモノではない事は重々承知の上ですし、もっともっと勉強し、また体験・経験し、関わる方たちの為にも成長する事を止める事はありません。
その中で、現時点で一番大切にしている事は『認める』という事です。

これは、『いいよ、いいよー』と野放しにする事や、『厳しい事は一切言わない』といった考えではありません。
いじめや差別に繋がるような間違っている事、また必要のない事や言動に対しては、時には厳しく伝える事は必要があります。

私の考える認めるという事は、
『チャレンジした事を、まず承認する事』です。

ポイントは、二つです。
①常にチャレンジしやすい環境作り
②チャレンジの結果に対してのみ承認する事

内発的動機付けを仕掛ける

リンクを読んで頂ければご理解頂けると思いますが、お時間のない方の為に簡単に分けると、


内発的動機付け → 自らの興味・好奇心から頑張る
外発的動機付け → 他者からの報酬が目的で頑張る

内発的動機付けが良くて、外発的動機付けが悪いとかいうお話しではありません。
大事な事は、『自分が興味・関心があって、自分がそうなりたい』と思ってもらう事です。

例えば、二人のコーチの問いかけについて、選手(子供)はどちらの方がワクワクそうですか?


Aコーチ『練習をがんばって全国大会に出よう!』

Bコーチ『全国大会をかけた予選の決勝で、優勝を決めるゴールを決めた時、応援スタンドでは家族や友達が大喜びして君の方へ声援を送っているよ。試合後は、新聞記者や地元のテレビの取材を受けて、次の日に学校にいったらみんなのヒーローになっているかもしれないぞ!さあ、今からどんな時間を過ごす?』

分かりやすいように極端な例を出してしまいましたが、いかがでしょうか?
この時のコーチの目的は同じ『全国大会に出る為に練習させる』事です。
既に本人にモチベーションがある場合は、その限りではありませんが、
自分の夢・目標が明確でない子供や、自信が持てない子に対しては、上記のような『内発的動機付け』をコーチが意図的に仕掛けていく事が、重要なテクニックだと思います。
※そこに、時には外発的動機付けを組み合わせる事は有効な手段になる事もあります。

あくまでも一部

縁あって関わらせて頂いた選手が沢山いますし、今後ももっともっと増えていく一方だと思います。これは非常に幸せな事で、全てが当たり前の環境ではない場所でお仕事をさせて頂いている事に、最大限の感謝の気持ちを忘れる事はありません。


株式会社NISSYU PLAN
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E7%94%B0%E4%B8%80%E4%B8%89
NPO法人スポーツクラブどんぐり FC.Avenidasol
http://www.avenidasol.org/
NPO法人 FC.ISE-SHIMA
http://fc-iseshima.org/
三重県立津工業高校サッカー部
https://www.footballnavi.jp/ttu/

『選手』と『コーチ』という関係は、長い人生においてはほんの数年間の出来事であり、その選手(子供)達の人生にとって『どれだけの影響があるか?あったか?』といった事は、簡単に数値では測れるものではなく、選手(子供)本人が成長した後にどう感じるか?といった事でしか『結果の検証』をする事は出来ません。

そういった観点で言うと、指導者というお仕事は『人の人生を決める、変える仕事』にあたるのではないか?と考えます。


ここで、サッカー界では有名な言葉を紹介します。

学ぶことをやめたら教えることをやめなければならない


指導者としての心構えを説いた、ロジェ・ルメール(前:フランス代表監督)の言葉
知っている、分かっていると思っているが、実際は解っていないことの方が遥かに多い
自分が知らないこと、分からないことがまだまだ沢山あることを知っている
<知っていること>と<教えること>
知っていれば、分かっていれば教えられるかというとそうでもない
大体50%も分かれば、全て解ったつもりになってしまうもの
しかし人に教えるとなれば100%理解していないと難しい

ヒトの人格、そしてそのの人生までも左右しかねない育成年代での関わり方。
そこに携わる人間であれば、『謙虚な姿勢と学び続ける姿勢』を忘れる事なく持ち続け、そして『常に成長し続けていく事』が非常に重要ではないかという結論に至りました。

最後に・・・

最後になりますが、今回この記事を書いていく中で、『自分は何をして、どうやって生きていくのか?』と自問自答する時間が何度もありました。
自分がこれまで出会った方々、関わらせて頂いた選手(子供達)、そしてこれからの事・・・

先の事はわかりませんが、一つ言える事があるとするのならば、

『自分の人生を思いっきり生きよう!!』

という事です。
他人の人生を生きるのではなく、
自分自身がどう生きたいか?
またはどう死にたいのか?

これは、結局『内発的動機付け』になっていますね。

今の自分が、この様な考え方を出来るようになったのは、間違いなく
『父・母・姉・出会った先生・コーチ・先輩・後輩・友人・家族』との出会いと、その方々達からの『教え』によって形成されたモノだと信じて疑いません。

そして、これからも『人との出会いと成長』は止まる事はありません。
今まで、出会った方々、そしてこれから出会う方々に感謝し、次のステージにステップアップしていきたいと思います。

最後までご愛読いただきまして、本当にありがとうございました。
文中でもお話しした通り、新しい事や新しい出会いはいつでもウェルカムです。コメントやメッセージ等はどうぞお気軽にお送りください。
また、ご意見やご質問もなんでもお受付しておりますので、皆様からの『スキ』とご連絡をお待ちしております。

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