レモンと文学

レモンという果物は実に面白い果物だ。

たいていの果物は甘酸っぱさを売りにする中、レモンは酸味だけに等しい。それなのに、甘酸っぱい青春の味になぞらえられることもあれば、酸っぱい代名詞になることもあるし、皮を含めた苦みにクローズアップされることもある。一つのレモンの味が様々な考えを呼ぶことが多くある。

そういうこともあってか、レモンという果物は文学と非常に相性が良い。今日に至るまでレモンを題材にした文学は数多くある。

まず思いつくのは、梶井基次郎『檸檬』。この作品においてレモンは「爆弾」である。「えたいの知れない不吉な魂が心を圧えている」ような、病弱で精神的に衰弱している主人公が、レモンを爆弾に見立てて書店に置いていくのだが、これはレモンでなければ成立しない。

この作品を読んでいると、主人公の暗い描写が多く書かれており、読者も憂鬱な気持ちになりがちになる。しかし、主人公がレモンと出会い、レモン爆弾を丸善書店に仕掛けたときに彼や私たち読者を襲う、レモンの持つ鮮烈な酸っぱい香りに、絵の具を塗りたくったような色鮮やかなレモンイエロー。それは今まで読んでいたモノクロの物語がいきなりカラーになるように感じさせるような、著者梶井基次郎の仕掛けた時限爆弾なのだと思わせられる。

またレモンを題材にした有名な詩で高村光太郎『レモン哀歌』(智恵子抄より)がある。この詩ではレモンが生死に関連するものとして描かれている。死の床にある著者の妻・智恵子がレモンをかじるというシーンが特徴的である。心を病み結核を患って我を忘れたような彼女が、死の直前にレモンをかじったことで正常心を取り戻したというレモンといのちの輝きを結び付けているような描写が名作といわれる所以である。

この『レモン哀歌』と同じように生死をテーマに書かれている最近の曲に、米津玄師『Lemon』がある。この曲は作者の亡くなった祖父を思う歌であるといわれている。

ただ、同じ生死でレモンがテーマでありながら、『レモン哀歌』では「トパァズ色の香気」と表現されている一方、『Lemon』では「苦いレモンの匂い」と表現されている。この違いは、前者は妻の死を美化する意味で、後者は祖父の死を悲しむ意味と、死に対しての姿勢が異なるからではないだろうか。

また『檸檬』では爆弾へとイメージされていた鮮烈な色や香りが、『レモン哀歌』や『Lemon』では生死のイメージと結びつく。捉え方でレモンの味わいも変わってくるのだ。

レモンの持つ色・形・風味はこのように各々の解釈をされながら、様々な作品を生み出す。そして、これからも優れた作品が生み出されていくのだろう。そのために、レモンを甘く食べられるように、と品種改良されすぎないことを願うばかりである。

レモンという果物は甘くなってはいけないのだ。

レモンは不思議な果物である。


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