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2024年1月の記事一覧
第1114回「お茶を飲みに行く」
「喫茶去」という禅語があります。 『禅学大辞典』で調べてみると、 「喫茶」が「茶をのむこと」。 「転じて、喫粥・喫飯などとともに、日常の生活にたとえる。」とあって、更に「喫茶去」は、「まぁ、お茶でも召し上れ、の意。趙州従誌のことばで、趙州喫茶去ともいう。喫茶という日常生活のありようが、実は、佛法そのものであることを表現している。」 と解説されています。 秋月龍珉先生の『一日一禅』(講談社学術文庫)に、 「喫茶去」について、次のように説かれています。 「趙州和尚(七七八一八九七)は二人の新到(新参者)の僧にたずねる。 「前にもここに来たことがおありか」 「来たことはありません」「お茶を召しあがれ」。また他の新到にたずねる。 「前にもここに来たことがおありか」「来たことがあります」「お茶を召しあがれ」。 院主(寺務総長)がいった、「老師、はじめて来た者に『お茶を召しあがれ』といわれるのはよいとして、前にも来たことがある者に、なぜ『お茶を召しあがれ』といわれるのですか」。 趙州は「院主さん」と呼んだ。 院主は「はい」と返事をした。和尚はいった、「お茶を召しあがれ」。 新参にも旧参にも、趙州は区別なくお茶をふるまおうというのである。 この一杯の茶が無心にいただけたら、禅の大事はもう卒業だともいえる。」 というのであります。 これはこれで実に味わいの深い解説であります。 しかし、近年この「喫茶去」は、入矢義高先生によって、次のように解釈されるようになっています。 入矢先生の『禅語辞典』から引用します。 「「喫茶去」という禅語がある。 茶室の掛け物などでもよく見かけるものであるが、普通その意味は、「まあ、お茶を一杯お上がり」と解されている。誤りである。 正しくは「茶を飲んでこい」または「茶を飲みにゆけ」という意であって、あちらの茶堂(茶寮〉ヘ行って茶を飲んでから出直してこい、という叱責なのである。 「まあ、お茶をお上がり」というのは、「且坐喫茶」(且く坐して茶を喫せよ〉と混同した誤解であるが、しかし日本では古くからこの誤解が伝統的に受け継がれてきた。 本来なら「喫茶去」と言われたとたん、ギョッとなって忽々に退散せねばならぬはずである。 誤解がそのまま無反省に正統として踏襲されるというのは、敢えて言えば、日本禅に特有の独善的な体質の一つの現われでもあろうか。」 と厳しく指摘されています。 そこで小川隆先生の『中国禅宗史』には次のように訳されているのです。 新しくやってきた二人の行脚僧に、趙州禅師が問われた。 「貴公、前にもここへ来たことがあるか?」 「いいえ、ございません」 「うむ、下がってお茶を飲みなさい」 もう一人にも、問うた、 「前にもここへ来たことがあるか?」 「はい、ございます」 「うむ、下がってお茶を飲みなさい」 院主(寺の寺務局長)が趙州禅師にたずねた。 「初めての者に茶を飲みに行けと仰せられるのはよいとして、前にも来たことのある者にも、なぜ、茶を飲みに行けと仰せられるのですか?」 すると、趙州、「院主どの!」 院主「ハイ!」 趙州「うむ、茶を飲みに行きなさい」 というのです。 分かりやすい訳であります。 小川先生は、この「院主どの」と呼んで、「ハイ!」と答えたところに注目され、「活き身の現実態の自然な作用・営為、そこに「即心即仏」という事実が活き活きと働き出ていることに気づく」ことが大切だとご指摘くださっています。 さて先日は、東京までお茶を飲みに行ってきたのでした。 久しぶりに裏千家の初釜にお招きいただいたのでした。 実に四年ぶりのこととなります。 円覚寺は朝比奈宗源老師以来、裏千家とご縁が深くて、毎年お招きいただいています。 コロナ禍の間は、御無沙汰していたのでした。 久しぶりにおうかがいして、驚いたのは、まずは最初の濃茶席がイス席となっていたことでありました。 かつては皆畳の上に正坐してお茶をいただいていました。 お手前をなされるお家元もイスでお茶をたてる立礼というものでありました。 今はお膝が悪く、正坐できない方も増えていますので、お心遣いなのであります。 お家元も、大宗匠もお元気でいらっしゃいました。 大宗匠は、昨年100歳をお迎えになっています。 今も変わらず姿勢が素晴らしいのです。 それから今まではお濃茶は、五人で飲み回すものでしたが、今回は、各服点てといって、一椀を一人でいただくようになっていました。 これもコロナ禍の対応なのでしょう。 一人前の濃茶を練るというのはとても難しいと思います。 そんなことをお家元に尋ねると、やはり数を練ってできるようになるのですと仰っていました。 今年になって私の濃茶を練るまでに、もう二百数十杯も練っていると仰せでありました。 それほどの修練をなさっているのだと頭が下がる思いでした。 お家元が解説してくださっていましたが、裏千家では慶応の頃に、すでに海外の方の為にイスでお手前をする作法ができていて、更に明治時代に感染症が流行した折に、当時のお家元によって各服点てのお手前の作法ができあがっていたのだそうです。 それぞれの時代に応じて茶道も変化しながら継承されていくのだと学びました。 また薄茶席は、若宗匠がお手前をしてくださっていました。 若宗匠は、とてもお話もお上手で、堂々たるご亭主ぶりでありました。 数年前に円覚寺でお献茶をなされたことも覚えて下さっていて、そんな話題にもなりました。 濃茶席も薄茶席も、私が正客となりましたので、不慣れなことで緊張しましたが、家元や若宗匠のおかげでどうにか勤めてきました。 感動しましたのは、お家元が練ったお濃茶を大宗匠が自ら私のところにお運び下さったことでありました。 これは私も100歳まで精進しなければならぬという思いで頂戴したのでした。 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺
第1109回「はじめての人におくる般若心経」
本日は一月二十日であります。 二十四節気では大寒にあたります。 大寒は、一年のうちでも最も寒い時期であります。 寒さの厳しい時期に、武道などでも寒稽古というのが行われたりします。 仏教では、宗派によって寒修行というのもあるようです。 われわれ禅宗では、寒修行という言い方はしませんが、円覚寺の修行道場では、本日から一週間の摂心を行うのであります。 毎年、もっとも寒い時期に一週間坐禅の修行をしているのであります。 本日はその初日でもあります。 それから、本日は、春秋社から新しく出版される『はじめての人におくる般若心経』の発行日でもあります。 一昨年二〇二二年の四月から十二月まで毎月花園大学で学生さんたちに般若心経の講義をしたものを一冊の本にまとめたものです。 昨年ほぼ一年かけて、書籍にしました。 今の時代は、長い時間と苦労をかけて本を作っても、あまり売れることがないので、複雑な思いがするのですが、それでも感慨深いものであります。 本のオビは、大きく「ゆるされて生きる」と書かれていて、そのあとに、 少し小さく「禅僧が若者に語った空のこころ」と書かれていて、 更に小さい字で、 「仏教一千年の歴史を湛える276文字を説き明かし、この世の中をしなやかに生きるための究極の智慧を伝える、珠玉の講義録」 と書いてくれています。 こういうオビの文章は、出版社が書いてくれたものです。 オビの裏の方には、 「この社会にあるさまざまな苦しみや現象をすべて取り除いて、空になるのではありません。そのようななかにありながら、引っかかることなく、とらわれることなく、さらりさらりと生きていきたいというのが理想です。そのようなことを、般若心経から学びたいのです。」 という本文にある言葉を書いてくれています。 これは本書の第五章の終わりにある言葉です。 この言葉の前には、 「所有(わがもの)というものなくとも、われらこころたのしく住まんかな。 光音とよぶ天人のごとく喜悦(よろこび)を食物(かて)とするものとならんかな。」 (友松圓諦『法句経』講談社学術文庫) という『法句経』の言葉を引用して、次のように書いています。 「禅の教えでは、禅の喜びや、坐禅をすることの喜び、これが自分の食べ物、糧となっていくのです。 ですから、何もないところからあふれてくる豊かな喜びというのでしょうか、このようなものが、般若心経から学べるところです。 物を集めて増やそうという発想からは、一八〇度の転換です。 物を集めよう、増やそうということは、もう限界ではないでしょうか。 資本主義的な大量生産、大量消費というような洗脳からは、いいかげんに離れないと、地球環境も破壊されるばかりではなかろうかという気がいたします。 さて、こうした「心に罣礙なし」ということを、京都女子大学の基となるものをつくられた甲斐和里子先生は、このような歌で表現されています。 岩もあり 木の根もあれど さらさらと たださらさらと 水の流るる 別段、岩や木の根っこを全部取り除くわけではないのです。 この社会にあるさまざまな苦しみや現象をすべて取り除いて、空になるのではありません。」となっているのです。 この本のまえがきに、二〇二二年に花園大学で般若心経を講義しようと思い立っていきさつを書いています。 「般若心経を解説してほしいと頼まれたことは何度かありました。 しかし、今までは丁重にお断りしていました。 般若心経の解説は難しいものです。 理論的に解説するのも難しいですが、仮に解説しても、それを理解したからといって、般若心経が分かったとは言えないからであります。 般若というのは智慧のことですが、これは分別の知恵ではなく、無分別の智慧です。 あれこれと説明して解釈してしまうと、それは分別の知恵になってしまうのです。 無分別の智慧は、理論的な解釈では届かないのであります。 そこで、般若心経の解説を頼まれてもお断りしていたのでした。 学生時代に般若経典を勉強していましたが、勉強すればするほど般若の智慧から遠ざかってしまうというもどかしさを、ずっと味わっていました。 それだけに、解説は難しいと思っていたのでした。 ところが、そんな気持ちを一変させることがありました。 二〇二一年に「親ガチャ」という言葉が、ユーキャンの新語・流行語大賞のトップテンに選出されたのでした。 「親ガチャ」という言葉を、私はそれまで知りませんでした。 意味は、生まれてくる子は親を選べないということで、それを「ガチャ」というゲームの仕組みに喩えたそうなのです。 生まれる際に親や家庭環境を選べないというのは事実ですが、これは、良い環境でないとき、ハズレだという場合に使われることが多いと聞きました。 思い通りにゆかない原因を「ガチャ」に外れたと、なんとも言えないあきらめを表しているようなのです。 こんな言葉が流行していることを知って、私の心に火がつきました。 「よし、般若心経を講義してみよう。今こそ空の心を説いてみよう」と思ったのでした。」 と書いています。 更に「お釈迦様は「生れによって賤しい人となるのではない。生れによってバラモンとなるのでもない。行為によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる。(スッタニパータ・一四二)」と説かれています。 変化することのない、固定した自己などはないと説かれたのです。 この、変化しないものはない、固定した実体などはないというのが、空の原義であります。 仏教では、自己というのは、諸々の構成要素によって仮に現れた幻影のようなものにすぎないと説かれます。 裏を返せば、条件によってはいかようにも変化し得るのです。 お釈迦様は、「この世の中には四種類の人々がある。闇より闇に赴く人々。闇より光に赴く人たち、光より闇に赴く人たち、および光より光に赴くものがそれである」とも説かれました。 自分の思うはずではなかったというような境遇にあっても、条件が変わることによって、闇から光へと変わることもできるのです。 一見して劣悪な環境、境遇だと思われているなかに生まれながらも、立派な高僧になった方はたくさんいらっしゃいます。 空なればこそ、いかようにも変化してゆけるのです。」 ということを書いています。 「空なればこそ、いかようにも変化してゆける」、このことをお若い方々に伝えてあげたいと思ったのであります。 またまえがきに「花園大学は、もともとは臨済禅を学ぶための学校ですが、今や文学や歴史、福祉など、いろいろな分野を学ぶ方も多いのです。 この講義も仏教学専門の学生を対象にしたものではなく、一般学生を対象にしたものです。 ですからなるだけ分かりやすいようにと心がけて講義をしました。 『はじめての人におくる般若心経』というタイトルにした由縁であります。」と書いています。 今の若者に語ってみた『般若心経』なのであります。 本書の内容については、来月二月の第二日曜日の日曜説教でお話しようと思っています。 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺
第1095回「無我だからこそ、人は変われる」
本日は一月六日、修行道場では鏡開きの日であります。 『広辞苑』には「鏡開き」は「正月11日ごろ鏡餅を下げて雑煮・汁粉にして食べる行事」と解説されていますが、修行道場では、六日の夕方に鏡餅をさげて、その晩にお汁粉にしていただくことになっています。 思えば昨年の暮れに、修行僧皆で餅つきをしたのでした。 昨年の餅つきは、藤田一照さんもお越しくださって盛り上がったのでした。 お餅も餅をつく前は、餅米でありました。 それがみんなで撞いて餅になり、お供えになり、三が日のお雑煮になり、最後はお汁粉になって、それぞれのお腹に入ってしまうのです。 餅という、変わらない実体があるのではなく、餅米が撞かれて、お供えになったり、お雑煮になったり、お汁粉になってお腹に入ってしまうのです。 不変の実体があるのではありません。 ただ餅という現象として現れているのです。 その現象もまた、鏡餅になったりお雑煮になったりして、流れてゆくものです。 餅のまま置いておこうとしても、だんだんひびが割れたり、黴が生えたりしてしまいます。 同じ状態であることはないのであります。 こういうことを「無我」というのであります。 ひろさちやさんの『マンダラ人生論下』には、こんな話がありました。 「仏教のことばに、無我 がある。いろいろ説明がなされるが、わかりにくいことばである。 そこで、こう考えてみたらどうだろう。 最近の親は、子どもをつくると考えている。 …しかし、昔の人々はそうは考えなかった。 子どもはほとけさまから授かるものだと信じていた。 わたしは、昔の人々の考え方のほうがすばらしいと思う。 でも、いまそれを言うと、現代人は、授かった以上は俺のものだと所有権を主張しかねない。 そこで、わたしは、子どもはほとけさまからお預かりしていると言ったほうがよいと思う。それが仏教者らしい考え方だと思うのだ。」 と書かれています。 そしてひろさちや先生は、 「わたしのこの生命・身体は、ほとけさまのものだ。 わたしは自分の生命と身体をほとけさまからお預かりしているのだ」と説いてくださっています。 無我ということのもとには、自分のものという執着から離れるという教えがありました。 そこでほとけさまからお預かりしているものと受けとめることで、自分のものという執着から離れることができるのです。 中村元先生の『ブッダ伝 生涯と思想』には、「我執を捨てる」として、 「もっとも古い時期の経典によると、「わがもの」「われの所有である」という考えを捨てることが、いわゆる「無我」、つまり「非我」であると説かれています。 修行者はわがものという観念を捨てねばなりません。家族も財産もすべてを捨て、我執を捨てれば、こんなに楽しいことはないという心境を伝える経典があります。」と説かれています。 我が子や、財産についてブッダのこんな言葉がございます。 まず神がいうのです。 「子ある者は子について喜び、また牛のある者は牛について喜ぶ。 執著するよりどころによって、人間に喜びが起こる。 執著するよりどころのない人は、実に喜ぶことがない」と。 これは分かりやすいように思います。 家族を大事にすることはよろこびなのであります。 しかし、ブッダは、 「子ある者は子について憂い、また牛のある者は牛について憂う。 執著するよりどころによって人間に憂いが起こる。 実に、執著するよりどころのない人は、憂うることがない」と答えるのであります。 『法句経』にも、 「わたしには子供がいる。 わたしには財産があると、愚者は悩まされる。 じつに、自己は自己のものではない。どうして子供が、どうして財産が、自己のものであるか。」と説かれています。 中村先生は、「具体的にいえば、家族や財産をわがものと見なしてはならぬ、子供や牛などがあるのを喜ぶのは悪魔のしわざであると考えたようです。」 と解説されています。 そして更に「それでは、なぜわがもの、わが所有という考えを捨てなければならないのでしょうか。 わがもの、自分の所有だと思っているものは移り変わり、いつまでも自分のものでいることはないからです。 それに自分が死んだら、自分のもののように思っていた人々も、ものも、皆、自分から離れていってしまう。 だから自分の所有に執著しても意味がないのです。」 と解説してくださっています。 ブッダは、私のものという時の私とは何か厳密に考察されました。 そして私というのは、五種の構成要素であると解釈しました。 それが五蘊です。 物質的な形(身体)、感受作用、表象作用、意志作用、識別作用の五種です。 その五種のはたらきが互いに作用しあって個人の存在が成りたっていると考えていました。 ワールポラ・ラーフラの『ブッダが説いたこと』(岩波文庫)には、 「要するに、存在するのは五つの集合要素である。 私たちが存在、個人あるいは「私」と呼んでいるのは、この五つの集合要素の結合に対する便宜上の名称に過ぎない。 それらはすべて無常であり、絶えず移ろうものである。」とはっきり説いてくれています。 更に「二つの連続する瞬間を通じて、同一であり続けるものは何一つとしてない。 すべては、一瞬ごとに生起し、一瞬ごとに消滅し、流転を続けている。 ブッダはラッタパーラにこう言っている。 「バラモンよ、それはあたかも、すべてを流し去り、遠くまで流れゆく山間の急流のようなものである。 流れが止むことは、一瞬、一時、一秒たりともない。 流れ続けるだけである。 バラモンよ、人の命はこの山間の流れのようなものである。世界は絶えず流動し、無常である。」 というのであります。 そこでスマナサーラ長老の『無我の見方』には、 「私たちは、ありもしない自我、永遠不滅で絶対に変わらない魂という妄想概念にしがみついてはいけないのです。 これが人間だと言える確固とした実体があるという先入見に寄りかかることなく、「自分という流れ」をしっかり管理して、自分にも他人にも役に立つ人間にならなければなりません。」 と大事なところをはっきり伝えてくださっています。 無常だとか、無我だとかいうと、何か厭世的な気持ちになると思うかもしれませんが、スマナサーラ長老も、 「しかし、無常だからこそ、無我だからこそ、自己の改良・改善ができます。 永遠不滅で、これが人間の自我だと言えるような、絶対に変わらない、確固とした実体などないから、変わることができるのです。」 と説いて下さっているのです。 このことは、今月できあがる私の新著『はじめての人におくる般若心経』でも繰り返して説いていることでもあります。 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺
第1094回「苦とは思うとおりにならないこと」
ひろさちやさんの『マンダラ人生論下』を読んでいると、「苦の解消への近道は苦を大事にすること」という一節がありました。 そこにこんなことが書かれています。 「風邪の季節になった。 ふと、昔、祖母に教わったことわざを思い出した。 「風邪と客は大事にすればすぐ帰る」 この場合の客は、商売の顧客ではない。 顧客にすぐ帰られたら大変だ。 顧客は引き留めておきたい。 そうではなくて、すぐに帰ってほしい居候的な客がいる。 この客を退散させるには、大事に大事に扱ったほうがよい。そうすると、客は逆に居心地が悪くなって、早く帰る。 そして風邪も同じであって、大事に扱ったほうが治りが早い。そう祖母は教えてくれた。」 というのです。 今も風邪の季節であります。 風邪はだれしもかかりたくなし、嫌なものです。 しかし、風邪を大事にするという発想があるものです。 そこからひろさちやさんは、 「同様に、われわれが人生において苦境に立たされたとき、その苦しみを大事に扱ったほうがよい。 苦境から逃れようとすると、かえって苦しくなる。 いやだ、いやだと思っても苦しみが軽減するわけではない。 だとすれば、その「いやだ、いやだ」と思う気持ちの分だけ余計なのだ。 苦しみを大事にし、苦しみを楽しむ気持ちになるのが、苦しみの解消の近道だと思う。」 と苦しみとの向き合い方について説き進めておられるのであります。 まさしく仏教は、この「苦」をしっかりと受けとめ見つめてきた教えであります。 では、この「苦」をどう受けとめて見つめてきたのかを学んでみましょう。 中村元先生の『ブッダ伝 生涯と思想』(角川ソフィア文庫)に 「苦しみとは何か」という一章があって、そのはじめに「思うとおりにならぬこと」という一節があります。 その一部を引用します。 「老いや病や死が迫ってくるのを人々はどうしてもふせぐことができません。 ただ、この忌まわしい事実から眼をそむけているだけです。 実践としての仏教は、この厳然たる事実から眼をそらすことなく、その事実に立ち向かい、その苦しみを見つめるのです。」 とはっきり説いてくださっています。 そして「ブッダが出家した動機も、人生の苦しみから抜け出るためでしたから、最初期の仏教は、我々の「苦しみ」に立ち向かっていったのです。 この「苦しみ」ということばは、インド人の概念では、「うまくいかぬ」「…しがたい」 「…するのが難しい」という意味で、それが名詞になると「思うとおりにならないこと」、つまり「苦しみ」 「悩み」をあらわす「ドゥクハー」ということばになります。 それが漢訳仏典で「苦」と表現されました。 原始経典では、苦しみの現実を人々の心に訴えております。」 と説いてくださっています。 更に仏典の言葉がひかれています。 「生も苦しみである。老も苦しみである。病も苦しみである。死も苦しみである。愛さない者と会うことも苦しみである。愛する者と別離することも苦しみである。すべて欲するものを得ないことも苦しみである。要約していうならば、五種の執著の素因(五取蘊)は苦しみである。」(『律蔵』) ということなのです。 ここに説かれていることが四苦八苦なのであります。 「四苦八苦」は『広辞苑』にも 「生・老・病・死の四苦に、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦を合わせたもの。人生の苦の総称。」と解説されています。 『広辞苑』にはそれぞれの説明もあります。 「愛別離苦」とは「親・兄弟・妻子など愛する者と生別・死別する苦しみ」です。 「怨憎会苦」とは「怨み憎む者に会う苦しみ」。 「求不得苦」とは「求めるものが得られない苦しみ」。 「五陰盛苦」とは、「五陰から生ずる心身の苦しみ」ということです。 五蘊というのは五つの集合要素なのです。 五蘊は、色受想行識の五つであって、『仏教辞典』には、 「<色>は感覚器官を備えた身体、 <受>は苦・楽・不苦不楽の3種の感覚あるいは感受、 <想>は認識対象からその姿かたちの像や観念を受動的に受ける表象作用、 <行>は能動的に意志するはたらきあるいは衝動的欲求、 <識>は認識あるいは判断のことと『仏教辞典』には解説されています。 中村先生は「それではなぜ我々は苦しみ悩むのでしょうか。一つは、この世のすべてのものが移り変わる無常なものであるのに、いつまでも常住であってほしいと願う執著の心からです。 もう一つは、我々がいろいろな欲望をもっているから苦しみ悩むのです。」 と説いてくださっています。 五蘊盛苦は、五取蘊苦とも言われます。 五蘊に執着が生まれるので、苦になるのです。 この度サンガ新社から刊行されたスマナサーラ長老の『苦の見方』には、分かりやすい例で説いてくださっています。 「世の中の品物が壊れていることは我々にとってそれほど精神的な問題になりません。 しかし、世にある品物に「私のもの」と執着すると、壊れていることは精神的に耐え難い苦しみになります。 森の中の木が一本、倒れたとしましょう。 自分にとっては痛くもかゆくもない、ごく自然な出来事です。 自分の家の前にあった樹齢四十年になっていた木が倒れたとしましょう。 それは自分の庭にあった木なのです。 倒れると苦しみを感じます。大いに悩むのです。 あるいは、道路で車が事故を起こしたと聞いても無関心で、無駄話扱いすることでしょう。 しかし、事故を起こしたのは自分の車だと聞いた瞬間、限りなく悩み苦しみが現れるのです。」 と分かりやすく解説してくれています。 自分のものと思うと、執着が生じるのであります。 そしてその執着が苦しみをもたらすのです。 中村元先生は「「苦しみ」の本質は肉体的な、また精神的な苦痛だけをいっているのではなくて、「自分の望むようにならないこと」をいっているのだと思われます。」と説いています。 苦はまさに思うとおりにはならないことを意味しています。 思う通りにならぬ世の中と思って、執着を離れ、感覚からもたらされる欲望を制御して生きるのであります。 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺
第1092回「ラッキョウの皮むき」
養老孟司先生の『バカの壁』に、こんな言葉があります。 引用します。 「…若い人への教育現場において、おまえの個性を伸ばせなんて馬鹿なことは言わない方がいい。 それよりも親の気持ちが分かるか、友達の気持ちが分かるか、ホームレスの気持ちが分かるかというふうに話を持っていくほうが、余程まともな教育じゃないか。 そこが今の教育は逆立ちしていると思っています。 だから、どこが個性なんだ、と私はいつも言う。 おまえらの個性なんてラッキョウの皮むきじゃないか、と。」 という言葉です。 ラッキョウの皮むきという表現がおもしろいものです。 かの太宰治の『秋風記』にも、 「らっきょうの皮を、むいてむいて、しんまでむいて、何もない。きっとある、何かある、それを信じて、また、べつの、らっきょうの皮を、むいて、むいて、何もない」という言葉があります。 これは、らっきょうの皮は、むいてもむいても皮ばかりであるところから、実がないのにくり返すたとえに使われています。 これこそという芯があるわけではないのです。 本日一月三日、大般若経の転読も本日終了となります。 「転読」というのはどういうことかというと、岩波書店の『仏教辞典』には、 「転読」とは「<転経>また<略読>ともいう。 最初から最後まで読む<真読>(信読)に対して、経題と経の一部分だけを読んで全巻の読誦に代えること。」をいうのであります。 更に「国家安泰・五穀豊穣・病気平癒などを祈って大般若経600巻などを読誦することは、日本ではすでに奈良時代から行われていたが、次第に儀礼化した略読が主となり、折本(おりほん)を空中で翻転する華やかな形式となった。」 と書かれています。 それは「今日でも天台・真言・禅宗その他で広く修されている」ということなのです。 ここにありますように「折本を空中で翻転する華やかな形式」となっているのであります。 それでも六百巻を一巻ずつパラパラ転読するのは時間もかかります。 転読する間、偈文を唱えながら、読んだことにしています。 それで読んだのと同じ功徳があるとされています。 その間に唱える偈文が、大般若経で説かれている教えの真髄と言われています。 諸法皆是因縁生 因縁生故無自性 無自性故無去来 無去来故無所得 無所得故畢竟空 畢竟空故是名般若波羅蜜 という偈文です。 あらゆるものはみな因縁によって生じるものだということです。 因縁とは、まず『広辞苑』には、 「〔仏〕ものごとの生ずる原因。因は直接的原因、縁は間接的条件。また、因と縁から結果(果)が生ずること。縁起。転じて、定められた運命。」と書かれています。 更に岩波書店の『仏教辞典』によれば、「因縁は仏教思想の核心を示す語である。 <因>と<縁>は、原始経典ではともに<原因>を意味する語であったが、のちに因を直接原因、縁を間接原因、あるいは因を原因、縁を条件とみなす見解が生じた。」 と解説されています。 因縁によって生じるのですから、自性がないというのです。 自性というのが難しいものですが、『広辞苑』には、 「物それ自体の本性。本来の性質」とあります。 この「自性」を岩波の仏教辞典で調べてみますと、興味深いことがわかりました。 今まで使っていた第二版の『仏教辞典』と、この度新たに出された第三版の『仏教辞典」では記述が異なっています。 第二版には、「自性」は、 「もの・ことが常に同一性と固有性とを保ち続け、それ自身で存在するという本体、もしくは独立し孤立している実体を、<自性>という。」 と解説されています。 第三版でははじめに「物事の不変の本質、他に依存せずにそれ自体に内属する本性」と解説されています。 そのあとに「部派のうち最大の説一切有部は、もの・ことや心理作用のいっさいを、諸要素ともいうべき法(ほう)(dharma)に分かち、通常は七十五法(五位七十五法)を掲げて、そのおのおのにそれぞれの自性を説く。 これを厳しく批判しつつ大乗仏教が興り、特に竜樹(ナーガールジュナ)は、相依(そうえ)(相互依存関係)に基づく縁起(えんぎ)説によって、実体と実体的な考えを根底から覆し、自性の否定である<無自性>を鮮明にして、それを<空(くう)>に結びつけた。」 と解説されています。 このあたりは第三版も同じであります。 「無自性」とは「固有の本質(自性)をもたないこと」であります。 「すべての事物は、他のさまざまな事物や構成要素に依存しており、それゆえ固有の本質を欠いているという意味」なのです。 さらに『仏教辞典』には、 「竜樹は『中論』第15章において「自性は他に関係せず、作られない」と定義づけ、これにより、自性を欠いていることを意味する空と無自性とは同義であるという。 この定義によれば、他に関係するものはすべて無自性であり、それゆえまた、他の事物に縁って生起することをさす縁起(えんぎ)は、必然的に空=無自性を含意するという。」 ということになるのであります。 『仏教辞典』には、「竜樹ー空=無自性縁起説」という項目があって、 「初期の般若経で説かれた<空>を理論的に大成したのが竜樹(ナーガールジュナ)である。 かれはまず、<空>こそがゴータマ‐ブッダ(釈迦)の悟りの内容にほかならないことを二諦(にたい)説や八不(はっぷ)(八不中道)の縁起説との関連で明らかにしようと努めた。 第二にまた、<空>の意味内容を論じ、<空>は無に等しいのではなく、すべての事物が無自性にして縁起することを意味すると説いた。」 と説かれています。 空とは何もないことではなく、ものごとは相互依存関係にあることを表しているのです。 これを個性というものにあてはめてみると、その人自体の不変の個性があるのではなく、さまざまな原因や条件によって成り立っていると言えます。 だから養老先生は、「個性なんてラッキョウの皮むき」と仰ったのでしょう。 相互依存の関係にあるのですから、「おまえの個性を伸ばせなんて馬鹿なことは言わない方がいい」ということになって、 「それよりも親の気持ちが分かるか、友達の気持ちが分かるか、ホームレスの気持ちが分かるかというふうに話を持っていくほうが、余程まともな教育じゃないか。」と仰るのは道理なのであります。 諸法は、ラッキョウの皮むきなのであります。 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺