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思想・哲学・宗教・人物(My favorite notes)

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思想・哲学・宗教など心や意識をテーマにしたお気に入り記事をまとめています。スキさせて頂いただけでは物足りない、感銘を受けた記事、とても為になった記事、何度も読み返したいような記事…
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2023年1月の記事一覧

「自分らしく死ぬ」これが私にとってのウェルビーイング|いつでも死ねる勇気と覚悟

自分らしく生きることが 認められてる現代ならば… 「自分らしく死にたい」 明けまして おめでとうございます。 今年からは読書セラピストとして noteで活動していきます タルイです。 突然ですが、 あなたは死ぬ準備をされてますか? 新年いきなりに いかつい質問から スタートですが いわゆる「終活」の準備です。 私も一昨年に父を亡くし 残された母も病気がちとなり 生と死がより身近なものとして 考えるようになりました。 今日のテーマは 終活するために必要な 「死生

¥100

ツォンカパ大師の縁起讃 意訳

先のガンデン寺座主やゾンカチューデ前僧院長、サキャ派の高名なリンポチェなど死亡が確認された後、死の瞑想状態に入られ数日遺体が腐敗しないという事がここ1ヶ月相次ぎました。 社会的な地位もあるお忙しいラマが、隠遁修行者のようなハイレベルの密教修行に至っておられるのは驚きでした。 前ガンデン寺座主は私はご縁があった程度でしたが、私の先生は直接チベット大蔵経を教わったりと深い師弟関係でした。 遅まきながら、恩師方への報恩の意味でツォンカパ大師の縁起讃の意訳をしました。 素晴ら

アインシュタインが聞いた「内なる宇宙」の声 【『What I believe』に学ぶ】

これは世界的に有名な「20世紀最高の物理学者」とも称されるアインシュタインの言葉です。 彼は、地上において、人間という存在は他人のためにあり、その他人の幸せのためにあるのだと言っています。 他人が幸せであることで、自分もまた幸せになるのだ、という利他的存在性を強調しているのです。 「一日に何度も、自分の生活が他人の労力の上にあるのだと痛感している」という彼の言葉をみても、アインシュタインがいかに社会的なつながりを意識しながら生活をしていたかがわかります。 「by a bond

はたして美しい冬は迎えられるのか 【『論語』に学ぶ】

冬は寒さの中で花が落ち、葉が枯れ、佳景寂寞たる情景です。 電灯も暖房器具もない昔であれば、心の中まで寒風吹きすさぶ、侘しく寂しい気持ちで満たされていたことでしょう。 このように外の環境が暗然たるものであればあるほど、内面の霊明霊光が輝くものであるとするのが、冒頭にご紹介した一文が表現している世界観です。 夏は、太陽が燦々と輝く時は色とりどりの花が咲き乱れ、葉も活き活きと生い茂るように生命力が漲っている時です。 このような時は、松や柏のような常緑樹は、ひっそりと影を潜めた存在で

”心”の意味分節システムを発生させる鍵は”両義的媒介項”にあり -レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む(13)

4歳になる下の子を保育園に送る途中のこと。犬が石畳の道を歩いていた。 犬の四本の足が、それぞれいそがしく宙に持ち上げられては石畳に降ろされる。そのとき、パタパタというか、パシパシというか、パラパラというか、冬の空気にぴったりな音がする。 その、わたしにとっては ”犬 の 足音” である音。 その音を聞いて、下の子がいう。 「足あとの、声がする!」 + 足跡の声 私: 犬 / の / 足音 / 子: 足跡 /の / 声 / が / する ”歩行する犬の足裏と石畳と

¥2,200

山本義隆 『原子・原子核・原子力』 岩波現代文庫

高校生の頃、駿台に通っていた。高一クラス、高二日曜テスト科、高三クラスに通った。文系なので理科の科目は受講していない。それでも山本先生の物理が人気講座であることはよく知っていた。当時の予備校の授業というのはエンターテインメントだった。それぞれの予備校に人気講師がいて、その授業には立ち見が出るほど生徒が群がった。 本書は山本先生の高校生・受験生向けの講義録という体裁になっている。本書の元になっている講義は2013年3月に駿台予備学校千葉校で行われた。字面が口語なのでソフトに響

「カントはこう考えた 人はなぜ「なぜ」と問うのか」 石川文康

ちくま学芸文庫  筑摩書房 躓きの石 西洋哲学史をざっと以前見た時に、イギリス経験論で見通しよくなってすっきりしたと思ったら、カントが出てきてこねくり回してた(笑)けど、「異物」をわざわざ挟み込もうとしていたわけか。その試みは果たして成功したのか。 帰納と演繹 ライプニッツの「十分な理由の原理」(p75)、ヴォルフの中国孔子に自分の理性哲学の元を見たという講演、ガーナ出身の黒人哲学者、などの話を経て、ベーコンの「新オルガノン」の4つのイードラの話(p101〜)となる。

「永遠平和のために/啓蒙とは何か」 イマヌエル・カント

中山元 訳  光文社古典新訳文庫  光文社 カントこと始め 「啓蒙とは何か」を読み始めた。一言で言えば「知ることを恐れるな」。知るというのは「自分の頭で考える」ということ。いろいろあるとは思うが、実際はどうであれ、姿勢だけでもカントの勧めるようになりたいものだ。あと、公的と私的の(日本で使われる用法とは)逆転の関係・・・ここにハーバーマスの公共性が絡む・・・や、アレントの言葉(p294−295)「カント政治哲学の講義」も面白い。 (2011 12/25) 導きのあまりに

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第739回「異なる宗教を敬う」

本日は一月十五日、小正月です。 小正月というと、『広辞苑』には、「旧暦の正月15日、あるいは正月14日から16日までの称。元日(あるいは元日から7日まで)を大正月というのに対する。今も、さまざまな民俗行事が全国的に残る。」と書かれています。 十五日の朝は、修行道場でも小豆を入れたお粥を皆でいただきます。 そんな伝統の行事も大切にしています。 先日の日曜説教では、坂村真民先生の詩をいくつか紹介しました。  喜び 信仰が 争いの種となる そんな信仰なら 捨てた方がいい 大宇宙 大和楽 任せて生きる 喜びよ  信念と信仰 いろんな木があり いろんな草があり それぞれの花を咲かせる それが宇宙である だから人間も 各自それぞれ 自分の花を 咲かせねばならぬ それが信念であり 信仰である 統一しようとすること勿れ 強制しようとすること勿れ  大念願 殺さず 争わず 互いにいつくしみ すべて平等に 差別せず 生きる これが 大宇宙の 大念願なのだ 母なる星地球が 回転しながら そう唱えている声を 聞く耳を持とう 悲しいかな、信仰をもつことが、争いの種となることも多いのが現実なのであります。 歴史をみれば、多くの宗教戦争が起こっていたのであります。 佐々木閑先生の『日々是修行』(ちくま新書)に 「まっとうな宗教なら、「人を殺せば幸せになれる」とは言わない。「自分が嫌なことは、他人も嫌がるに違いない」という同類への配慮があって初めて、人の心は和むのであって、他者を「殺してやろう」と、心がグツグツ煮えたぎっている者に、安穏などありえないからだ。 宗教の目的が、「穏やかな日々の実現」にあるなら、そこには必ず「同類を殺すな」という教えが入ってくる。 だから宗教は、流血とは一切無縁なはずなのだ。 ところが話は逆だ。誰もが知る通り、多くの宗教の過去は血塗られている。 宗教のせいで殺された人の数は想像もつかない。 これはあまりに大きな矛盾ではないか。」 と書かれている通り、大きな矛盾を抱えているのです。 『ダライ・ラマの仏教入門』を修行僧達と輪読してきて、最後のところに、ダライ・ラマ猊下が、 「他の宗教を信じる人々といかにつきあうか」について書かれていました。 そこには 「命あるものはさまざまな種類の性質や関心を有しているので、仏陀はさまざまなレヴェルの修行を設定しました。 これを認識することによって、仏教の教えに対して正しい見解が得られるばかりか、世界中のあらゆる異なったタイプの宗教に対しても心の奥底から尊敬を感じることができるようになります。 あらゆる宗教はみな信じるものにとっては恵み深いものだからです。」 と書かれています。 人は皆平等であります。 しかし、生まれや育ち、教育や環境などによって、いろんな考えを持ちます。いろんな性格を持っています。 ダライ・ラマ猊下は 「たとえどんなに哲学上の相違が大きく、それが、根本的なものであったとしても、なおある種の人々の関心や性質に応じていれば、それらの哲学はそれらの人の行動にとっては適切であり恵み深いものであることが理解できるはずです。 このことを理解することによって他の宗教に対する深い尊敬が生まれるのです。 今日私たちは、互いを尊敬しあい、理解しあうということを大変必要としています。」 とはっきり説かれています。 そして更に 「命あるものがさまざまな性質や好みを持っているという事実を考えれば、 造物主の観念が非常に有用であり、合っている人もいるのです。 ですから、仏教徒が他の宗教を奉ずる人を非難したり、共に働くことをむやみにいやがったりするべきではありません。 」 と明言されています。 たしかに仏教では、この世界を作り出した絶対者の存在を認めることはしません。 むしろ、その否定から仏教は興ったのであります。 そうかといって、造物主を認める宗教は間違いだと、攻撃するようなことはしないのです。 異なる宗教にも尊敬の念を持つことが大切であります。 佐々木閑先生は 「なぜ宗教が殺人と結びつくのか。 その一番の理由は、「同類を殺すな」という場合の「同類」 の意味の取り違えである。 それを「同じ考えを持つ者」と限定してしまうと、「自分たちの考えに従わない者は同類ではない。敵だ。敵なら殺しても構わない」という理屈になる。 殺さないまでも、「敵なら苦しめてもよい」と、憎しみが正当化される。 「同類」の意味をどう設定するかで宗教は、優しく穏やかなものになったり、苛烈で排他的なものになったりする。 その宗教がどれほど平和的で穏健なものか知りたければ、その宗教の「同類意識の幅の広さ」を見ればよい。 同じ宗教仲間だけでがっちり砦を築いて、外部の者を敵対視する宗教は、必ず暴力性を帯びてくるのだ。」 と『日々是修行』の中で説かれています。 仏教の歴史を見ても、反省すべきところは多々ございます。 しかし、佐々木先生は、 「だが釈迦にまで遡れば、そこに暴力の影はない」と断言されています。 「釈迦の仏教は、「人には、仏の教えで助かる者もいれば、そっぽを向いて別の道を行く者もいる。せめて、こちらを向いてくれる者だけでも助けよう」と考える。 自分たちの考えを認めない者を「教えの敵だからやっつけよう」などとは思わない。 「こちらへ来てくれないのは残念だ」と失望するだけだ。 すべての生き物は「同類」なのである。 釈迦の仏教は「考えは異なっていても、生き物としては皆同類だ」と考えることで一切の暴力性を振り払った。 その理念は、現代社会でも貴重な指針となるだろう。」と書かれています。 坂村真民先生は  まなざし まなざしを 変えない限り 戦争は起こり 平和は来ない 憎しみの心を 捨てない限り 争いは絶えなく 幸せは来ない 無差別平等の 宇宙のまなざしを持つ 新しい人間の 出現を祈ろう と詠われました。 生き物は皆同類、仲間だというまなざしを持ちたいのです。 そんなことを思う小正月であります。     臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

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第735回「いかによく生きるか – 善を求めて –」

先日、致知出版社の藤尾社長に久しぶりにお目にかかりました。 致知出版社からは、私も何冊か書籍を出させてもらっています。 ただいまも『臨済録に学ぶ』を作ってもらっているところです。 この本は、今月末にはできあがります。 社長といろんな話をしていて、コロナ禍の間の話題になりました。 社長は、コロナ禍中に大病をなされたことに触れられました。 手術の時に、ブッダの言葉を思ったというのが印象的でありました。 ブッダが「自分は善を求めて出家して五十年になった、ただこの道を歩んできた」と仰った言葉を思ったというのです。 致知出版社で出している月刊誌『致知』が今年創刊四十五周年となりますので、社長はこの『致知』を創刊して四十五年、ひたすらこの一道を歩んできたという思いを、ブッダの言葉に重ね合わせたのだと思いました。 社長のひたむきな思いが伝わってきたのでした。 このブッダの言葉は、 「「スバッダよ。わたしは二十九歳で、何かしら善を求めて出家した。 スバッダよ。わたしは出家してから五十年余となった。 正理と法の領域のみを歩んで来た。これ以外には〈道の人〉なるものも存在しない」というものです。 これは『ブッダ伝 生涯と思想』(角川ソフィア文庫)にある中村元先生の訳であります。 この言葉に、ブッダの人となりを感じることができるのであります。 これはブッダが、クシナガラの村で、二本の沙羅樹の間に横たわっておられた時のことです。 スバッダという遍歴行者がブッダにお目にかかりたいとやってきたのでした。 もはや涅槃に入ろうかというブッダに、会わせることはかなわないと、おそばに仕えていたアーナンダは、スバッダに断りました。 ブッダは疲労しておられるので、悩ませてはなりませんと告げたのでした。 しかし押し問答は三回続きました。 スバッダは三度会わせろといいはりますが、アーナンダは、ブッダは臨終の床で衰弱しきっているから無理だと、三遍ともことわったのでした。 それでも引き下がる気配もなく、アーナンダは困りはてていました。 しかし、瀕死の重病人であるブッダが、この様子を聞いていたのでした。 そしてなんと、ブッダは、彼に会おうといったのでした。 ブッダはアーナンダにこう言いました。 「やめなさい、アーナンダよ。 遍歴行者スバッダを拒絶するな。 スバッダが修行をつづけて来た者に会えるようにしてやれ。 スバッダがわたしにたずねようと欲することは、何でもすべて、知ろうと欲してたずねるのであって、わたしを悩まそうと欲してたずねるのではないであろう。 かれがわたしにたずねたことは、わたしは何でも説明するであろう。 かれはそれを速やかに理解するであろう」と。 以下、『ブッダ伝 生涯と思想』から引用させてもらいます。 「ところがスバッダは、当時の有名な哲人たちの所説をあげて、それに対するブッダの評価をたずねるのです。 ブッダはそんなむだな論議はよしなさいとさとします。 「やめなさい。 スバッダよ。〈かれらはすべて自分の智をもって知ったのですか? あるいは、かれらはすべて知っていないのですか? そのうちの或る人々は知っていて、或る人々は知らないのですか?〉ということは、ほっておけ。 スバッダよ。 わたしはあなたに理法を説くことにしよう。 それを聞きなさい。 よく注意なさいよ。 わたしは説くことにしよう」(『マハーパリニッバーナ・スッタンタ』) ブッダはスバッダの形而上学的な質問には答えずに、真理(ダルマ)に従って生きる心がまえを説くのでした。 「スバッダよ。わたしは二十九歳で、何かしら善を求めて出家した。 スバッダよ。わたしは出家してから五十年余となった。 正理と法の領域のみを歩んで来た。これ以外には〈道の人〉なるものも存在しない」(『マハーパリニッバーナ・スッタンタ』)」 というのであります。 中村先生は、 「ここで注目されるのは、ブッダは「善を求めて」出家したのであり、善でも悪でもない「さとり」を求めて出家したのではないということです。 「いかによく生きるか」が最大の関心事だったのではないかと思われます。 他人のことはいざしらず、自分はひたすら正しい道理・真理(ダルマ)を求めて修行につとめ励んできた。 この理法にかなったやり方で、自分はわが歩むべき道を歩むだけだ。というのです。 他人が何といおうと左右されない。この理想をブッダはずっと追い求めてきたというのです。」 と解説されています。 更に中村先生は 「ブッダは最後においても、歩むべき真実の道を実践的に説いたのであって、形而上学的ななにか特殊な仏教という教えを説いたのではありませんでした。 この説法を聞いて、スバッグはブッダに帰依し最後の弟子となるのです。」と記されています。 今日でも、仏教は宗教というよりも深淵な哲学だと言われることがあります。 確かに、今日の最先端の科学にも背くことのない深い哲理が説かれています。 しかし、単なる科学的理論ではありません。 あくまでもこの世を生きる、善を求めてよく生きる道なのであります。 それが具体的には、八正道のことなのであります。 しかもその道というのは、ブッダが独自に作り出したものではないというのです。 ブッダは次のように語っておられます。 増谷文雄先生の『仏教百話』から引用します。 「わたしも、また、過去の正覚者たちのたどった古道を発見したのである。 では、比丘たちよ、過去の正覚者たちのたどった古道とは、なんであろうか。 それは、かの聖なる八支の道のことである。 すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の八つの正道がそれである。 比丘たちよ、わたしは、その道にしたがって進んでゆき、やがて、 老死を知り、老死のよってきたるところを知った。 また、いかにして老死を克服すべきかを知り、 老死の克服を実現すべき道を知ることをえたのである。 比丘たちよ、わたしは、それらのことを知ることをえて、それを、比丘、比丘尼、ならびに、 在家の人々に教えた。 かくして、この道は、多くの人々によって知られ、さかえ、ひろまって、今日にいたったのである。」 と説かれています。 ブッダ自身が「過去の正覚者たちのたどった古道を発見した」と仰せになっているのです。 自分で新たな道を作りだしたというのではなく、いにしえの仏達が歩まれた道が、誰も顧みられなくなっていたのを、見出したのだということです。 人間として歩む正しい道は、昔も今も変わることはありません。 いにしえから伝えられてきた道を自覚して、その道を歩むことこそ、今の時代においても確かなことです。 今の時代においてもいにしえより伝えられた道をしっかり学び身につけることが大切なのであります。     臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

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第733回「不生の仏心とは」

修行道場や居士林で今までいろんな禅の書物を講義してきました。 やはり『無門関』は短いものなので、何度か講義してきました。 それから『碧巌録』という浩瀚な書物もすべて講義しました。 『碧巌録』は、雪竇禅師が百則の公案に頌をつけたもので、その公案と頌に対して著語や評唱をつけたのが圜悟禅師であります。 『碧巌録』の講義にあたって、圜悟禅師のお師匠さまである五祖法演禅師の語録を勉強して講義をしました。 こうして宋の時代の禅を学んだのでありました。 それから次に『臨済録』を講義しようと思いました。 『臨済録』の前に、まず臨済禅師のお師匠さまである黄檗禅師の語録を学んでおこうと思いました。 そうして黄檗禅師の『伝心法要』を一通り学んで講義したのでした。 そこで、黄檗禅師の教えを学ぶと、今までの宋の時代の禅僧たちの教えとは大いに趣が異なるのであります。 この教えは、何かに通じるなと思いました。 何だろうかと考えると思い当たったのが、日本の江戸時代の禅僧盤珪禅師なのでありました。 実に盤珪禅師の教えは、中国唐代の禅僧たちの説かれたところと相通じるのであります。 そうして、『伝心法要』を講義したあとに、修行道場では『臨済録』を、居士林では『盤珪禅師語録』を講義するようになっていったのでした。 かくして『盤珪禅師語録』の講義は、コロナ禍中となって、このYouTubeで講義するようになり、YouTubeで講義したものが、春秋社から『盤珪語録を読む』という書籍になったのでした。 その『伝心法要』に次の言葉がございます。 こちらは、原文を省略させていただいて、筑摩書房『禅の語録 8 伝心法要・宛陵録』から入矢義高先生の現代語訳を引用させてもらいます。 「修行者たちが仏になろうと思うならば、一切の仏法なるものは学ぶ必要は全くない。 学ぶべきことは、求めることなく、著われることのない在り方だけである。 求めることがなければ心は生起せず、著われることがなければ心は消滅せぬ。 その不生不滅こそが仏にほかならぬ。」 と説かれています。 この不生不滅こそが仏、即ち盤珪禅師は仏心と説かれたのでした。 盤珪禅師は、 「人々皆おやのうみ附てたもったは、仏心ひとつでござる。 其仏心は不生にして、霊明なものに極りました。 不生な物なれば、不滅なものとはいふに及ばぬゆへに、身どもは不滅とも申さぬ。 仏心は不生なが仏心で、一切事は不生の仏心で調ひまするわひの。」 生じないのですから、滅するということはあり得ないので、盤珪禅師は不滅ということはいわなくてもいいと仰せになっているのです。 不生の仏心のままで暮らしなさいと盤珪禅師は、説かれたのですが、これが黄檗禅師の仰る「求めることなく、著われることのない在り方だけ」ということになります。 更に『伝心法要』には、この不生の仏心が詳しく説かれています。 こちらも入谷先生の現代語訳を参照します。 「この心に具わる霊覚の本性は、初めなき永劫の昔から虚空と同じ齢を保ちつつ、生まれたこともなく、滅びたこともなく、存在としてあることもなく、非存在としても規定されず、汚れもせず、清浄ともならず、音を響かせもせず、静まりかえりもせず、若くもなければ年も取らず、方向もなく位置もなく、内もなく外もなく、計量すべくもなく、また形貌をいうべくもなく、色もなければ音もなく、探し当てようもなく尋ねようもなく、知的な認識では役に立たず、言葉による定着もできず、対象として把えられもせず、こちらからの働きかけも届かない。 もろもろの仏とボサツと、そして一切の生きとし生けるものとは、みなともにこの偉大なる悟り=ネハンの本性を共有している。 その本性こそは心にほかならず、その心は仏にほかならず、その仏は法にほかならぬ。 ただの一念でも真実の法を外れれば、一切は妄想となる。 といっても、ある設定された心でもってさらに心を求めてはならぬし、ある設定された仏を手がかりにしてさらに仏を求めてはならぬし、また、ある設定された法を足場にしてさらに法を求めてはならない。 だから、真の修道者は、ずばりそのままに無心となって、体で合一するだけである。 もし、そこにチラリとでも心の志向が働けば、そのとたんに的はずれである。」 というのであります。 まさしく盤珪禅師が 「心上に心を生じ、不生にならうとするは、誤なり。」と仰せの通りなのです。 また盤珪禅師が、「うすひき歌」で 「不生不滅のこの心なれば 地水火風はかりの宿 生まれ来たりしいにしえ問えば 何も思わぬこの心 来たる如くに心を持てば じきにこの身が生如来 よきもあしきも思いしことは おのがこの身のある故ぞ」 と詠っておられる通りであります。 この辺の消息を『伝心法要』では、 「およそ人が命の終ろうとする時には、おのが肉体を構成する五蘊はみな実体なきものであり、四大には自我はなく、ただ本源の真心のみは姿かたちをもたずに、去ることも来ることもなく、わが身が生まれた時にそのもの自体が宿り来たったのでもなく、わが命果てる時にそのもの自体が離れ去るのでもないと諦観すれば、その人の境地は円かな静寂のなかに安らいで、心と境とは一つになるであろう。」と 説かれています。 この身は、地水火風という四つの元素が集まった仮の宿にすぎず、その大本に、生じることも滅することもない仏心が変わらずにあり続けているというのであります。 盤珪禅師は、唐代の禅僧たちの語録を学んで、このように説法されたのではなく、ただひたすら坐禅修行して「一切は不生で調う」と気がついて、その体験から自在に独自の言葉で説法されたのでした。 その説法が期せずして唐代の禅僧達の説かれたところと一致しているのであります。     臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺