第735回「いかによく生きるか – 善を求めて –」

先日、致知出版社の藤尾社長に久しぶりにお目にかかりました。

致知出版社からは、私も何冊か書籍を出させてもらっています。

ただいまも『臨済録に学ぶ』を作ってもらっているところです。

この本は、今月末にはできあがります。

社長といろんな話をしていて、コロナ禍の間の話題になりました。

社長は、コロナ禍中に大病をなされたことに触れられました。

手術の時に、ブッダの言葉を思ったというのが印象的でありました。

ブッダが「自分は善を求めて出家して五十年になった、ただこの道を歩んできた」と仰った言葉を思ったというのです。

致知出版社で出している月刊誌『致知』が今年創刊四十五周年となりますので、社長はこの『致知』を創刊して四十五年、ひたすらこの一道を歩んできたという思いを、ブッダの言葉に重ね合わせたのだと思いました。

社長のひたむきな思いが伝わってきたのでした。

このブッダの言葉は、

「「スバッダよ。わたしは二十九歳で、何かしら善を求めて出家した。 スバッダよ。わたしは出家してから五十年余となった。

正理と法の領域のみを歩んで来た。これ以外には〈道の人〉なるものも存在しない」というものです。

これは『ブッダ伝 生涯と思想』(角川ソフィア文庫)にある中村元先生の訳であります。

この言葉に、ブッダの人となりを感じることができるのであります。

これはブッダが、クシナガラの村で、二本の沙羅樹の間に横たわっておられた時のことです。

スバッダという遍歴行者がブッダにお目にかかりたいとやってきたのでした。

もはや涅槃に入ろうかというブッダに、会わせることはかなわないと、おそばに仕えていたアーナンダは、スバッダに断りました。

ブッダは疲労しておられるので、悩ませてはなりませんと告げたのでした。

しかし押し問答は三回続きました。

スバッダは三度会わせろといいはりますが、アーナンダは、ブッダは臨終の床で衰弱しきっているから無理だと、三遍ともことわったのでした。

それでも引き下がる気配もなく、アーナンダは困りはてていました。

しかし、瀕死の重病人であるブッダが、この様子を聞いていたのでした。

そしてなんと、ブッダは、彼に会おうといったのでした。

ブッダはアーナンダにこう言いました。

「やめなさい、アーナンダよ。

遍歴行者スバッダを拒絶するな。

スバッダが修行をつづけて来た者に会えるようにしてやれ。

スバッダがわたしにたずねようと欲することは、何でもすべて、知ろうと欲してたずねるのであって、わたしを悩まそうと欲してたずねるのではないであろう。

かれがわたしにたずねたことは、わたしは何でも説明するであろう。

かれはそれを速やかに理解するであろう」と。

以下、『ブッダ伝 生涯と思想』から引用させてもらいます。

「ところがスバッダは、当時の有名な哲人たちの所説をあげて、それに対するブッダの評価をたずねるのです。

ブッダはそんなむだな論議はよしなさいとさとします。

「やめなさい。 スバッダよ。〈かれらはすべて自分の智をもって知ったのですか? あるいは、かれらはすべて知っていないのですか?

そのうちの或る人々は知っていて、或る人々は知らないのですか?〉ということは、ほっておけ。 スバッダよ。 わたしはあなたに理法を説くことにしよう。 それを聞きなさい。 よく注意なさいよ。 わたしは説くことにしよう」(『マハーパリニッバーナ・スッタンタ』)

ブッダはスバッダの形而上学的な質問には答えずに、真理(ダルマ)に従って生きる心がまえを説くのでした。

「スバッダよ。わたしは二十九歳で、何かしら善を求めて出家した。 スバッダよ。わたしは出家してから五十年余となった。
正理と法の領域のみを歩んで来た。これ以外には〈道の人〉なるものも存在しない」(『マハーパリニッバーナ・スッタンタ』)」

というのであります。

中村先生は、

「ここで注目されるのは、ブッダは「善を求めて」出家したのであり、善でも悪でもない「さとり」を求めて出家したのではないということです。

「いかによく生きるか」が最大の関心事だったのではないかと思われます。

他人のことはいざしらず、自分はひたすら正しい道理・真理(ダルマ)を求めて修行につとめ励んできた。

この理法にかなったやり方で、自分はわが歩むべき道を歩むだけだ。というのです。

他人が何といおうと左右されない。この理想をブッダはずっと追い求めてきたというのです。」

と解説されています。

更に中村先生は

「ブッダは最後においても、歩むべき真実の道を実践的に説いたのであって、形而上学的ななにか特殊な仏教という教えを説いたのではありませんでした。

この説法を聞いて、スバッグはブッダに帰依し最後の弟子となるのです。」と記されています。

今日でも、仏教は宗教というよりも深淵な哲学だと言われることがあります。

確かに、今日の最先端の科学にも背くことのない深い哲理が説かれています。

しかし、単なる科学的理論ではありません。

あくまでもこの世を生きる、善を求めてよく生きる道なのであります。

それが具体的には、八正道のことなのであります。

しかもその道というのは、ブッダが独自に作り出したものではないというのです。

ブッダは次のように語っておられます。

増谷文雄先生の『仏教百話』から引用します。

「わたしも、また、過去の正覚者たちのたどった古道を発見したのである。

では、比丘たちよ、過去の正覚者たちのたどった古道とは、なんであろうか。

それは、かの聖なる八支の道のことである。

すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の八つの正道がそれである。

比丘たちよ、わたしは、その道にしたがって進んでゆき、やがて、 老死を知り、老死のよってきたるところを知った。

また、いかにして老死を克服すべきかを知り、 老死の克服を実現すべき道を知ることをえたのである。

比丘たちよ、わたしは、それらのことを知ることをえて、それを、比丘、比丘尼、ならびに、 在家の人々に教えた。

かくして、この道は、多くの人々によって知られ、さかえ、ひろまって、今日にいたったのである。」

と説かれています。

ブッダ自身が「過去の正覚者たちのたどった古道を発見した」と仰せになっているのです。

自分で新たな道を作りだしたというのではなく、いにしえの仏達が歩まれた道が、誰も顧みられなくなっていたのを、見出したのだということです。

人間として歩む正しい道は、昔も今も変わることはありません。

いにしえから伝えられてきた道を自覚して、その道を歩むことこそ、今の時代においても確かなことです。

今の時代においてもいにしえより伝えられた道をしっかり学び身につけることが大切なのであります。
 
 
臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

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