量産型

こんにちは。ricoです。

人とおんなじであることになぜかしら抵抗感を覚えます。


例えば。
いわゆる「量産型」ファッションを自分が身にまとっていることが苦手です。似たようなヘアスタイル、髪色、メイクの仕方も。

一方で、雑誌やInstagramに掲載されているコーディネートをまねたり、流行のファッションをしたりしている人に対しては特に嫌な感情は覚えません。

それでも、自分がそれを身に着けるかというと、あまり好ましく思えなくなっている。なんでだろう。


「その考えめちゃくちゃ面白い」

が私の人に対する最大の褒め言葉であるように最近思います。
ここには、
「私にはその発想はなかった。あなたの物事に対するその見方、考え方が私にとって新しく、私の心をより豊かにしてくれた。その感覚がすごい楽しい。ありがとう。」
の意が含まれているのかな、と感じます。

「人と違うことをする。人と違うように生きる。」これを務めてやればいいという問題ではない。
 人があらゆる人々、もの・こと、と触れ合いながら、ひろげ、磨いていく感性を通して、人と違う、独自のあなた、わたし。そこに人間の本質に近いものを感じるのです。

「量産型」ファッションは、私の中で、考えることを放棄した受容の個性だという風に捉えているのかもしれない。これにもいろいろな見方がおそらくできる。世間にありふれた「お手本」から自分の感性を使って選び抜いたあるひとつの自分の好みのファッションだから、「量産型」ではないという人もいるだろう。
「独自」なファッションなんてない、という主張もできる。店舗で売られている服はすべてデザイナーによるもの。それを購入して着ているのであれば、独自でなく「受け売り」でしかない、とも言えそうだ。

量産型が苦手な私も、量産型がいい時もあるし、自分があまりにも浮くような恰好はできない。みんなと違うということにストレスを覚える時もある。

まだ「量産型」に対する苦手意識の根本が分からないから、とりあえずは自分の好きをもうちょっと追及してみるか。


rico


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