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#ネタバレ 映画「花のあと」

「花のあと」
2009年作品
人生の節目には立会人が必要である
2010/3/15 18:02 by さくらんぼ(修正あり)

( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。)

お花見とは「桜が花を満開にし、静かに散って、本懐を遂げるのを見届ける儀式」だったのですね。そして「花見客とは儀式の立会人」なのです。花ですら、生まれた以上には夢があり、その本懐を遂げたいと思うのなら、人には、なおの事ですね。

女に生まれたために父を哀しませた以登。父の悔しさのために剣術を習わせられ、女なのに剣術使いの評判が立ってしまった以登。こうして異端児!?になってしまった彼女が、川面に突き出た桜の枝に自身を投影して眺めていたのは、ちょっぴり哀しいシーンでした。しかし彼女の本懐が結婚にしろ、もう剣術を抜きにしては語れない。

彼女が恋をした孫四郎のあだ討ち(剣術)に、もっとも相応しい立会人は、やはり総てを理解している許婚なのでしょう。こうして舞台が整いました。許婚は以登の「一度試合をしただけ…」という言葉で総てを見抜きました。

お互いに一目ぼれした二人が剣術の試合をすれば、相手とどれほど大きな心的交流が生まれるかは、男同士が殴り合いの喧嘩をした後に、親友になってしまう事があることからも容易に想像できます。男女間であれば、気持ちの上ではHをしたに匹敵するのではないでしょうか。

このあだ討ちに許婚が立会人となれば、以登にとっては、一番苦しい事柄を分かち合えた人が夫になるわけですので、これは、とても幸せなことだと思います。

それに対して立会人の無い、内緒話は恐ろしい。そう肝に命ずることにしました。その視点から言えば、国民を立会人にしてのオープンな事業仕分けは良いことだったのでしょうね。

最後は泣かせてくれました。この涙は何かと考えたら、温かな立会人のいる彼女の幸せを見ての涙でした。幸せの、おすそ分けを頂いた気分です。

★★★★☆

追記  
2010/3/16 8:44 by さくらんぼ

>彼女が恋をした孫四郎のあだ討ち(剣術)に、もっとも相応しい立会人は、やはり総てを理解している許婚なのでしょう。こうして舞台が整いました。許婚は以登の「一度試合をしただけ…」という言葉で総てを見抜きました。

あだ討ちの後、許婚は10日間ほど以登の前から消えました。以登をしばらく1人にしておこうと思ったのですね。そのとき許婚は花見客(立会人の象徴)を務めていました。つまり、以登から離れていても、ちゃんと以登を想っていたのでした。あの男なかなかデリカシーがあるようです。酒屋の娘にも好かれている理由が分かりました。

追記Ⅱ 
2010/3/16 17:42 by さくらんぼ

冒頭、花見が桜の本懐を描くシーンだとすれば、クライマックスで、あだ討ちをするシーンは、以登の本懐を描いたシーンですね。どうやら以登は桜と符合して描かれていたようです。

「もうすぐ○の刻となるから、人が出てくるので、早く帰ったほうが良い」などと言うセリフが両方にありましたし、以登が切られて白い衣装に血が滲むのは、桜色の暗喩であったのかもしれませんから。

追記Ⅲ:人生は欲張ってはダメよ! 
2010/3/16 21:21 by さくらんぼ

ここまで書いてきて、さらに考えのフォーカスが合ってきた気がします。私はこの映画の主題を「人生の節目には立会人が必要である」と書きましたが、文章を読んでもらうと分かるように、なぜか「本懐」と言う単語の数が多いのです。

今の正直な気持ちでは、この映画の主題は「本懐とは一つの夢を叶えることである」の様な気がします。

以登の父は娘に男の能力を望みました。以登も女扱いされないことを望みました。冒頭の着物を着た以登のお辞儀のしかたは女形ではない気がします。孫四郎、不倫の男女、父の友達の医者なども複数の本懐に悩んだエピソードが語られていました。

そしてラストの以登は、男の刀ではなく、守り刀という女の刀で宿敵の止めをさしたのでした。あれは以登が女を選択したという記号なのでしょう。あの後、彼女は乙女として許婚の元へ嫁いでいきました。

桜は、一つの願いだけに咲き、散っていくから美しいのでしょう。「人生は欲張ってはだめよ!」。これは、あるフランス映画の中のセリフです。意訳されたみたいなこのセリフを主題に拝借しても良いかも知れません。そうすると、どこか「山桜」にも似たテーマですね。

追記Ⅳ ( 映画「こいのわ 婚活クルージング」を観て ) 
2017/11/24 10:22 by さくらんぼ

「 … 激しく竹刀を打ち合いながら、以登の胸を焦がしていたものは、生まれて初めて感じる熱い恋心であった。だが、それは決してかなうことのない恋。

以登には家の定めた片桐才助(甲本雅裕)という風采の上がらぬ許婚がいたのだ。意に沿わぬ人と結ばれゆく自分の運命に抗うことなく、以登は静かに孫四郎への想いを断ち切り、江戸に留学している才助の帰りを待ち続けるのだった……。」

( 「キネマ旬報データベース」あらすじ より抜粋  )

映画「こいのわ 婚活クルージング」を観て、この映画「花のあと」を思いだしました。

映画「花のあと」のヒロイン・以登にとって、許嫁の第一印象は、あまりにダサすぎる「意に沿わぬ人」でしたが、後に、人望も厚く、繊細な心づかいができる紳士、「宝石だった」と分かるのです。「学問を身につけた寅さん」みたいな。だから男も惚れてしまう。

もちろん「第一印象は本質を語っている」事がありますから、大切にしなくてはなりませんが、何にでも例外はあるもの。何につけ人を見る目は大切です。

追記Ⅴ ( 人生の節目には立会人が必要である ) 
2020/4/3 9:56 by さくらんぼ

>映画「花のあと」のヒロイン・以登にとって、許嫁の第一印象は、あまりにダサすぎる「意に沿わぬ人」でしたが、後に、人望も厚く、繊細な心づかいができる紳士、「宝石だった」と分かるのです。「学問を身につけた寅さん」みたいな。だから男も惚れてしまう。(追記Ⅳより)

毎朝、ブログ書き前には、必ず体操をしています。

ジャージのパンツは、この時期、普通のものと防寒用のものを用意しています。

4月の微妙な陽気の中、どっちを履こうか理性では悩むところ。でも、「少々の寒さに負けるな、よし、普通のやつ」と決心して履きました。

履いた瞬間「暖かい」と嬉しくなりましたが、見ると防寒用のものを履いているではありませんか。

記憶を巻き戻してみると、履く瞬間、何か別の事が一瞬脳裏をよぎり、理性が途切れ、感情で防寒用のものを選んだのでした。

判断とは難しいものです。

追記Ⅵ ( 解放されるための旅 ) 
2020/11/25 9:17 by さくらんぼ

>以登の父は娘に男の能力を望みました。以登も女扱いされないことを望みました。冒頭の着物を着た以登のお辞儀のしかたは女形ではない気がします。…。

>そしてラストの以登は、男の刀ではなく、守り刀という女の刀で宿敵の止めをさしたのでした。あれは以登が女を選択したという記号なのでしょう。あの後、彼女は乙女として許婚の元へ嫁いでいきました。(追記Ⅲより)

さらに以登は、剣の達人・孫四郎と勝負し、負けた後にも、「あなただけは女の私に手加減せず、本気で相手をしてくれました」と、感謝の言葉も言いました。

先日TV放送されていたので観なおして、この映画「花のあと」は男女平等問題について語っていたように思いました。

ヒロイン・以登(北川景子さん)は、女に生まれたため、ガッカリした父から無自覚に「いらん子」扱いされたわけです。いわば男女差別という宿命を背負って誕生したのです。

それが哀しくて、悔しくて、「ならば男になろう」と、当時の男らしさの象徴である剣術に励んだわけです。

そして自分より強い、剣の達人である孫四郎(宮尾 俊太郎さん)にも、恋に落ちた。

しかし、孫四郎は剣の達人だったかもしれませんし、紳士だったかもしれませんが、上司の陰謀により潰されてしまうのです。そして自害した。

大変気のどくな事ですから、このような事を言うのは哀しく、本当は言いたくないのですが、解釈の必要上言えば、孫四郎は腕っぷしは強かったが、頭はそれほどでもなかったし、メンタルも弱かったのです。

つまり、本物の男を目指す以登にとっては、無意識に「尊敬」という文字に疑問符がついたのです。

この作品は以登の目を通しての「本物の男探しの旅」でもありました。

そんな中、脇から出てきたのが、寅さんみたいな許婚・才助(甲本雅裕さん)でした。

最初は落胆し軽蔑した以登。

しかし、その後の以登は、剣術の腕は劣るかもしれませんが、明るく、大きく、それでいて知的な才助を、男だとか、女だとかという枠を超えた真の大物だったと気づくのです。

そして、やっと以登は、女でいることが、素直な自分自身でいることが、出来るようになったのです。それは男に対する誤ったコンプレックスからの解放であり、真の大人(たいじん)は性差を超えた存在だと悟ったからでしょう。

追記Ⅶ 2022.4.13 ( お借りした画像について )

「迷い」をキーワードとしたご縁でした。無加工です。ありがとうございました。



( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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