#ネタバレ 映画「万引き家族」
「万引き家族」
2018年作品
何を削っている?
秘め事の共犯関係
2018/5/21 8:39 by さくらんぼ
( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )
「パルムドール」受賞おめでとうございます。
映画「万引き家族」、まだ観ていませんので、内容も主題も知りませんが、公開を待つ間、少し推理してみます。
私はタイトルから、「アウトロー」という言葉を連想しました。
そして「アウトロー」と言えば、現在公開中の映画「孤狼の血」も思いだします。
昔から、「H」をすると関係が深まるのは、「秘め事の共犯関係」になるからだとも言われているようです。
同様に、「同じ組織に属するアウトローな人たち」も、関係が深まるのではないでしょうか。
先日観たものに、ケータイばかり見て、リアルな人間関係が希薄な人たちが登場する映画がありましたが、この映画「万引き家族」は、もしかしたら、その対極を描いたのかもしれませんね。映画「孤狼の血」のような。
追記 ( 老婆心ながら )
2018/6/8 16:09 by さくらんぼ
「 映画は時代を映す鏡とか申しますが、当時の様なフリーター全盛期は、つまり正社員になることはそんなに難しくないのに、あえてフリーター生活を『気楽だから!』という理由で選択している人が多かった時代は、いつのまにか夢の様に過ぎ去ってしまいましたね。
あの浮かれていた当時に『組織に属さない生き方のリスク』を語るべく『誰も知らない子供たち』の姿を借りて描いたタイムリーな作品がこれでした。
実在の事件は、一部をモチーフとして拝借しただけで、映画の主題は子捨ての非難ではなかったのです。だから母は悪役に描かれていません。」
( 映画「誰も知らない」 さくらんぼ のレビュー 追記Ⅲより )
ここで言うフリーターは、ご承知のとおり、フリーランス・アルバイターの事です。
この映画「誰も知らない」を教材にして、「子捨ての親」について議論するのは、注意が必要だと思います。理由は、すでに述べたとおり、映画「誰も知らない」の主題が、おそらく、そこにはないからですね。
実在の事件をモチーフにしたと言われるこの作品。当時、無意識に観客が期待したのは、「子捨ての親」に対する非難だったと思います。しかし、映画はそれを中心に置かず、観客の中には困惑した人も少なくありませんでした。
しかし映画とは無関係に、くむべき事情があったにせよ、「子捨て」が悪いことに変わりはありません。
同様に、映画「万引き家族」も、(まだ観ていませんが)同じ監督であることを考えると、おそらく「万引き」を非難してはいないのでしょう。主題は別にあるのだと思います。だから、この映画で「万引き」について議論するには注意が必要です。
そして映画とは無関係に、何か事情があったにせよ「万引き」は悪いことです。
私は、その原則を意識しつつ、出来ることなら、事件の裏にある哀しい現実に、思いを巡らしたいのです。
追記Ⅱ ( 「レ・ミゼラブル」 )
2018/7/4 17:22 by さくらんぼ
映画「万引き家族」を本日観ることができました。
この映画は「レ・ミゼラブル」へのオマージュの可能性を感じます。
息子の祥太がジャン、虐待されていた少女がコゼット、駄菓子屋のオヤジが司祭、オヤジは万引きをして見つかった翔太に、説教をして、銀の燭台(スティックのジュース2本!?)をくれましたね。
その他にも「レ・ミゼラブル」の主な要素は、分解され、パーツとして、あちこちに散りばめられているような気がしました。
ちなみに「レ・ミゼラブル」では、ジャンがコゼットを迎えにくる名シーンがありましたが、映画「万引き家族」のラストもそうですね。
少女がアパートから閉めだされて一人遊んでします。そして、なにげに壁の隙間から外を覗き、「あっ…」で映画は終わるのですが、少女が見つけたのは翔太でしょう。「レ・ミゼラブル」を持ちださなくとも、ビー玉という伏線でも語られていますが。
翔太は少女の救世主になるのです。
これから彼は、ときどき養護施設を抜けだし、少女の元へ遊びに来ます。そして虐待の傷を見つけたら、養護施設へ連れて帰り、過去からの虐待を職員に通報するのでしょう。
そして二人は、仲良く養護施設で暮らすのです。
義理の兄妹として、そして、いつかは恋が芽生え…。
追記Ⅲ ( 二つの地獄 )
2018/7/4 18:52 by さくらんぼ
少女が虐待されていたのなら、翔太もまた、万引きという精神的虐待をされていました。
「働かざる者食うべからず」とか申しますが、翔太は「生活費の請求」という理由で、万引きをさせられていたのでしょう。
一方、少女は「服を買いに行こう」と母から誘われます。でも服を買った後、母は少女に代金を請求し、少女が「無い」と言うと、「悪い子だ」と虐待されていたのかもしれません。
だから少女は、「お金を持っていない私にも、服を買ってくれる、良いお母さんだ」と思っていた可能性もあります。
万引き家族も、少女の親も、同じく悪だと、監督は描いていたのでしょう。
銀の燭台で目覚めた翔太は、少女を連れ、事実上、その地獄からの逃亡を図ったのだと思います。
追記Ⅳ ( 訂正 ) ネタバレ
2018/7/4 21:43 by さくらんぼ
文中の「翔太」は「祥太」の誤りでした。訂正してお詫びします。
追記Ⅴ ( 監督の話 )
2018/7/4 22:20 by さくらんぼ
よく見ると、祥太は「押し入れ」の人です。
部屋は心の記号ですから、他のメンバーとは「違う」ことの記号(伏線)だったのかもしれません。
でも、普通に観ていると、あの家族はとても居心地が良さそう。一家のリーダーである父が、柔和で大らかな人であることが、影響していると思います。
でも、それが隠れ蓑になって、悪を分かりにくくしているのが、この映画なのかもしれませんね。
「 僕は意図的に長い文章を書いています。これは冗談で言っていたんだけど、ツイッターを140字以内ではなく、140字以上でないと送信出来なくすればいいんじゃないか(笑)… だって、世の中分かりやすくないよね。分かりやすく語ることが重要ではない。むしろ、一見分かりやすいことが実は分かりにくいんだ、ということを伝えていかねばならない。僕はそう思っています。」
( 2018.6.25朝日新聞(朝)13面 文化・文芸 「世の中は 分かりやすくない・『万引き家族』でカンヌ最高賞 是枝裕和監督インタビュー・『犯罪者と自分は違う』感覚広がる社会は危険 より抜粋 )
追記Ⅵ ( 洗脳 )
2018/7/4 22:29 by さくらんぼ
祥太の言葉「学校って、家で勉強できない人が、行くところじゃないの?」。
少女の言葉「お母さんは良い人だよ。だって、お洋服を買ってくれるから」。
追記Ⅶ ( 秘め事の共犯関係 )
2018/7/4 22:42 by さくらんぼ
「万引き家族」のチラシを見てください。
さりげなくビー玉が(置かれて)います。
ビー玉は、美しき魂の記号でしょうか。
少年から、少女へ贈られた。
追記Ⅷ ( 看板娘 )
2018/7/5 8:02 by さくらんぼ
なにか罪を犯したとき、「世の中のせいだ」と言うのは、あまり格好の良い言い訳ではありませんが、「レ・ミゼラブル」にも「厳しすぎる法律」が出てきました。
この映画「万引き家族」はどうでしょうか。ここには正論をかざす警察が出てきましたね。
さらに映画の冒頭、①スーパーで万引きをした二人が、帰り道に、②愛想の良いおばちゃんが店番をしている個人商店で、コロッケを買うエピソード。
これらは象徴的なものとして登場したのでしょう。
後半になると、もう少しハッキリしてきます。
①には刑事のように万引き犯を追いつめる二人の若い店員がいて、②には「レ・ミゼラブル」の司祭のような駄菓子屋のオヤジがいたのです。
つまり、①は寒々とした少女の家であり、②は万引き家族のような(あたたかい!?)家の記号なのでしょう。
いたるところで、今の世の中は、②→①へと流れているようです。あっ、劇中の風俗店は②でしょうか。
( この文章は、警察やスーパーの万引き対策を非難したものではありません。あくまでも、この映画の解釈です。)
追記Ⅸ ( 母の名シーン )
2018/7/5 8:23 by さくらんぼ
警察に捕まった母が、取り調べを受けるシーン。
カオスのような思いがある母に、いちいち、もっともな、シンプルな正論を語る警察。
その正論に反論するとどうなるのか。
3手先ぐらいまで読んだあげく、結局何も言えなくて、とめどなく涙を流す母。
なにか既視感がると思ったら、ブログで本音を書いた時、正論による反論があるのを、知った時の気持ちに似ていると。
追記Ⅹ ( ある意味ホラー )
2018/7/5 8:36 by さくらんぼ
この映画、シナリオがよく推敲されていると思いました。
そして落語にも出来そうな、人情話であるのも良い。
どこかに「人をダメにするイス」と言うものがありましたが、もし世捨て人になり、この家族に拾われたら、いっしょに堕ちて行くのも、悪くないかな…。
そんな気持ちにさせるところが、怖いけれど、そこも好きです。
★★★★★
追記11 ( 少女の痛み )
2018/7/5 17:23 by さくらんぼ
一番刺さったシーンは、母(安藤サクラさん)が、クリーニング会社?の仕事でアイロン火傷をした傷跡を見て、自分の傷跡(虐待の跡)と同じだと思った少女が、優しくなで続けるところです。
「もう治ってるよ」と言っても、やめませんでした。
これで、母のスイッチが入ったのですね。
するとラスト、母が一人で罪をかぶったのも、理解できます。
あれは、「私の娘よ」という、精一杯の宣言なのでしょう。
「 体の傷なら なおせるけれど
心の痛手は 癒せはしない 」
( 「時の過ぎゆくままに」 阿久 悠 作詞 より抜粋 )
追記12 ( 少女を救え )
2018/7/5 22:11 by さくらんぼ
ラスト近く、祥太がスーパーで万引きするシーンを回想してみます。
みかん一袋を万引きする手口が、それまで何回も描かれてきた、プロフェッショナルで、緻密な方法とは違い、いかにも乱暴で幼稚なものでした。
さらには、係員が横にいるのに、陳列されていた缶詰めを、わざと崩して、「あっ!」と大声を上げたり。
あれは、近くで「万引きしそうな気配」を漂わせていた少女を、かばうためなのだと思います。そして後に、「わざと捕まった」と言ったように、すべてを終わらせても良いと思っていたのでしょう。少女を救うためなら。
追記13 ( 変身しなければ生きられない )
2018/7/6 9:42 by さくらんぼ
祥太と少女は、万引きをする時、指をくるくる回してから胸を叩く、おまじないのような仕草をします。
あれはなんでしょうか。
私は、「変身して別人になるための儀式」なのだと思いました。
良心が痛むから、素の自分のままでは、万引きをしたくないので、その瞬間だけでも、別人格になって生きようとしているのです。
ひどい虐待を受けると、子どもは別人格をこしらえて、そこへ現実逃避することがあると言います。そこから、いわゆる多重人格になることも。
駄菓子屋のオヤジは、その深刻を理解せず、おまじないを見て、「遊びの万引き」だと思ったようですが。
「 主人公の少年が弁護士の所へ行く。そこで弁護士の口から少年があの男によって幼い頃に家庭内暴力を受けていた事を知る。しかし少年にはその記憶が無い。
家庭内暴力を受けた本人にその記憶が無いのはとても深刻な事だ。心の奥深くトラウマとなってその傷が今でもうづき続けている可能性がある。本人はなぜ自分が苦しむのか分からない。逃げ場のない苦しみの中で一人もがき苦しむ事になるのである。」
( 映画「青の炎」byさくらんぼ より抜粋 )
追記14 ( 狭いところ 広いところ )
2018/7/7 11:10 by さくらんぼ
>よく見ると、祥太は「押し入れ」の人です。
>部屋は心の記号ですから、他のメンバーとは「違う」ことの記号(伏線)だったのかもしれません。(追記Ⅴより)
>少女がアパートから閉めだされて一人遊んでします。(追記Ⅱより)
>一番刺さったシーンは、母(安藤サクラさん)が、クリーニング会社?の仕事でアイロン火傷をした傷跡を見て、自分の傷跡(虐待の跡)と同じだと思った少女が、優しくなで続けるところです。(追記11より)
母の話では、祥太は幼子の頃、放置車両への「捨て子」だったようですから、どこかに、その時の記憶が残っているのでしょうね。
今でも別の放置車両を秘密基地にしていますし、「押し入れ」にも積極的に入ったのでしょう。一人だけ狭い場所に居ても、これは虐待ではないと思います。狭い空間に郷愁を感じたというか。
ところで、少女はアパートから閉めだされて廊下にいます。寒い日でも。少女には部屋さえも与えられなかったのです。
これは「いらない子」の記号でしょう。広い空間にいても、これは虐待だと思います。両親から「いらない」扱いをされた子どもの心には、深く傷が刻まれ、ある説では、成長しても、顔つきや体形に、その影響を残しているとさえ言われています。
そして、この二つのエピソードは、どこか「アイロン火傷」の話を連想させます。
追記15 ( 主役は )
2018/7/7 11:38 by さくらんぼ
>いたるところで、今の世の中は、②→①へと流れているようです。あっ、劇中の風俗店は②でしょうか。(追記Ⅷより)
「レ・ミゼラブル」を思いだすとき、映画「万引き家族」にあるものも、「悪の中に生まれる善、善の中に生まれる悪」なのでしょう。
複雑な世の中で、「善」がシステム化され、本質を忘れて形骸化した時、油断した私たちは、「善の中に生まれる悪」を見ることになるのかもしれません。
映画のラストで、何かを見つけて驚く少女。
あの「驚き」は、観客である私たち自身でもあったのかもしれません。
追記16 ( 罪をかぶることと、辞退すること )
2018/7/7 21:41 by さくらんぼ
>するとラスト、母が一人で罪をかぶったのも、理解できます。
>あれは、「私の娘よ」という、精一杯の宣言なのでしょう。(追記11より)
映画「万引き家族」、そのシナリオは監督のオリジナルのようです。だから濃い。
文部科学相からの、「監督を文科省に招いて祝意を伝えたい」話を、監督は「公権力とは潔く距離を保つ」として辞退しました。
これを私なりに解釈すると、監督は母と同じ気持ちだったのかもしれません。
つまり、母が「私の娘よ」と、少女に寄りそったように、監督も「私の家族よ」と、「万引き家族」に寄りそったのだと思います。公権力にではなく。
追記17 ( ジャズしてる )
2018/7/8 9:28 by さくらんぼ
ジャズだと思いました。
体制側がクラシックなら、
万引き家族の、あの生きざまはジャズなのです。
そして、時にジャズを向きのスピーカーにある、ザラリとした質感。
その歪もこみで、ジャズの匂い。
だから、万引き家族たちも。
追記18 ( 言葉にならない )
2018/7/8 10:18 by さくらんぼ
風俗店で働く亜紀(松岡茉優さん)のエピソードは象徴的です。
マジックミラーの部屋では、客の顔が見えないし、言葉も交わせません。でも、追加料金なのでしょうか、次の部屋に移動すると、対面して話しができるのです。しかし、客は亜紀の膝枕に一粒の涙を流し、「ああっ!」と、うめき声を上げただけでした。慌てて袖で拭こうとする客、「あ、いいよ」と慰める亜紀。
客はろう者のようです。
でも、その涙とうめき声だけで、彼女は言葉にならない哀しみを理解したようで、その後は、客との関係を超え、本物の恋人同士になりました。
振り返ってみると、万引き家族たちは、肝心なことは、あまりしゃべっていません。ラストの取り調べシーンだけでなく、彼らは、仲間同士でも、多くは言葉ではなく、言葉になる以前のサムシングで伝えあっていたようです。
そして、この映画の観客も、彼らとおなじように、セリフによらないで、理解しなければならなかったのです。
追記19 ( タイムスリップしてきた終戦直後 )
2018/7/9 8:56 by さくらんぼ
先の大戦では、重要書類である戸籍も、一部焼失してしまいました。昨今の災害からも連想できますが、行政も大混乱だったことでしょう。
配偶者を亡くした者や、親を亡くした子、子を亡くした親も、街にあふれていたはずです。
そんな時代を描いた作品には、映画「永遠の0」、映画「砂の器」、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」などがあります。それからタイトルを思いだせません。NHK朝ドラだったかもしれませんが、「道で拾った孤児」を育てることにした、映画「万引き家族」みたいなヒロインもいました。
当時の、食うに困った人たちの中には、万引きをする人もいた可能性もあります。それでなくとも闇市は非合法であり、警察の取り締まりの対象となったぐらいです。
幼いころの山田洋二監督は、闇市で警察に捕まりそうになり、その時、助けてくれた在日らしい恩人をオマージュとして、映画「男はつらいよ」を作ったと言われています(詳細は映画「男はつらいよ」の第一作目に)。
ですから、この映画「万引き家族」に出てくる一家は、今でこそ珍しい形態ですし、「ミュンヘン国際映画祭・外国語映画賞」の受賞理由では、「『万引き家族』は、私たちに新たな可能性と希望を与えてくれた」とまで称賛されていますが、実は、ある意味、昔話でもあるのです。デフォルメされた。
追記20 ( 「ぬくもり」という言葉 )
2018/7/9 9:11 by さくらんぼ
映画のチラシをよく見ると、手と手を重ねていたり、肩に置いていたり、膝に乗せていたり、抱っこしていたり…6人の体が接触して一つになっています。
風俗店での膝枕、アイロン火傷のふれあい、おっぱいと父子の浮輪、そしてHのシーンなど、映画の中にも、それとなく、それは散りばめられていました。
「 なぐさめも 涙もいらないさ
ぬくもりが ほしいだけ
ひとはみな 一人では
生きてゆけない ものだから 」
( 「ふれあい」作詞:山川啓介 より抜粋 )
追記21 ( 花火とそうめん )
2018/7/10 7:16 by さくらんぼ
そして「花火」も、「見るもの」に違いありませんが、同時に「皮膚感覚で感じるもの」なのです。「ド~ン」とゴジラの足音みたいに響き渡る音を。
彼らはそれを、誰も知らない場所から、ほんのり明るく染まる夜空といっしょに、楽しんでいたのでしょう。
これを「音の万引き」と言うのかは、微妙ですが。
「そうめん」もそうですね。ツルツルした触感は、続くHのシーンで、安藤サクラさんの、全身オイルをぬりたくったような、滑らか(そう)なボディと符合しています。
触感フェチの方ならお分かりだと思いますが、あそこでの「そうめん」は、前戯でもあったのです。
( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)
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