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#ネタバレ 映画「永遠の0」

「永遠の0」
2013年作品
その先にアンパンマンが見える
2014/1/15 21:54 by さくらんぼ(修正あり)

( 引用している他の作品も含め、私の映画レビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )

健太郎が合コンにカジュアルな服装で出かけて行き、フォーマルな服装で集まった友人たちから、「おまえ一人のために、俺たちみんなが迷惑する」旨の苦言を浴びせられるシーンがありましたが、あれはキーワードである「連帯責任」をモチーフとした分かりやすいエピソードでした。

宮部は妻子のため生きて帰らねばならぬと、戦場ではひとり逃げ回り、「海軍一の臆病者」との烙印を押されていましたが、やがて連帯責任の呪縛に絡め取られ、そこから一人逃げ回る事の、良心の痛みに憔悴し、自分から特攻へと進んでいったのでした。

しかし、その連帯責任が、残された者たちの一部を、宮部の妻子の保護へと向かわせたのも事実でした。まさに連帯責任で死に、連帯責任で愛したのでした。

どんな時代、どんな国にも、どんな地域、どんな会社、どんな家庭にも、それぞれ、独特の空気(連帯責任の空気)があり、そこに、染まらないで生きる事は、大変な勇気とエネルギーが必要になるのです。昔の歌謡曲ではありませんが「ただ都会の絵の具に染まらないで帰って・・・♪」(太田裕美「木綿のハンカチーフ」)というのは実は大変なんです。

特攻隊の映画などと言うと、好戦的だとか言って批判する声もありますが、特攻隊員が戦争を始めたのではなく、逆に、彼らも、特筆しておくべき悲劇的な戦争被害者なのです。彼らとて、当然に生きていたいはずなのです。しかし、時代の空気が、組織の空気がそれを否定したのです。これは戦争被害者の映画です。

私たちが今日、炭鉱のカナリアのごとく生体センサーとして注意すべきは、探知すべきは、時代の空気なのです。時代の空気が独裁者を生み、政治を、軍隊を動かします。怪物のごとくに(2022年ロシアのウクライナ侵略もそのようですね)

東日本大震災、これは第二の敗戦だといわれています。

復旧、復興を日本中の人たちが願っていますが、例えばガレキの行方を巡っても、いろんな風評被害で、醜聞もありました。でも、絆の本当は、愛だけではなく痛みも分かち合わなければならないのでしょう。

アンパンマンは自分の身体をちぎって飢える人たちに分け与えたのだそうです。その延長線上に映画「永遠の0」を見ました。

宮部の妻が最後にいう言うセリフ「行かないで・・宮部は約束どおり、死んでも帰ってきたんです」にはやられました。

また、そう言わなければ、思わなければ、生きてはいけない妻の哀しみにも・・・。

CGのすごさは映画「トップガン」を思い出させました。ある意味、何か、自粛の呪縛が吹っ切れた感があります。もっとも、それに単純興奮する事の後ろめたさも無くはありませんが、精子は卵子(母なるもの・空母)めがけて全力で突進し、転生すべくDNAにプログラムされているので・・・そんな男子の本懐、本能レベルの興奮を許してほしいと、とりあえず弁解しておきます。

★★★★☆

追記 ( 何かを生かすために ) 
2014/1/28 9:36 by さくらんぼ

> アンパンマンは自分の身体をちぎって飢える人たちに分け与えたのだそうです。その延長線上に映画「永遠の0」を見ました。

このアンパンマンの話ですが、掲示板へUPした後にネット検索してみたら、アンパンマンの原作者である、やなせたかし氏の弟さんは、人間魚雷「回天」の特攻兵だったそうですね。弟さんは戦死しています。知っている方にとっては、何をいまさら、という話でしょうが・・・。

アンパンマンの生まれた背景には、やなせたかし氏自身の兵士としての苦しい体験があったという話は聞いたことがありますが、きっと弟さんへの想いも無関係ではなかったのだと、あらためて思いました。

それから映画「永遠の0」にある最後の特攻シーンの不思議な感動について、JAXAが打ち上げた「はやぶさ」も思い出しました。長い長い旅を終えて地球に帰還した「はやぶさ」は、重要任務のカプセルを地球に向かって放出したのち、バラバラになり、輝く流星になって燃え尽きたのです。その直前に「はやぶさ」が最後に見た地球の写真が涙で滲んだ様にゆがんでいました。

あの突入シーンは多くの日本人の魂をゆさぶりましたね。

だれかが憎いから体当たりするのではなく、映画「永遠の0」には、何かを生かすために命を捨てる事が描かれていて、そのことにも私は感動したのでした。

同様な感動作には、映画「いま、会いにゆきます」もありましたね。あの映画も、あの覚悟のセリフで泣かされました。

追記Ⅱ ( みそ と くそ をわけてみる ) 
2014/2/15 21:56 by さくらんぼ

かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂 (吉田松陰の言葉)

映画「ポセイドン・アドベンチャー」(1972年)、映画「アルマゲドン」(1998年)や、映画「日本沈没」(2006年)にも、何かを生かす為に自らの命を犠牲にする人たちが出てきます。「何かを生かす為に自らの命を犠牲にすること」を広義の「特攻」とするならば、あの映画たちも特攻を描いていたとも、言えなくもない。

そういう意味では「忠臣蔵」も特効かもしれませんね。すれば切腹と決まっているようなものなのに、それでも忠義の為に仇討ちしたのですから。

また、現在の日本でも、3.11で壊れた原発が、今よりも状況が悪化し、あるいは、新たな地震で他の原発が壊れてしまい、もし大量の放射能が噴出するという国家非常事態になったりした場合には。このまま放置すれば100万人単位の重度の被爆者が予想されて、誰かが被爆死を承知で、突入し修理しなければならないとしたら、志願者を募り特攻隊が編成される可能性があると思います。

また、これは必ず死ぬとは限りませんが、ホームから線路に転落した人を見つけて、命の危険を顧みず、線路に飛び込んで、助けた人がいました。鉄道会社に聞けば「すぐ列車停止ボタンを押し、さらに駅員にも通報してください」ぐらいの答弁をするだけで、「あなたが線路に飛び込んで助けてください」とは言わないでしょう。

助けた人は、公式には模範行動をしたわけではないのですが、されとて、だれも非難はしないし、逆に、人命救助で表彰されたりする。もしも、失敗して命を落としたりしても、大声で無駄死にだと言う人はいないし、もしかしたら記念碑が建ったりして、彼(彼女)の勇気ある行動を、崇高な行動を、永遠に称えることになるのです。

これらをみると、やはり、「何かを生かす為に自らの命を犠牲にすること」は古今東西、崇高な行為とされ、称えるのが一般的なようです。結果的に無駄死にだったとしても、それは揺るぎません。

では、旧日本軍の、いわゆる特攻隊の何がいけなかったのかというと、特攻が自主的にではなく、組織的に半強制的に行なわれたことです。その部分がおぞましいのです。もちろん戦争は、二度と起こって欲しくはありません。しかし、「何かを生かす為に自らの命を犠牲にすること」まで、すべて否定することは、それもやはり無理があると思えるのです。それ自体は崇高な行為ですから。

それは、そうと、尖閣諸島を中国が侵略しようとしています。政府は海保や自衛隊を増強し、それに、備えようとしています。私も増強でよいと思います。現場の方は本当にご苦労様です。

しかし、これに対して、日ごろ、なにかにつけて戦争反対を唱える人たちも、大声で非難しないのはなぜでしょう。

戦争反対ならば、危機に対して海保や自衛隊は規模を縮小しなければなりません。そして侵略を受けたらすぐに逃げるのです。古いフォークですが加川良さんの「教訓Ⅰ」の様に。

当然、尖閣諸島は、竹島や北方領土の様に盗られてしまいますが、それでも、兵士が戦って血を流すよりも良い。盗られてから、平和的、政治的な交渉により、取り返すべき努力をするべき。それが、戦争反対を唱える人の主義主張だと思っていましたが、そういう声は聞こえてきません。やはり、彼らも戦争をすることを黙認しているのでしょうか。世の中、まだ私には分からない事ばかりです。

追記Ⅲ( ああ人事異動 ) 
2015/2/24 22:26 by さくらんぼ

転勤などで、不本意な土地へ人事異動させられる人も多いと思います。そんな人の中には、からだの上半身と下半身の一体感が希薄になる人もいるのだそうです。上半身は異動先でも、下半身は異動前の土地に、まだいるのです。

そんな違和感が長く続く状態にいると病気にもなりかねません。病は気からになるからです。

ところで、映画「永遠の0」の原作本のラストでは、ゼロ戦で特攻した主人公の爆弾は、たしか不発する事になっていました。

だから特攻後は、空母の甲板上に主人公の上半身だけが転がっているのです。下半身はクラッシュしたゼロ戦の機体の中に挟まれて取り出せません。やもうえず空母の船長は上半身だけに勇者として敬意を表し、水葬にするのです。

日本人としては複雑な気持ちになるラストです。

そのせいか映画では、そこはカットされていました。

映画はおおむね良くできており、のちに制作されたTV版(原作に忠実らしい)よりも、勘所をデフォルメしてあり、より感動的に味付けしてありました。私は映画版に軍配を上げます。家人は映画は見ておらずTVで初観だったせいか、TV版を良かったと言っていましたが。

ところで、そのTV版でもラストの主人公の遺体エピソードはカットしてあります。それどころか、ラストだけは映画版を模してか、特攻が成功したかのようなカットになっていました。

やはり、原作通りのラストでは後味が良くないからでしょう。

でも、冒頭に話した人事異動の話を思い出してもらうと、原作のラストは、妻の元へ帰ることと、特攻に行くことの狭間に苦しんだ主人公を表現した、あれは、あれで、記号的に、正しい結末だったのかもしれません。

また、極言すれば、映画「永遠の0」は、哀しきサラリーマンの映画でもありました。

追記Ⅳ ( 第1チャクラからの信号 ) 
2015/7/17 8:11 by さくらんぼ

>転勤などで、不本意な土地へ人事異動させられる人も多いと思います。そんな人の中には、からだの上半身と下半身の一体感が希薄になる人もいるのだそうです。上半身は異動先でも、下半身は異動前の土地に、まだいるのです。

これも「7つのチャクラ」(キャロライン・メイス著)で学んだことでした。

運よく、本の記載場所も分かりましたので。良い機会ですから、追記しておきます。

『 慢性的な疲労を訴えていたある若い男性を診断し、彼の両足が、象徴的にまだ故郷にあるという印象を受け取ったことがある。

第1チャクラが、下半身と霊から文字どおり力を奪い、それを故郷に送りつづけていたのである。

身体の残りの部分はいま住んでいる場所にあり、いわば「本人のところにいた」ので、この分断状態が慢性疲労の原因だったのだ。 』

(  第二部 第一章 第1チャクラー集団の力 より抜粋  )

ヨガをやっている人なら常識でしょうが、第一チャクラは脊髄の底部(尾骨の部分)にあります。「7つのチャクラ」には「第1チャクラは同族のチャクラだ」と書かれています。

ちなみに例文の中の彼は、その後、退職して故郷に戻ったのだそうです。もちろん気分は最高らしい。再就職はできていないけれども。

追記Ⅴ ( 特攻隊員全員の、名誉回復を願う映画 ) 
2015/8/2 14:27 by さくらんぼ

映画「永遠の0」、TVで初放送がありました。

ふと思ったのですが、

この作品が誕生した理由は、

みなさまに叱られそうですが、今さらながら「特攻隊員の名誉回復」だったのだと思いました。

映画の中では、主人公一人の卑怯者か否かが、問題になっていますが、作者が言いたかったことの中心は、主人公に姿を借りて、実はシンプルに「特攻隊員全員の名誉回復」だったのでしょう。

特攻隊員=テロリストでは、あまりに、かわいそうですからね。

追記Ⅵ ( 自衛隊員 ) 
2017/10/1 18:12 by さくらんぼ

>映画の中では、主人公一人の卑怯者か否かが、問題になっていますが、作者が言いたかったことの中心は、主人公に姿を借りて、実はシンプルに「特攻隊員全員の名誉回復」だったのでしょう。(追記Ⅴより)

災害時や戦闘時に、命がけで国民の生命と財産を守ってくださる自衛隊員の方々。彼らの身分や規則を宙ぶらりんにして、同じ過ちを繰り返してはいけないと思います。


( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。 

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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