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#ネタバレ 映画「レ・ミゼラブル」〈2012年〉

レ・ミゼラブル
2012年作品
足元にある雑草
2017/7/2 14:38 by さくらんぼ (修正あり)

( 引用している他の作品も含め、私の映画レビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。)

先日の新聞コラムにこんな話がありました。

「 子どもの育ちにとってもっとも大切なものはなんだろう。それは早々と九九が言えたり、英語がしゃべれたりすることではないはずだ。知ることよりもまず感じること。そう言ったのは、卓見した先見性を持って環境問題に警鐘を鳴らした生物学者レイチェル・カーソンである。

彼女は『センス・オブ・ワンダー』という言葉を使った。驚きを感じる心、とでも訳せようか。何に対する驚きか。それは自然の精妙さ、繊細さ、あるいは美しさに対してである。

自然とは、アマゾンやアフリカのような大自然である必要は全然ないと思う。ほんの小自然でよい。近くの公園や水辺?…(中略)…もっとも身近な自然とは、自分自身の生命に他ならない。… 」。

( 「 福岡伸一の動的平衡 命の美しさ 感じる心こそ 」 2017.6.29朝日新聞・朝刊より抜粋 )

コラムはこの後、「自分自身の生命と自然とのかかわりの話」に入っていきます。それは素晴らしく、ぜひお読みいただきたいと思いますが、私は少し手前で降り、「近くの公園や水辺の話」へ入って行こうと思います。

ご承知のとおり私は気功をしています。公園で「立禅」(立ってする「座禅」)をします。座る「座禅」同様、しばし瞑想(変性意識)に入った後は、しっかり現実世界に戻ってきます。気功ではON/OFFをハッキリさせます。いわゆる禅病を防ぐためでもあります。

15分間も「立禅」をすると、両手の間に直径1mぐらいの、もたれ掛かれるほどに強靭な気のボールが出来ます。両手のひらで妊婦さんがお腹を撫でるようにボールを撫でると、乾いた液体のような、ビロードのような、比喩が困難な手触りに、「気」を神秘を感じざるを得ません。

濃密な「気」のボールに全身が触れているという事は、「気」による全身への「手あて」を自分自身で行ったという事にもなると思います。そして、その後は「気」を意念で下丹田に圧縮して納めます。その「気」は経絡を循環して全身を血液のように巡るのです(納めるのは中国式で、日本式では外気に返すようです)。

次は、気功を終了しなければなりません。気功を終了する作業、OFFにするための作業を「収功」と言います。それまで半眼にしていた眼を「カッ!」と見開いて、数分間周囲を見渡すことも含まれます。

そのとき目に入ってくる何気ない草木の美しさ。街路樹の枝ぶり、樹皮の妙、風にゆれる葉っぱ、あるいは、足元にある、数センチの雑草のセクシーな美しさ。

私はおじさんになって(気功をするようになって)初めてそれらを知りました。いったい今まで何を見ていたんだろうと。

今は「収功」の時だけでなく、常時その美を感じることが出来ます。だから残念なことに、観光名所にはあまり行きたいとは思わなくなりました。たまに行っても、気がつくと名もない草木を見つめています。

この延長線上には「小さきものへの共感」があるはずです。

その先には「命の大切さに気づく」ことが待っており、

そして、それは「リーダーの帝王学」でもあるはずです。

追記 ( 鍛えなければ、筋力はすぐ衰えるし ) 
2018/7/11 8:56 by さくらんぼ

「レ・ミゼラブル」、今回の作品は、まだ途中までしか観ていませんが、主人公のジャン・バルジャンは、怪力の持ち主だという設定なので、ヤサ男風のヒュー・ジャックマンさんが演じるより、寅さんみたいに、いかにも人情家風であり、線の太いラッセル・クロウさんの方が違和感が無いのでは、と思いました。これが第一印象です。

又、執拗な警察のジャベール役も、どこかに尖ったものを感じさせる(失礼)ヒュー・ジャックマンさんの方が、「らしい」と思います。

しかし、追われる者の憔悴と、追う者の余裕を表現するのなら、映画通りの配役で問題ないのです。

すると、ジャン・バルジャンが(出所後もずっと)怪力の持ち主だという原作の設定自体が、「いかがなものか」という事になるのかもしれません。

追記Ⅱ ( 「正確」より「適正」 ) 
2018/7/11 9:41 by さくらんぼ

ジャン・バルジャンも、キリスト教を胸に、正しい人を目指していましたが、警察のジャベールもまた、神に正義を誓うシーンが描かれていました。

同じキリスト教の神に仕え、同じように正しき人になろうとしているのに、いったい何が違ったのでしょう。

ある日ジャベールが、今は市長になっているジャンの元を訪れ、「私は、あなたがジャン・バルジャンだと思って内偵していました。しかし、ジャンは逮捕されたとの連絡が…。私はあなたに罪を犯しました。」そう言って、うなだれたのです。

このような言葉を書きたくはないのですが、いわゆる「○○正直」かもしれませんね。往々にして、そんな人は、他人にも厳しい。

そこには「正確」だけで「適正」がない。

世の中は、ときに法律にも、「適正」な運用が必要なのです。

実は私も、中学生の頃に似たような事をしました。

英語にも「句読点」みたいなものがありますね。試験が終わり、答案用紙を返してもらったときの事です。先生が「昨日、慌てて採点したので、もし間違いがある人は、今、来てください」と言いました。(普段はしませんが)点検したら、私にも間違いが。

何人かの人が先生の前に並びました。私の番になった時、「句読点が抜けているのにマルになっています」と言ったら、先生は、「そこまで言ったら、他の問題も、ほとんどバツだ…」、そう(小声で)言って、減点せず、そのまま返してくれました。

今では考えられませんが、授業ではいつも堅い棒っきれを持ってきて、答えられないと(軽くですが)頭を叩く、怖い先生でしたが、案外優しかったのです。

追記Ⅲ ( 親子 ) 
2019/2/28 10:05 by さくらんぼ

「 九十九さくらは、長男・悠平の事件を機に知り合った三谷弁護士に頼まれ、子供シェルター「ハチドリの家」に食事スタッフとして参加することになった。子供シェルターは、虐待などを受けた子どもたちが一時避難する施設。そこにいたのは、壮絶な地獄を見てきた子どもたちだった。さくらは、自ら親を捨てた子どもたちに、料理を通じて、信じられる大人がいることを伝えようと手を差し伸べ続ける。」

( ウィキペディア 「さくらの親子丼」 あらすじ 第2シリーズ より抜粋 )

真矢ミキさん扮する九十九さくらは、表面上は一介の食事スタッフなのですが、上記にもあるように、「食事を通じて信じられる大人がいることを伝えようと手を差し伸べ続ける」役どころなのです。

それは「母親のような存在」でもありました。

その熱量に、最初は心を閉ざしていた子どもたちも、少しづつ心を開いていくのです。

ここからは私の創作話ですが…

もし、この施設から巣立って行った子どもが、寒風の吹く世間で、つまづいて、自暴自棄になっていたとしたら…その連絡を受けたさくらは、わが子のように心配し、駆けつけたと思います。

久しぶりにさくらと再会した子どもは、内心喜んだに違いありません。しかし、屈折した気持ちの子どもは、素直にそれを表現できませんでした。そして、部屋で暴れたのです。

驚いたさくらは、警察に通報しました。

子どもから見れば、それは裏切り行為でした。世間の風が冷たいのは我慢できるとしても、親代わりだと思っていた、そう言って接近してきたさくらが、率先して警察に通報したからです。

子どもは、世間に対して持っていた沢山の不満や怒りが、今、さくらに向かって収束していくのを感じていました。

難しい。本当に難しい。

職員側に、ときに毅然とした態度が必要なのは、DVからの救出劇を見ても明らかなのですが、疑似親子であっても、親子の人情劇に法律はなじまないからです。

有名な「レ・ミゼラブル」の、銀の燭台事件は、思えばラッキーなベクトルでした。

追記Ⅳ ( 契約遂行の人生 ) 
2019/3/1 22:34 by さくらんぼ

>有名な「レ・ミゼラブル」の、銀の燭台事件は、思えばラッキーなベクトルでした。(追記Ⅲより)

日本人の感覚で言えば、ジャン・バルジャンは、神父さまの人徳に触れて、改心したと思うのではないでしょうか。

確かにそれもあると思います。ジャンじゃなくとも、衝撃的な展開でしたから。

でもその時、神父さまはジャンの耳元で、「あなたが正しい人になるために、この燭台を使うという約束を、私にした事を忘れないでください」という趣旨の話をしているのです(少なくとも原作では)。

つまり、ジャンは教会で、神父さまと神さまに、それを約束してしまったのです。

そして直後には、教会の外で、一人祈り続けるジャンがいました。

その後のジャンの人生は、その日の約束(契約)を守るためのものではないでしょうか。

映画「A.I.」の母が、ロボットの息子にした「愛の契約」と同様に、キリスト教社会での契約は、重い事だったのだと思いました。

追記Ⅴ ( 会食の重み ) 
2019/3/2 9:13 by さくらんぼ

>つまり、ジャンは教会で、神父さまと神さまに、それを約束してしまったのです。(追記Ⅳより)

約束したと言うより、「気がついたら、約束させられていた」が正しいですね。

ところで、神父さまは、なぜそこまでジャンに肩入れしたのでしょう。

多分、前夜の会食で、神父さまはジャンが「光を放つ原石」である事を見抜いていたからでしょう。

それは、就職で言うところの面接試験だったのかもしれません。

追記

そう言えば、どなたかが、「好きな娘が出来たら、食事に誘いなさい。もし3回応じてくれたら、相性は悪くありませんから、関係を進展させても良いです」みたいな話をしていました。私にそんな勇気はありませんが。

追記Ⅵ 2022.11.27 ( お借りした画像は )

キーワード「自然」でご縁がありました。繊細な葉っぱと、ふんわりとした周囲の画に見とれます。いつまでも見ていたい風景ですね。無加工です。ありがとうございました。

追記Ⅶ 2022.11.27 ( ○○で「整いました」 )

先日「サウナ」の特集番組を観ていたら、「整いました」というワードが出て来ました。

先ほど観た何かのTV・CMにも同じ言葉が出て来ましたから、流行言葉なのかもしれませんね。

その「サウナで整いました」から連想したのが、「立禅後の爽快感」です。

「整いました」が何かを「リセット」した気持ちも表現しているのなら、立禅という「気功」は、サウナから連想されるほどに「整う効果」があるのだと思います。




( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。 

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)

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