師走前スクランブル交差点
似たような写真ばかりだけど街角レポート的な。街は刻々と変わっているのだけど変わっているようには思えない。私も刻々と変わっているのだが、これは老化かもしれなかった。街も老化しているのかも。
だいたい起きて日記を書くのはパターン化されていた。振り返りと予定だった。無職というフリーだからほっておくと怠惰な日が続く。今日は日曜だから怠惰でもいいけど。
読書。ちょっと一休み。以前読んでいたファン・ジョンウン『ディディの傘』を借りて読み始め。韓国作家で名前を覚えている数少ない作家の一人だ。ファン・ジョンウンは『野蛮な国のアリスさん』を読んで凄いと思い、『年々歳々』も良かったのだと思う。三冊目を借りたのだが『ディディの傘』はちょっと趣がちがった。
『大江健三郎全小説6』から『グルート島のレントゲン画法』を読んだ。オーストラリアのアボリジ二の島で人物の中に生まれ変わりの動物を入れるトーテムのような彫刻があるそうなのだが、題名はそのことを示している。文明社会から逃避的に観光した作家が外交官の娘ナオミの性癖を描いているのだが、野生の思考みたいなことかなと。日本という文明に傷付いたハーフの娘のアイデンティティー探しというものだろうか?危険を返り見ないで危ないところへ行くというよな。日本人がよくこういうところで殺されているが、半分自殺を求めてというような感じがしないでもない。作家はアル中ぎみでそれが海外の空気を吸うことで希望を見出すということなのか?ちょっとこのへんは難解である。ただこういうエロスを描くのが中期ぐらいの大江のこだわりとしてあったような。半分読者サービスもあるんだろうけど、エロスは性と生で、生きる可能性を示す行為なのか?
図書館に予約していた『大江健三郎全小説1』は入ってなかった。やっぱ図書館にないのだと思う。心無いやつがネコババしたと思うよ。町田の図書館もいつも1はないような気がする。初期短編や中編が一番読みやすくて本質的だからか。たいてい1を手に入れたがそれ以上は読もうとはしなかったのだな。探偵になっているな。全国の図書館関係者は『大江健三郎全小説1』が盗まれていないか確認したほうがいいと思う。もう倉庫に入れておくとか。
そんな大江健三郎再読は、12月も続くのだった。noteの記事で凄い作家を見つけた。清繭子という人の記事で見つけたのだが、大江健三郎の小説をほとんど読んでいるという新潮新人賞・赤松りかこ氏の記事。
『大江健三郎全小説』が揃っている本棚ってどんだけなんだ。まあ自分は大江健三郎のような小説は絶対書けないと思ったけど。この人の作品は読んだことがなかったが面白そうだ。シャーマニズム系作家かな。
やっぱ新人賞を目指す人は多いのだろうか?読書好きで小説を書く暇がないのだが。読む方が好きだからな。批評家になればいいのか?大学卒業してないし、やっぱ学力社会なんだと思う。作家になるのが一番だとは思うが小説を書き続けなきゃいけない地獄を見るようで。読みたい本も読めやしない。まだ大江健三郎さえ全部読んでいないのに。
図書館で大江健三郎が借りれなかったので、石牟礼道子『十六夜橋』を借りた。日本の現代作家はこの二人を読むだけで十分な気がする。あと古典とかあるけど。
noteでもいろいろ文学について書いてある記事をみるけど、いまいちだと思ってしまうのが大半なのだ。大江健三郎と石牟礼道子をベスト10は無理だとしても100冊ぐらいに入れていない人は信用出来ない。
私も過去には石牟礼道子は入れてなかったけど、それが読書観の誤りだったと気がついた。もっと早く読んでおけば良かったかも。(『苦海浄土』は読んでいたけど、純文学方面では影が薄かったような作家だった)
映画は『理想郷』を見た。
今日は俳句と短歌の一日になる予定。
もう師走だったが写真を撮ったのは11月だった。人生もまだ11月だと思っている。旧暦人間というのもある。
『ブギウギ』の録画を見る。サックスが「金属製ひん曲がり尺八」だと。本当かな?そうだ三島由紀夫の命日だたSNSに上がっていたけど、そういうことはアルバート・アイラーの命日でもあったのだ。久しぶりにアイラーでも聞くか。
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